第14話 放課後ティーチャータイム

「なぁ新也にいやん。個人番号マイナンバーカード持ってる?」


「マイナンバー?」


 セブンスの追撃を振り切り、無事に金次郎キングと合流した後。

 コンビニの中で、ふとそんなことを言われた。


 俺は一姫イツキ三奈ミナによる合作弁当を持たされているため、キングが朝飯と昼飯を買うのを待っていただけだ。

 ちなみに四姫シキも「今から極上のお弁当を用意いたしますね、兄様あにさま……!」とか言っていたが、花見にでも行くのか? というような重箱を取り出したため、確実に遅刻すると思い、俺は黙って出てきた。


 そうしてコンビニに来てみると――昨日の朝に異様な光景を目撃したばかりだが、今日の店内はいたって普通だった。何も変わった様子はない。レジの店員さんもいつも通り可愛い声だし。


 『変だ』と言うのなら、会計を終えたキングからの、突然の質問だろう。

 どうして今、マイナンバーカードの話になるのか。


「一応、持ってるけど……。なんで?」


 国民全員に個人番号が付与され、それを顔写真付きのカードとして持つよう推奨されてから、結構な年数が経つ。


 しかし運転免許証や健康保険証ほど浸透しておらず、国のお偉いさん達は四苦八苦しているようだった。

 現に俺も、身分証なら学生証があるのだし、マイナンバーカードをいちいち使用したりはしない。

 数年前に父さんと母さんに勧められ、ついでにマイナンバーカードの発行申請をした者には電子決済のポイントが貰えるとかで、そのポイント目当てに作りに行った。

 その程度の認識や付き合いだ。


「陽菜ちゃんが10人に増えてるっていうならさ……戸籍で確認してみようぜ」


「戸籍? だが市役所に行ってる暇なんかないぞ。遅刻するし……」


 だがキングは人差し指を左右にチッチッチッ……と振る。「分かってないなぁ、にいやんは」といった表情が、絶妙に腹立つ。


「そこでマイナンバーカードの有無を聞いたのよ。カードを持っていれば、コンビニでも戸籍謄本を交付してくれるんだぜ」


「あっ……! そうか!」


 キングに言われるまで、すっかり忘れていた。

 マイナンバーカードがあれば、コンビニの印刷機プリンターから、いつでも住民票や収入証明書などを取り寄せられるのだった。そんな説明を受けた気がする。


 流石は頼りになる幼馴染だ。

 家族四人の、柏木家本来の『公式な書類』を突きつければ、あの10人の陽菜達も自身が偽物であることを認めるだろう。


 ついに突破口を見つけたと思い、財布の奥で眠っていたマイナンバーカードを取り出し、声が可愛い店員さんに教えられつつ、意気揚々とコピー機を操作していくと――。




「――……いや、いやいやいや……」


「マ、マジかよ……。……流石に俺もビックリだぜ、にいやん」


 手順に従い、料金を払い、戸籍を発行プリントした。

 だが、なんか……やけに印刷に時間かかるな? と思って、嫌な予感がした後――求めていた書類が、印刷機から出てきた。


 そこには柏木家の本籍や住所、父さんと母さんの氏名や生年月日、俺の名前、そして――『柏木・一姫・陽菜』、『柏木・三奈・陽菜』、『柏木・四姫・陽菜』、『柏木・五子・陽菜』……。

 セブンスも九龍も、イレヴタニアまで、全員がとして、戸籍に刻まれていた。


 ただ、ミドルネームのない純粋な『柏木陽菜』の名前だけは、どこにもなかった。


「あり得ないだろ……」


 印刷機の前で、言葉を失う。


 6秒を数えるどころじゃない。あまりの事態に、動揺や混乱どころか、ただ背筋を寒くするばかりだった。思考自体が止まりそうになる。


「戸籍って……市町村とか、それこそ国が管理しているモンだよな、キング……? 他人がイジって、どうこうできる代物じゃないだろ……」


「プリンターの故障、ってわけでもないだろうし……」


 キングも目を見開いて、不可解な書面に困惑しているようだった。


 陽菜の友達が集まって、自身を陽菜だと偽って、誰が本物か当てるクイズや悪戯ドッキリ……なんて、そんな次元レベルじゃないのかもしれない。


 印刷機から出てきた戸籍謄本を握りしめ、俺はキングと共に、青ざめた顔でコンビニから出ていく。



 背後を振り返る勇気は、なかった。




***




「……以上から、x≧0のときlog(x+1)≦√xの等号が成り立つのは、x=0のときってなるわけだ。……分かったか、柏木?」


「ワカリマシタ」


「分かりやすく嘘をつくな。全く分かっていないだろ」


 朝のコンビニで戸籍を取り寄せてから放課後まで、ずっとこんな調子だった。


 学校の授業はモチロン分からないし、俺の目の前に現れた陽菜達が何者なのかも、サッパリ分からないんだから。

 夕日が差し込む二人きりの教室で、雛森先生に丁寧に解説されても、補習の内容が頭に入ってこない。


「まったく……。柏木博士達の息子なのに、こうも勉強が苦手だとはな」


「スイマセン……」


 溜め息と共に、加熱式タバコの煙を吐き出す雛森先生。

 学校内で喫煙をする不良教師に、出来の悪さを追求されるのは理不尽に感じるが――実際、俺は両親どころかキングにも及ばない頭脳なのだから、仕方ない。


 俺の両親は学者夫婦だが、あの二人から英才教育を受けた記憶は一切なかった。

 欲しがれば玩具やゲームをクリスマスに買ってくれたし、漫画やアニメも禁止されておらず、キングや小学校の友人達と一緒に、しょっちゅう外へと遊びに行っていた。


 父さんの車に乗って、山や川や海、動物園や遊園地やゲームセンターにも連れて行ってもらった。

 流石に赤点を取ったりすると怒られたけど、基本的には勉強を強制せず、割と自由に育ててくれたと思う。


 そんな両親に育てられた俺は、今――そんな両親と共に大学院で研究していた雛森先生に、勉強を教わっている。奇妙な縁だ。


「……まぁ良い。分からないなら、分かるまで教えるだけだ。で? 次はどの部分だ?」


「その……雛森先生。実は勉強じゃなく、他の相談が……」


「急にどうした。悪いが恋愛相談コイバナには乗れないぞ。独身だからな」


「そういう話じゃなくて!」


 赤い眼鏡をかけて白衣を着て、いかにもスパルタ女教師といった風貌だが、雛森先生はサラリと冗談を言う。『鉄の女王アイアンクイーン』というアダ名が付けられているけど、割とノリは良い。だからこそ、生徒達からも人気なようだった。


 しかし俺は、冗談でも遊びでもない。


 真剣に――現在の柏木家の状況と、コンビニで発行した戸籍についても打ち明け、ここ数日の異常事態を説明した。




「――……なるほど。事情は理解した」


 真剣な目で、少しシワになった戸籍謄本を見つめる雛森先生。


 電子タバコは咥えたままだが、生徒の悩みには真面目に向き合ってくれるらしい。交番にいた中年警官とは、雲泥の差だ。


「私は去年この学校に来たばかりで、生徒名簿に登録されているお前の住所や家族構成について、そこまで把握していなかった。柏木博士の息子と娘が通っているんだな、程度だ。担任でもなかったしな。だが……これは確かに、妙だ」


 俺は少しだけ、心が落ち着く。

 キングだけじゃなく、担任の雛森先生も心強い味方になってくれそうな予感に、胸を高鳴らせていた。


「柏木博士……お前のご両親に繋がる、直接の連絡先は持っていないが……。出張先の大学には、私から問い合わせておこう。なるべく早く帰国できないかどうかも、含めてな」


「あ、ありがとうございます……!」


 これは助かる。

 俺は数学だけじゃなく英語の成績も壊滅的だし、海外に行った両親へどう連絡するべきか、ずっと考えあぐねていたんだ。


 セブンスに依頼しようかとも一瞬思ったが、あの子はあの子で本物のアメリカ人かどうかも分からないし。

 英単語の発音は綺麗だが、本当に英会話ができるのか怪しい。仮に通話を頼んでも、「オーイェー、ァハーン?」しか言わない姿が、容易に想像できた。


「礼は要らん。ただ、そうだな……。私も『十一人目の妹』にしてくれるなら、金は取らないぞ。新也お兄ちゃん?」


「雛森先生マジでやめてください、そういうの」


 そもそも遥か年上じゃないですか、と言うと逆鱗に触れそうな気がしたので、やめておいた。


 ただ雛森先生本人も軽いジョークのつもりで言ったのか、クスクス笑っていた。まったく、コッチは真剣に悩んでいるってのに……。


 ただ……放課後の教室で二人きり、ユーモアがある美人で大人なお姉さんと軽口を言い合うのも、悪くないなと思ってしまう。


「……柏木」


「はい?」


 笑っていた雛森先生だったが、再び真剣な表情と声色に戻る。

 そして俺を真っすぐ見つめ、夕焼けに横顔を照らしながら――優しさと美しさを兼ね備えた顔で、微笑んだ。


「大丈夫だ。何があっても、私は……生徒であるお前の味方だから。……担任だしな」


 安心させるような声に、俺も小さな笑顔で応えた。


「……はい。ありがとうございます、雛森先生」


 ここ最近は心を乱される出来事ばかりだったが……不思議と、雛森先生との放課後授業は、落ち着ける時間になりつつあった。

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