第15話 夜更かしの唄

 雛森先生との放課後補習を終え、下校時間が迫る。

 部活動や自習に勤しんでいた生徒達も帰り支度をし、校舎の中からはどんどん人気ひとけが減っていく。


 俺は三年二組の教室から昇降口まで下りてきて、外靴スニーカーに履き替えたところで初めて気付いてしまった。

 パラパラと、小雨が降り出していることに。


「困ったな……」


 朝の天気予報では、確かに「ところにより夕方から雨が降るでしょう」と言っていた。

 だが降水確率は40%と微妙だったし、登校時は気持ち良く晴れていたため、完全に油断してしまった。


 少し待っていれば弱まるかもしれないと思ったが、雨脚はどんどん強まっていくばかり。これでは走って帰っても、家に着く頃にはズブ濡れだろう。


「――どうした柏木。まだ帰らないのか」


 すると。一階まで下りてきた雛森先生に、背後から声をかけられた。


「帰ろうと思ったら、雨が……」


「そうか。……ならコレを使うと良い。私の傘だ」


 雛森先生は白衣の懐から、一本の折り畳み傘を取り出した。……薄い白衣の、どこにそんなスペースが。常に持ち歩いているのだろうか?


「ペンもスマホも財布も煙草も替えのスペア眼鏡も非常食も水筒も化粧道具も、全てこの白衣に入っているぞ」


「四次元ポケットかな?」


 まるで俺の心を読んだかのような返答。本当なのか冗談なのか分からないが、とにかく傘を貸してくれることになった。


「でも良いんですか? 俺が傘を使っちゃったら、先生は……」


「私は普段から車で通勤しているから問題ない。ソレはもしもの時のために持ち歩いているだけだ。それとも、私と一緒に相合傘でもして帰るか?」


「はは、それも悪くないですね」


 『言われっぱなし』なのは悔しいので、俺も冗談で言い返してみた。



 すると――雛森先生は、長い黒髪を揺らし、少しだけ寂しそうな顔を浮かべた。



「……お前と私じゃ、似合わないだろうよ」


 確かに、担任とはいえ美人な女教師と男子生徒で相合傘なんて、あまりにもアンバランスだ。間違いなく、変な噂を流される。酷い場合は、雛森先生にがかけられ、無用なトラブルや迷惑を招くだけだろう。


 冗談で言ってみただけだったが、思ったよりウケなかった。恥ずかしい。


「とりあえず、お借りしますね雛森先生。さようなら!」


「あぁ。気を付けて帰れよ、柏木」


「はい、また明日ー」


 そして雛森先生から借りた青い折り畳み傘を広げ、曇天の空から降り注ぐ雨粒が弾ける帰り道を、靴を濡らしつつ帰っていった。




「……、か……」




 傘を打つ雨音に掻き消され、雛森先生が呟いた言葉を、聞くこともないままに。




***




「……今日は、メモは無しか」


 帰宅して、騒々しい10人の妹達との夕食を終えてから。


 今日の夕飯のメニューはサバの味噌煮で、和風少女な四姫シキは大喜びしていた。自称アメリカ人のセブンスは「バイソン級にデカい牛のステーキが良かったですわ~!」と不満を漏らしていたが。

 金髪ギャルの五子コーコは「アタシってサバサバ系女子だからさー(笑)」とクソつまらないダジャレを言って大スベリしていたけど、九龍クローンのツボにはハマったのか、「天下取れるアル、そのギャグ!」と褒めちぎっていた。

 寿珠ジュジュは呆れたような顔で「くっだらね……」と冷めた目線を向けていたが、口元が少しだけ緩んでいるのを、俺は見逃さなかった。


 ジュジュの態度が少しだけ軟化したように見えて、容姿も似ているし、もしかして本物の陽菜なのでは? と思ったが――今日は制服にもジャージにも寝間着パジャマのポケットにも、陽菜からのメモは入っていなかった。昨日だけ、ってことか。

 ジュジュが本物の陽菜である確証も、陽菜本人に繋がる情報も得られず、今日という日は終わりそうだ。


 戸籍には全員が『柏木家の一員』として記載されており、謎はどんどん深まるばかり。


 両親関連で雛森先生の協力は取り付けられたが、今後どうしたものかと悩んでいると――今夜も、部屋の扉をコンコンとノックされた。


「お兄ちゃーん?」


 ガチャリと、無許可でドアを開けて。一姫イツキが入ってくる。

 昨日と同じピンク色のパジャマ姿だが、大きな枕は持っていない。


「ハイどうぞって言う前に、入ってくるなよ」


「兄妹なんだし、別に良いじゃ~ん。……それより!」


 イツキは真剣な顔で、ビシリと俺を指差してくる。……まさか、今夜も一緒に寝るとか言い出さないだろうな?


「公正に決めた『順番』だから譲るけど! 昨日は私に手を出さなかったくせに、三奈ミナちゃんとの国境ラインは越えたら、怒るからね!」


 眉間に皺を寄せ、少し怒ったような口調で忠告してくる。


 その言葉の意味を理解し、俺も大きな声が出てしまう。


「それはソッチが先に寝落ちしたからだろ! てか別に妹に手は出さな……いやそれより! 今夜も『妹』が来るの!? しかも今回はミナが!?」


 ヤバイ。昨夜のイツキでもギリギリセーフといった状況だったのに……。10人の陽菜の中でも戦闘力サイズを誇るミナに、来られたら……!


「あらあら、イツキちゃ~ん。もう夜なんだから、そんなに大きな声を出しちゃダメですよ~? お兄さんも、メッ! ですよ~?」


「ミナちゃん……!」


「ミナ……!」


 先んじて俺の部屋へと忠告しに来たイツキだったが、もう既に今夜の添い寝当番が来てしまった。


 毎晩こんな感じで、日替わりで誰かと一緒に寝なきゃいけないの、俺!?


「家の中で寝床を割り振っても、どうしても一人余っちゃって……。……というわけで。す、少し恥ずかしいですけど……お願いしますね、新也お兄さん~?」


 風呂上がりのミナはホカホカぽわぽわした雰囲気で、亜麻色の髪をストレートに下ろし、まさに母性MAX。

 そしてカスタードクリームみたいな色をしたパジャマは、殊更に胸部の存在感を強調している。パッツパツやで。何食ったらそんなに育つんだ。バイソン級にデカい牛のステーキ?


 俺もイツキも、あまりの戦力差に圧倒されていると――クリーム色なパジャマの第二ボタンが、ミナの『圧』に耐え切れず、バツン! と銃弾のように吹き飛んだ。


「きゃっ! は、恥ずかしいわ~」


「……お兄ちゃん! 絶対に負けちゃダメだからね!?」


「筑摩江や……芦間に灯す、かがり火と……ともに消えゆく、我が身なりけり……」


「敗戦ムードで辞世の句を詠まないでよ、お兄ちゃぁぁあああんッッ!!!」




 二日目にして、人生最大の試練が訪れた。




***




「I'm singing in the rain♪ Just singing in the rain♪」


 柏木家の中で、今夜は新也と三奈が同じ部屋で寝る、という話になった頃。


 雨が降りしきる中――真っ赤なドレスを着た一人の少女が、歌いながら夜道を歩いていた。


「What a glorious feelin' I'm happy again♪」


 金髪の縦ロールヘアーを、ふわりと揺らし。フリルの付いた赤い傘を、くるくる回して。ヒールの高い赤い靴で、軽快なステップを踏みながら。


 街灯をスポットライト代わりにし。まるで映画女優のように。雨音の旋律を、乗りこなしながら。


 少女は優雅に、かろやかに、人気ひとけのない夜の住宅地を進む。


「I'm ハッファン フファファ~ン♪ ソゥ ダーカー フファ~ン♪」


 歌詞はうろ覚えだった。




 そして少女が鼻歌混じりに、路地の曲がり角を左折すると――。




 ――そこには、ガスマスクを装着し、銃を持って武装した、三人の男達が佇んでいた。




「!!」


 気付いた男の一人が、咄嗟に銃を構える。

 他の二人も慌てて反応し、三人のアサルトライフルの照準は、少女の頭部や心臓に定められる。


 だが、銃口を向けられる少女――セブンスは赤い傘の角度を少し上げ、穏やかな笑顔を覗かせた。


「……ごきげんようですわ、皆様方。こんな雨の日でも『お仕事』なんて、大変ですわねぇ」


 武装した男達に銃を突きつけられているのに、セブンスは動じない。6秒を数えることもしない。兄の新也や『他の陽菜達』と接する時と、ほぼ変わらない態度だった。


「ただ……」


 それでも、明確に違うとすれば。

 傘を差すセブンスの瞳には――強い『意志』が宿っていた。

 美しく真っ赤な薔薇に生える、鋭い棘のような想いが。


「お兄様は、平穏な日常が崩されるのを、お望みではないようですの。ですから、早急に……ワタクシ達の視界から、消えてくださる? 『実行部隊Orion』の皆様方」




 夜の雨は更に強まる。


 柏木家まで――新也の部屋までは、外を歩く者達の会話など、聞こえないほどに。




 そして、誰も気付かないと思えるほどの雨音だった。

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