第13話 兄ちゃんの通学路
「
背後に立つミナが、包丁を握っていることに驚いたけれど――それ以上に俺の肩をビクリと跳ね上げさせたのは、
テレビを見ていたはずのジュジュはソファーから立ち上がり、俺の方を……いや、ミナを見つめている。
咎めるような声で叫び。今にも、ミナへと食って掛かりそうな表情で。
「……ジュ、ジュ……?」
しん、と静まり返るリビング。
室内には、困惑する俺の呟きと、若い男性アナウンサーが「それでは今日も一日、頑張っていきましょー」と棒読みで番組を締めくくる声だけが、虚しく響いた。
そして俺が驚いた顔で、ジュジュを見つめていると――。
「あ……っ」
我に返ったかのような、はっとした表情を浮かべ、パーカーのフードを更に目深に被った。
「えっと……。その……。……わ、私にも……。牛乳、くれないかな……」
すると。それまで冷たい目と表情を浮かべていたミナも、パッと朗らかな笑顔に変わり、『いつものミナ』に戻った。
「はいは~い、ジュジュちゃんも牛乳ですね~」
何かの間違いだったのだろうか。ミナとジュジュとの間で、緊迫した空気が流れた気もしたが……。今はもう、普段通りだ。
「………………」
「……ジュジュ?」
ジュジュは俺をチラリと見てから、やはり何も言わず、テレビの方を向いて再びソファーに座った。
「……あ、そうだ新也お兄さん。もし牛乳の味が変なら、また新しいのを買ってきましょうか~?」
「え? ……あぁ、いやいや。そこまでしなくて良いよ。別に腐ってるとか、そういうことじゃ、ないし……」
俺が感じた違和感は、本当に些細なものだ。
コップに注がれた牛乳は、ミナが昨日の放課後に買ってきた新品らしい。腐敗しているとは考えにくく、それに飲めないほどマズイってわけじゃない。
俺が入院していた間に、多少なり味の変化があっても不思議ではない。
もしくは、偶然に一本だけ味が違うのが混ざって、出荷されたのかも。
いずれにせよ、大騒ぎするほどの話ではないんだ。
「ただ……ミナ。包丁を持って歩くのは、危ないぞ」
「あら、やだ。ワタシったら~。ごめんなさいね~」
指摘すると、ミナは恥ずかしそうにしていた。
……やはり、俺の考えすぎだろう。
「うっ」
すると再び、俺は驚いてしまう。
ソファーの陰で、寝袋に包まれていたイレヴタニアが――いつの間にか、パッチリと目を見開いていたのだから。
「………………」
大きな瑠璃色の瞳で、ジッと俺を――いや、俺より更に後方の、キッチンにいるミナの動きを凝視している。
その間、身動きも瞬きも、一切せずに。
寝袋に包まれ白いイモムシみたいな状態で、目をかっぴらいて、なんかチョット怖い。
「………」
そしてイレヴタニアは少し目を細めてから、瞳を閉じて、再び夢の世界へと戻っていく。まだ眠いのだろう。
そうして――少しだけ不思議な雰囲気のまま、朝のリビングには妙な時間が流れていった。
***
「……行ってきます」
朝食を終えて、着替えも支度も済ませ、
『窓から出るのは危ないから』という陽菜のメモに従い、忠告通りに今日は玄関から出ることにした。
しかし10人の妹達が「私も一緒に行く」とか言い出さないよう、小声で呟いてから、素早く玄関を開けて出て行く。
「はぁ……」
まるで夜逃げでもするみたいな気分だ。朝なのに。
気付かれないよう玄関のドアをそっと閉めて、学校へ行こうと振り向くと――。
「今日も良い天気ですわね
「
早朝からクッソうるせぇ声量を、ご近所中に響き渡らせようとする
咄嗟にその背後へ回り、小さな口を手で塞いだ。
大声を出されては、他の妹達にも気付かれてしまう。
そのため、セブンスを羽交い絞めにして口を塞ぐ。だが、お互い学校の制服を着ていなかったら、誰がどう見ても金持ちお嬢様を誘拐しようとする不審者そのものだ。
「もうちょっとだけ静かにしてくれるって、約束できるかな?」
「
口を塞がれつつもコクコクと頷いたので――まだちょっと信用ならないが――拘束を解いてやった。
しかしどこか、セブンスの表情は嬉しそうだ。
「うふふっ……。お兄様に後ろから情熱的に抱きしめられて、ワタクシの完全勝利でトゥルーエンドかと一瞬ビビりましたわ! 結婚式はハワイが良いですわね!! アメリカの州ですし! 行ったことはないですけど!」
「ハワイで結婚式って、むしろ日本人的な発想では……? てか行ったことないんかい」
金髪の縦ロールヘアーで、
俺の中では
「
「………………」
やはりセブンスも、『俺と陽菜の日常』を把握している。
高校に入学して、俺が入院するまでの約半年間。毎朝、俺と陽菜は途中まで同じ道を一緒に登校していた。
そしてコンビニの曲がり角で、俺はキングと合流し高校へ。陽菜も友達グループに混ざって、この町の中学校へと向かう。それが習慣だった。
「さぁさぁ! 早く行きましょうお兄様! 学校は逃げませんけど、時間は有限ですわ! タイムイズマニーですのよ!」
ただ――俺との登校にワクワクしているセブンスは、『通学を共にする妹』というよりは……なんか、『散歩前の飼い犬』っぽい。
金髪だし、ゴールデンレトリバーみたいな印象を受ける。
もしセブンスに尻尾が生えていたら、今頃は左右にブンブン激しく振っているところだろう。想像すると、ちょっと可愛い。
「……悪いけど、俺は一人で行く」
「……!? つまりワタクシとお兄様が一心同体になって、人生を共に歩む……ってコトですの!?」
「発想がポジティブすぎんだろ」
「ならば、どういう意味です!? ワタクシと一緒に登校しましょうよ!! トゥギャザーしようぜですわ~!」
「
「NOと言える日本人!? じ、実在したのですね……!」
ハッキリと断っても、全然通じない。
マズイぞ。アホかと思っていたが、意外と強敵だ。
「……コンビニまでだろうと、校門までだろうと、だ。自称アメリカ人な金髪の妹と歩いていたら、どんな噂を立てられるか分からないだろ。ただでさえ『妹が10人に増えている』なんて異常な状態なのに。これ以上、俺の平穏を崩さないでくれ」
「あらぁ、そーんなことを心配していたのですね、お兄様! その件なら、問題ありませんわ~!」
一緒に登校したくない理由を伝えても、セブンスは了承しない。
……そろそろ本当に、学校行きたいんだけど。玄関から出ていつまでも、漫才じみた
しかし渋い表情を浮かべている俺とは正反対に、セブンスは底抜けに明るい笑顔だった。
「もう既に、『柏木新也お兄様と妹セブンスは
「オイィィィッ、何してんだぁぁぁあああああッッ!!!」
セブンスに『大きな声を出すな』と言っておいて、俺が一番の声量を発揮した。またしても、朝から6秒を数えるハメになる。
「ですからお兄様は堂々と、この『コロラドの海を泳ぐ
「コロラド州に海はねぇんだよ、お馬鹿!!」
限界だ。俺はダッシュでセブンスから逃れ、キングと合流するためコンビニを目指した。
「あっ! お兄様! お待ちになってぇぇぇええ!!!」
しかしセブンスも走って追いかけてくる。
制服のスカート姿だというのに、意外と素早い。どんどん距離を詰めてくる。
なんか、このお嬢様……速い。意外と足メッチャ速いな!?
「くっ……! ……あっ! UFOじゃねアレ!?」
「えっ!?
俊足で追いかけてくるセブンスを振り切るため、デタラメに南南東の空を指差す。
古典的な方法だが、アホのセブンスは予想通り食いついて足を止め、キョロキョロと快晴の空を見上げ、UFOを探し始めた。
その隙を突いて、俺は更に加速する。
「アレはUFOじゃありませんわ! 騙されましたわ~~!!」
テキトーに指差しただけなのに、空には一基のドローンが飛んでいた。誰かが朝の住宅地の風景を、撮影でもしているのだろうか。
憤慨するセブンスを置き去りにし、上空に浮かぶドローンのカメラに背中を向けつつ、俺はコンビニを目指して駆けていった。
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