第8話 お願い☆ティーチャー

「おはよー」

「なぁ、昨日の動画見た?」

「ちょっと聞いて、アタシの彼氏がさ~」

「アレ、今日の小テストの範囲ってどこまでだっけ?」


 金次郎キングの手鏡に映った、コンビニ内の異様な光景。

 それを振り切るように学校へと向かい、教室のドアを開けると――そこにあった風景は、懐かしい『日常』そのものだった。


「やべやべ、もう先生来るじゃん」


「だから早く選べって言ったんだよ」


 俺は教室の後ろ側の席に座り、呆れた声を漏らしつつ。コンビニ袋をガサガサ漁る悪友の背中を見つめる。

 計画性がないなと感じつつも、昔馴染みのキングと同じクラスに所属できたことを知り、安堵していた。


 高校一年生の秋に事故に遭い、17ヶ月も意識を失ってから、久々の登校。


 三年二組の教室には、顔も名前も一致しない連中が、朝の雑談に花を咲かせていた。

 俺とキングは元々この町の出身ではないし、特に俺はキングほどのコミュニケーション能力も持たない。高一の前半は、他クラスのキング以外とほぼ交流せず、教室内では常に片隅にいるようなタイプだった。


 そして夏休み明けも馴染めないまま、俺は入院し。

 昏睡している間、皆は二度の進級やクラス替えを経て――大学受験や就職に向けて、加速していく時期に入った。


 なのに俺だけ、未だ気分は高一の秋のまま。16歳で時間が止まっている。浦島太郎状態だ。


 知らないクラスメイト達。既に完成している友人グループ。

 高校の勉強が1年半分まるまる欠如したまま、俺は受験生となってしまった。


 だが、まぁ……なるようにしか、ならないだろう。


 『妹が10人に増えた』異常事態よりは、そこまで困難な状況ではないはずだ。


「はーい、お前ら席に着け~」


 コンビニで買った朝食おにぎりを、キングが急いで頬張っている途中。

 朝礼の時間を告げる本鈴チャイムが学校中に鳴り響き、談笑していた生徒達も慌てて自分の席へと戻る。


 そして教室に入ってきたのは、黒髪ロングで赤い眼鏡をかけた、白衣をまとう女教師だった。


 年齢は二十代後半から三十代前半くらいか。美人だが、化粧がちょっと濃い。化粧しなくても、凄く綺麗そうな顔立ちをしているのに。


 ……てか、口元に何か、プラスチック製で細長い、赤色の棒を咥えている。

 え、電子タバコとか加熱式タバコってやつ? 良いのか? 教師が学校でそんなモノ吸っても。


「風紀委員と図書委員は、昼休みにそれぞれ生徒指導室と図書室に集合だそうだ。あと、昨日の掃除担当は4班だったかー? ゴミ捨てを忘れていたぞ」


 呼出煙ニコチンなのか水蒸気なのか分からない、白い煙を口から吐き出し。この黒髪ロング赤眼鏡な喫煙お姉さんが、三年二組の――俺の担任というわけか。

 俺が高校一年の時には見なかった顔だが、去年か今年の春に赴任してきたのだろう。


 担任の先生は電子タバコを咥えつつ、淡々と連絡事項を告げていく。

 既に委員会の所属や掃除当番の班決めも済んでおり、俺の気分はますます浦島太郎モード。時代に取り残された、お爺ちゃんだ。


「……それから。長期で入院していた柏木が、今週から復帰することになった。皆、色々と手助けしてやれよ」


 クラス内の数多の視線が、教室後方へと集まる。


 一斉に振り返った生徒達の姿に、今朝のコンビニでの異様さを目撃したばかりな俺は、心拍数が跳ね上がってしまう。


 しかしキングだけはニヤニヤした表情を浮かべつつ、小声で「オレらの担任、ケッコー美人っしょ? ラッキーだったな、にいやん」とからかってきた。

 別に担任が男だろうと女だろうと俺は気にしないが――キングのおかげで、6秒を数える必要もなく、動揺や緊張は多少ほぐれた。

 まったく、頼りになる悪友だ。


「私が担任の『雛森ひなもり真妃まき』だ。分からないことや困ったことがあれば、いつでも相談すると良い。柏木新也」


「は、はい」


 教室内で堂々と電子タバコを雛森先生だが、生徒達は誰もツッコまない。

 とはいえキツそうな見た目や男っぽい口調とは裏腹に、言っていること自体は教師として凄くマトモだし、優しい。だから許されているのだろうか?


「……マキちゃん先生、真面目な生徒には優しいけどさ。テストでオマケしてくれたり、校則違反を見逃したりは絶対にしねぇから。油断すんなよ、にいやん。『鉄の女王アイアンクイーン』の異名は、ダテじゃないぜ」


「オイこら、王子ー。ちゃんと前を向かんか。また生徒指導室に行きたいのか? 女の敵め」


「にいや……柏木君に学校のこと、説明してただけですって! それに先週、女の子を泣かしたのはイジメじゃなく、『既に恋人アケミちゃんがいるからキミとは付き合えない』って断っただけって、さんざん言ったでしょ!?」


「どうでも良いが、口元に米粒ついてるぞ王子」


「おわ! オレのイケメンフェイスが台無し!」


 雛森先生とキングの掛け合いに、教室内ではドッと笑いが起きる。

 釣られて俺も、口元が緩んだ。


「はは……」


 久々の登校で、色々と不安な要素も多かったが、このクラスの雰囲気はかなり良いみたいだ。

 真面目にさえしていれば、担任の雛森先生は厳しく言ってこないみたいだし。

 幼馴染キングもいるし、高校生活最後のクラスは『当たり』と言って差し支えないだろう。


 こうして俺の――1年5ヶ月ぶりの、高校生活が再び始まっリスタートした。




***




「柏木。ちょっと待て」


 朝礼を終え、一時間目が始まる前の僅かな時間。


 俺とキングは男子トイレへ行こうと廊下に出たが、雛森先生に呼び止められた。

 キングは「先に行ってるぜ~」と言い、廊下の角を曲がっていく。


 そうして一人取り残された俺は振り返って、少し緊張しながら先生と対面する。


 担任とはいえ初対面だし、女性の割に身長は高めで目線が近く、間近で見ると美人っぷりがよく分かる。

 下品な言い方だが、今まで出会った恩師達の中で一番『エロい女教師』という言葉が当てはまる。赤い眼鏡、良いよね。

 それだけに、やや厚めの化粧と口元の電子タバコだけが、実に残念な部分だった。


「お前の両親……今は、海外に行っているんだって?」


「えっ? そ、そうらしいですけど……。どうしてそれを?」


「実は私は、達……お前の両親に昔、世話になったことがあってな」


 俺は驚きで一瞬、声も出せなかった。

 今朝からずっと、驚いたり困惑してばかりだ。一日に許容できる情報量を、とっくにオーバーしてる。まだ午前9時前だぞ。


「父さんと母さんと、知り合いなんですか……!?」


「あぁ。大学院生の頃に、色々と研究の手伝いをしたり、あるいは多くの知識を学ばせてもらった。普段は明るくてユーモアたっぷりなのに、真剣な時は誰よりも鋭い集中力を発揮するよな、あの夫妻」


 まさか両親の知り合いが、俺の担任になるだなんて。物凄い偶然であり、人の縁とは奇妙なものだ。


「だが、お二人の息子であるとはいえ、お前を特別扱いしたりはしないぞ」


「そこは特別扱いしてくれるところでは!?」


 思わずツッコミを入れると、雛森先生は白い煙を吐き出しながら微笑んだ。化粧が濃いけど、ちょっと可愛い。


「柏木は入院中に意識不明で、定期試験や進級テストを受けることすらできなかっただろう? 特例によって今は一応、三年生という扱いだが……。高校一年の後半の勉強と、二年生の内容もシッカリ把握して貰う。放課後に補習や追試を受けて、『三年生まで進級できる学力を持っています』ということを、証明するんだ」


「うっへぇ……」


 それはつまり、高校一年の秋~高校三年の春までの勉強を今から詰め込んで、周囲に追いつかないといけない、ってことか。

 しかも今後の高三の授業も、周囲と同じように受けて覚える必要がある。


 ……あまりにもシンドい。

 親の仕事の都合で引っ越してきて、受験したこの学校は、ただでさえ県内有数の進学校だというのに。


 キングは楽々と合格していたが、俺はギリギリの点数で入れたようなものだ。だからこそ、高校最初のテストで赤点を取り、脱走事件に繋がったわけだし。


 どう足掻いても、追試に受かる未来が見えない。


「分からない箇所があれば、教科担当の先生か、もしくは私の所に聞きに来い。私の担当は倫理だが、他の教科もだいたい全部教えられるから。『雛森先生スゴイですね』って言え」


「雛森先生スゴイデスネ」


 いや実際、どんな科目も教えられるなんて、とてつもない才女だ。

 だが俺の両親と一緒に研究? をしていたのなら、あり得る話なのかもしれない。


「ま、柏木博士達の息子なら大丈夫だろう。これから一年、よろしくな」


「よ、よろしくお願いします」


 雛森先生は俺の肩にポンと手を置き、黒いロングヘアーと白衣をひるがえして、職員室へと戻っていった。


 そして俺も、キングの待つトイレに行くため、振り向くと――。


「……お兄ちゃんっ!」


 背後から、『陽菜』の声が聞こえてきた。


 キングの「新也にいやん」呼びを「にいやん」と聞き間違えた時とは違う。明らかに、今朝の柏木家で聞いたうちの、誰かの声だ。


「ヤッベ!」


 そういえば一姫イツキ三奈ミナは、この学校の女子用制服を着ていた。他の陽菜達も、もしかしたら10人全員が通っているのかもしれない。


 俺は背後を振り返ることなく、男子トイレへとダッシュで避難エスケープした。

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