破
第12話 柏木さんちの今日の朝ごはん
突如として身体が跳ね上がり、そして重力に従って落ちていく。
何が起きた。一体、何が起こったんだ。
6秒を数える暇もなく、全身に鈍い衝撃と鋭い激痛が走る。
聞こえてくる、母さんと陽菜の悲鳴。
父さんの焦った声。
あぁ、これは――1年5ヶ月前の、事故に遭った時の記憶だ。
引っ越してきた町の西側から伸びている、高速道路に乗って。三つほど隣の町に、一泊二日の温泉旅行へ家族と行った。
その帰り道。
また明日から学校へ通わなければならない憂鬱さと一緒に、俺は
高速道路の下り車線から見える、町の景色を楽しみもせず。
東側の漁港や、南側に広がる水平線を見つめつつ。
後部座席の隣で話しかけてくる陽菜の言葉に、曖昧に相槌を打ちながら、車窓の向こうをぼんやり眺めていた。
直後。
俺達が乗る車は――父さんが運転する車は、まるで洗濯機の中身かという勢いで、突然ひっくり返った。
だけど俺は、違和感を覚えた。
なぜ事故に遭った? 直線の高速道路で。
後ろから追突された? 別に煽られていたわけでもないのに。
父さんが急にスピードを落としたり、
何が起きた。一体、何が起こったんだ。
あの日、本当は何が起きていた?
思い出せ。
見たはずだ。
車がスリップする瞬間じゃない。追突してきた後続車の
俺は――『光』を見たはずだ。
***
「――ぁっだぁ!!」
青いカーテンの隙間から差し込む、春の陽射し。
その閃光に目を眩ませつつ、同時に全身を襲った痛みにも、目が回りそうになる。
痛みの原因は、俺がベッドから叩き落とされたせいだ。
「むにゃむにゃ……。お兄ちゃん……」
「……はぁ」
昨夜、俺の部屋に入ってきて、突然「一緒に寝よう」と言ってきた
至近距離で抱きしめられ、普段の明るさとは真逆な独占欲を見せ、妖しい
しかし就寝したイツキは、寝相が悪かった。それはもう、非常に悪い。芸術的なレベルと呼べるほど。
夜中に何度も、彼女の肘や手が俺の顔に当たり、ついには蹴り落とされた。
枕を二つ並べて寝ていたはずのに、どうして茶髪な頭の位置と足の位置が、上下逆様にひっくり返っているんだよ。
そんな当人はおヘソやお腹を出して、幸せそうな表情で寝ている。
ベッドから上半身がハミ出しており、ほぼ
「んにゅ……。んへへ……。」
「……良い夢でも見てるのかな」
今にもベッドから落ちそうな体勢なのに、苦し気な様子はなく、穏やかな寝顔を浮かべている。
俺の方は――なにか、変な夢を見た気が……。
しかし目覚めると同時に、何の夢を見ていたかは完全に忘れてしまった。あるあるだ。
ベッドから部屋の床へと叩き落とされ、痛む全身を労りつつ。
上下逆様なイツキを、落ちないようベッドの中心へ戻し、布団をかけてやる。
そして顔を洗って歯を磨くため、部屋を出ていった。
***
「おはよう、
「……おはよう、
階段を下り始めると――見下ろす先、階段の終着点に、『異様なモノ』を目にした。昨日も見たよ。
一階廊下では、ゴスロリ服を着たヤチエが、ハァハァと呼吸を乱しつつ待ち望んでいる。俺が下りてきて、この足でヤチエの腹を踏みつける瞬間を。
「さぁ、早く……! しかも今日は、対策を練ってきたよ!」
「なにっ」
昨日は、ヤチエを踏む直前で足を大股に開き、彼女の身体を跨ぐことによって回避した。
しかし今日の廊下には、ヤチエのすぐ隣には、大量の
「これで、にーには陽菜を踏みつけて進むしかない……! 遠慮しなくて良いよ、にーに!! 陽菜を蔑みながら、口汚く罵倒しながら全体重かけてプレスして!! その時だけ、陽菜はねっ、真実の愛を感じられるから!!!」
それは真実の愛ではなく、ただのプレイでは? というツッコミを入れたくなりつつ――俺はドタドタと、一気に階段を駆け下りていく。
「んっはァあああああああああ!?♡♡♡ そ、そんなに助走つけたら、
語尾だけでなく、瞳の中にまでハートマークを浮かべているかのような表情で。
突然の
そして、階段を下りきる直前――。
「とうっ!」
――助走をつけ、俺はジャンプした。
さながら、体力測定の走り幅跳び。
ヤチエの身体も、画鋲エリアも飛び越えて――廊下の向こう、安全地帯へ、ドスン! と着地した。
ただ、ちょっとウルサかったかもしれない。勢い余って、階段の反対側にある家の壁に衝突し、鼻もぶつけてしまったし。痛い。鼻チョット痛い。
「………………」
「………………」
背中に視線をビンビン感じる。だが無視だ無視。
しかし毎朝、こんな調子でヤチエの対処をしてもいられない。俺の方も何か、対策を練るとしよう。……後で、そのうち、未来の自分が。
ヤンデレな妹が包丁を握りしめて、流血沙汰を起こす前に。
そして俺は洗面所を目指し、見慣れた家の中を進んでいった。
***
「あ、おはようございます。新也お兄さ~ん」
「おはよう、
洗面所で顔を洗ってから、昨日よりかは騒々しくないリビングへと入る。
キッチンの方では、おっとり系でママみを感じさせるミナが、朝食の用意をしていた。
庭ではチャイナ服の
テレビ前のソファーに視線を向けると、緑色のパーカーを着た少女が座っている。
チャンネルはお決まりの『4』。ワイプの中の若い男性アナウンサーは死んだ目で、新曲をリリースするアイドルの情報を見つめていた。
「……お、おはよう。ジュジュ」
「………………」
テレビを眺めているジュジュの背中に声をかけてみるが、反応はナシ。やっぱ無視すんのかい。
もしかしたら、被ったフードの中でヘッドホンを装着し、何か音楽を聴いているのかもしれない。だとすると、テレビをつけている意味がないけど。
「ん?」
ふと、何かの気配を感じて、目線を『下』に向けると――。
「うぉっ」
ジュジュが背中を見せて座っている、ソファーの下。
ソファーの背もたれ部分を、壁や日除け代わりにするかのようにして。そこでは白い寝袋に包まれたイレヴタニアが、リビングの床で寝ていた。
色白な顔以外は、純白な寝袋の中にスッポリ納まっており、まるで白いイモムシみたいだ。
「そ、そんなところで寝ていたのか……」
6秒を数えて落ち着いてから。
そういえば10人もいるのだし、全員が『陽菜の部屋』で寝ているわけじゃないのだろうと察する。
両親の寝室や和室、リビングや物置部屋などでそれぞれ寝ると、昨日の夕飯の時に言っていた気もする。
「すー……。すー……っ」
声を出して驚いた俺に反応したり、目覚めることもなく。
イレヴタニアはソファーの陰で、静かに寝息を立てている。昨日は夜更かしでもしたのだろうか? 熟睡モードで、起きる気配はない。
他の『陽菜』達も、まだ起きてこないようだ。
トントントン、とミナが包丁を使って食材を切り、朝食の用意をしている音を聞きつつ。俺は長テーブルの王様の椅子に座る。
イレヴタニアは寝ているし、ジュジュは俺と会話する気ないし、クーロンは庭にいるし、ミナは調理中。
他の妹達が起きてくるにはまだ早い時間で、牛乳でも飲んで朝食の完成を待っているか――と思って、立ち上がろうとした矢先。
「ハイどうぞ、新也お兄さ~ん。まろやか牛乳ですよね~」
キッチンに行って冷蔵庫を開ける必要もなく。
コップに注がれた牛乳をコト、とミナがテーブルに置いてくれた。
「あぁ、ありがとう。ミナ」
「ふふっ、どういたしまして~。でも、飲みすぎはダメですよ~?」
優しく微笑み、天使のような表情を浮かべてから、調理の続きに戻る亜麻色髪のミナ。
制服やエプロン越しでもハッキリと分かる、10人の中でも最大級の『豊潤さ』が、キッチンへ向かう時に「ゆさっ」と存在感を放っていた。す、すっげぇ……。
しかし彼女の魅力は、何も外見的な部分だけじゃない。
背は高めで母性を感じさせるミナの、ゆっくりした喋り声を聞くだけでも、癒される。
細やかな気配りができるし料理も上手だし、こんな子と結婚できたなら、最高の新婚生活を送れるだろうと想像してしまう。
(でも……)
冷たい牛乳をゴクリと飲み、しかしそんなミナにも『陽菜』を感じてしまう。
陽菜は――迷子の子供を案内したり、引っ越し前の町で近所に住んでいた家族の赤ちゃんを抱く時などは、まさにミナのような慈愛たっぷりの表情を浮かべていた。あの時の陽菜と、そっくりなのだ。
(『牛乳の飲みすぎには気を付けて』って、メモにも書いてあったし……)
トントントントントン。
ミナのリズミカルな包丁捌きの音を聞きながら、メモ用紙との共通点を見出す。
しかしそれだけで、ミナ=陽菜と断定することはできない。
(
トントントントントントントン。
幸せな新婚生活をイメージしてしまう、エプロン姿なミナの料理音。
だが妹かもしれない相手を、新妻と想定して妄想するのは流石にヤバイかと考えつつ、牛乳をグビリと口に含むと――。
「――ん?」
違和感に気付いた。いや、再認識したと言った方が良い。
昨日の朝も、昼飯にとコンビニで買って学校で飲んだ時も、家に帰ってきてからジュジュに奪われて飲まれる直前も。
俺の舌は、『異変』を知覚していたんだ。
「ミナー?」
「はーい? なんですか、お兄さ~ん?」
俺は椅子に座り、ミナもトントントンと調理したまま。
背中を向け合った状態でミナを呼んで、彼女も応える。
小学生の頃から「身長が伸びますように」と祈りながら飲み続けてきた『まろやか牛乳』。
結果は
ただ――。
「なんかさぁ……」
トントントントントントン。
包丁が食材を切る音を聞きながら、俺は自分の味覚ではなく、この『白い液体』を疑う。
「……まろやか牛乳、味が変わった?」
ト。
包丁の音が、止まった。
「……気のせいじゃないですか~?」
「えー? うーん、確かに変わったと思うんだけどなぁ? 本来は、こう……。もっと味が濃くて、まろやかなコクが……」
物価高や、猛暑で牛達が弱ってしまうことがあっても、まろやか牛乳を製造するメーカーだけは、一定のクオリティを保ち続けてきた。その信頼もある。
だからこそ、何かオカシイと思って――。
「お兄さん」
ふと、背後から声が聞こえてくる。
その声は、ミナのものであるはず――なのに、いつもの穏やかで、おっとり間延びした声ではなかった。
短く切り捨てるような、優しさを感じられない冷たい声。
そして彼女はいつの間にか、キッチンを離れ、俺のすぐ近くに来ていた。
「……ミナ?」
ミナらしくない声に、不思議に思って振り向くと――。
俺のすぐ後ろ、椅子の背後に立つミナは――無表情で俺を見下ろしつつ、右手に包丁を握りしめていた。
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