第11話 満月(フルムーン)と妹をさがして
「1……2……3……4……5……6」
布団の中で、6秒を数える。
「1、2、3、4、5、6」
再び6秒数え終わって、深呼吸する。
密着したイツキの、風呂上りの体温を感じる。
「123456!」
またしても6秒を数えて、心を落ち着ける。
イツキから漂ってくるシャンプーの匂いに、またしても――。
「ふふっ。もー、何回数えるの。お兄ちゃん」
「し、仕方ないだろ……っ!」
何度も何度も6秒を数えて冷静になって。しかしまた、即座に心を掻き乱されてしまう。
当たり前だろ。妹とよく似た、しかし妹とは思えない美少女と、同じベッドで寝ているんだから。
『女子と同じ布団を被って、向かい合って寝る』という人生初の状況に、この事態でも動じない男子がいるのなら、教えてくれ。……いや
「んふふ。妹相手に、緊張しちゃってるの~?」
横たわって俺と向き合うイツキは、からかうような口調で、上目遣いで見つめ上げてくる。
そして、ごく自然な動きでズリズリと、距離を縮めてきていた。
「待て! それ以上の接近はダメだ! こっから
俺は身をよじり、少しでも距離を取ろうと必死になる。
だが既に、背中には部屋の硬い壁が――窓際の壁が、ぶち当たっている。完全に
せめてもの対策として、シーツを手刀の指先でなぞり、シワを作って真っすぐに
このラインから内側は俺の
「えいっ」
しかしイツキは、シーツを手でぐちゃぐちゃっと乱し、兄と妹の国境線を取り払った。
「なんてことを!」
「宇宙から見たら、国境線なんて存在しないんだよー?」
「ぐうの音も出ない名言」
ラブ&ピースの精神に
それでも、兄妹でラインを越えたら――大変なことになる。
「そんなに嫌がることなくない? 前の家では、よく一緒に寝てたでしょー?」
「……だ、だからって……!」
茶髪なイツキも、やはりかつての柏木家の事情に詳しい。
俺の中学卒業と同時に引っ越してきた、この家。その以前は遠く離れた町の、割と小ぢんまりした家に住んでいた。
学者夫婦で結構稼いでいたと思うが、庶民的な家屋や生活スタイルを好む両親だった。
小学生くらいまでは家族四人の寝室が一緒で、父さん、俺、陽菜、母さんという並び順で寝ていた。
しかし
それまでは、ほぼ6年間、陽菜とは同じ部屋で寝ていたんだ。
「久々にお兄ちゃんと寝るのも、楽しいね~。……ねぇ、せっかくだし何かお話でもしよっか?」
イツキはまるで女友達を思わせる、もしくは無邪気だった小学時代の陽菜のようなテンションで、明るく話しかけてくる。
だが成長した身体は女子高校生らしく、身長は低めなのにシッカリと立派なモノをお持ちだった。
だというのに子供っぽい明るさや陽気さ、気配りのできる優しさも持ち合わせており、そのギャップで俺の心は大いに揺れ動く。
「は、話って、何を……」
俺としても正直、『陽菜からのメモ』について聞きたい気持ちはある。
だがイツキの整った顔が至近距離にあって、風呂上がりの良い匂いが漂ってきて。今にも触れそうな胸や足に、内心で6秒を数えるので必死だった。言葉が全然出てこない。
「……お兄ちゃんさ。結局、誰が良いの?」
「はへぇっ!?」
変な声が出てしまった。恥ずかしい。また6秒を数えなければ。
「妹がたくさん増えて、みーんな新也お兄ちゃんのこと大好きだけど……。お兄ちゃんは? もし付き合うとか結婚するなら、誰が良いとか思ってたりする?」
まさかイツキが、こんなストレートな
向日葵を思わせる、明るく活発な性格だけど――こういう色恋沙汰には、もっと慎重なのかと思っていた。
「き、決めてねぇよ……! そもそも、妹相手に……っ! いや、妹と断定したわけじゃないけど……!」
「私は養子だし、血が繋がってないんだし、問題はないよ?」
「いやあるだろ! 法律とか倫理とか、社会的評価とか色々――!」
「――誤魔化さないで、お兄ちゃん」
突然、真剣な声で言葉を遮られる。
正面から抱き着いてきて、背中に腕を回される。拒否や抵抗をする暇もなかった。
互いの吐息や、心臓の鼓動すらも感じられそうな距離で――真っすぐに、イツキは俺を見つめてきた。
「私ね……正直なことを言うと、私一人だけで良いって思ってた。……今でも思ってる。お兄ちゃんのことが、他の誰よりも一番好きだし。お兄ちゃんにも、私のことを一番好きになって欲しいから」
明るく、優しくて、『10人の陽菜』達のまとめ役で。
でも――それは、彼女の全部ではなかった。
「お兄ちゃんが『他の陽菜ちゃん』と会話しているのを見てる時、実は私が結構嫉妬してるの、気付いてた?」
彼女は微笑む。そこに、少しばかりの『暗さ』を含んで。
逃げられない。
イツキの小さな手が俺の背中を撫で回し、細い足を絡めてくる。
朝食や夕飯の時の明るさは鳴りを潜め、月光に照らされるイツキの表情は、妖艶とすら呼べるほどで――とろんと蕩けた瞳に、吸い込まれてしまいそうになる。
「……ねぇ、お兄ちゃん……」
「い、一姫……」
囁くような声に、俺の理性は溶けていく。
6秒を数えるアンガーマネジメント法など、とっくに忘れていた。
そしてイツキは口を半開きにし、その瑞々しい唇から――。
「……すーっ……。すぅー……っ……」
瞳を閉じ、静かな吐息を吐き出して。穏やかに、寝息を立て始めた。
「………………。……あ、あっぶねぇええ……っ!」
睡魔に抗えずイツキが寝落ちしなかったら、どうなっていたか分からない。完全に
本日最後にして最大のピンチは乗り越えたが――イツキを『陽菜の部屋』へ戻そうにも、ガッチリ抱きしめられており、身動きできない。
「……まぁ、良いか……」
今度こそ6秒を数えて、冷静になってから。
気持ち良さそうに寝ているイツキを起こすのも悪いと思い、そのまま諦めて――俺も瞳を閉じて、寝ることにした。
***
柏木新也と妹の一姫が同じベッドで眠りに就いた、数時間後。
町の夜空には星々が輝き、宇宙の暗黒にぽっかり風穴を開けるかのような、巨大な満月が浮かんでいる。
満月から降り注ぐ月光は、町全体や柏木家の屋根も照らし――その月明りの下、屋根の上にいるイレヴタニアの銀髪にも反射して、静かに輝かせていた。
イレヴタニアは銀色の髪を夜風に揺らしつつ、風呂上がりの姿で、白いTシャツと黒いハーフパンツを着ている。
白Tシャツの胸元の
薄着のまま屋根に座る銀髪少女は、黒く無骨な銃を抱えている。
丸い月が浮かぶ満点の星空を、無言で見上げていた。
「……私、この空嫌いなんだよね」
ふと、イレヴタニアに声がかかる。
瑠璃色の瞳を其方へ向けると、二階の『陽菜の部屋』の窓を開け、パーカーを着た
「嘘臭くてさ。私達の本当の世界は、こんなモンじゃ……」
苦労して這い上がり。パーカーのポケットの中に両手を突っ込みつつ、背筋を伸ばして立ち上がった、その矢先――強い夜風が吹きつけ、ジュジュはバランスを崩した。
「ひゃっ……!」
可愛らしい悲鳴が上がる。しかし「可愛い」などと思う暇もなく、状況は危機的。
青ざめるジュジュを――咄嗟に立ち上がって左手を伸ばしたイレヴタニアが、助けを求めるようにポケットから伸ばされたジュジュの腕を、右手首を掴む。
そして細腕から発揮される膂力でジュジュの身体を引っ張り、屋根から転落してしまう悲劇を防いだ。
「……あ、ありがと……」
ドヤ顔で「この星空、嘘臭くて嫌いなんだよね……」とかカッコつけておきながら、屋根から落ちかけて。そこを助けられた事実に、ジュジュは頬を赤く染める。
「
しかしイレヴタニアは、どこまでも無表情。
ただ――恥ずかしさに頬を染めるジュジュを見て、
「……兄さんにも、それくらい素直に接すれば良いのに」
すると。それまで照れていたジュジュの顔から、赤みがスッと消えた。
「……私は、アンタ達と違うから。お兄ちゃんだのお兄様だの兄さんだの、馬鹿みたい」
吐き捨てるように言って、ジュジュは屋根の上へと腰を下ろす。
「………………」
その様子を無言で見つめたまま、イレヴタニアも再び座り込んだ。腕の中には、スナイパーライフルを抱えたまま。
「私は私のやり方で――」
瞬間。
ジュジュの言葉を遮り、イレヴタニアは銃を素早く構えた。
スコープを覗き、銃口を南南東に向けて。
相変わらずの無表情ではあるが、そこに『狩人』の気配が宿る。
「っ!」
ジュジュも咄嗟に立ち上がり、イレヴタニアが照準を定めた先へと、目を凝らす。
そこには――住宅地の一角に停めた黒い車の陰に隠れ、軍用ヘルメットを被り、ガスマスクで顔全体を覆った、迷彩柄の服を着る、三人の男達がいた。
高い身長やガッシリした体格からして、おそらく全員が男であると判断できた。
彼らはXM5アサルトライフルや
一人は柏木家の方向に双眼鏡を向け、一人は無線機でどこかに連絡している。もう一人は、周囲を警戒しているようだ。
その姿を視界に捉え、ジュジュは屋根の上で忌々しそうに舌打ちした。
「アイツら……。もう、こんな所まで……!」
「………………」
だがイレヴタニアは冷静さを崩さない。
ほんの少しも銃身がブレないまま、ガスマスクの男達をスコープ越しに捕捉し続ける。男の頭部に狙いを定め、決して目を離さなかった。
「……大丈夫。『境界』の内側までは入ってこないはず。……でも仮に『規定』を破って、侵入してきても――」
狩人は、静かに殺気を凝縮する。言葉少なく、じっと動かず、呼吸すらも減らして。
まるで、その場に存在しないかのような。
『自分自身』すらも、極限まで希釈して気配を殺す。
しかし身にまとう雰囲気は、ジュジュすらもたじろぐほどの熱気を秘めていた。
「
強い決意が込められた言葉。
スコープを覗く瑠璃色の瞳には、迷いなどない。
それを目の当たりにしたジュジュは、納得したように息を吐いた。
「……『オリオン部隊の白い死神』がそう言うなら、任せるよ。じゃあ、私は寝るから」
「うん。おやすみ……陽菜」
「おやすみ、陽菜」
そう言ってジュジュは屋根から下りていき、イレヴタニアは満月と星空の下、静かに銃を構え続けた。
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