第8話 覚醒と羞恥の狭間にて


私は肩から腰にかけて抉れるような鋭い痛みにより、夢の世界から引き離され瞼を開く。


「っく.....」


熱を帯び、鉛のように重くなった頭を右手で支え、自分の身に何が起きたのか記憶を想起させる。

今分かることは一人の老人が自身を救ってくれた事、そして私の命は今も鼓動している事だ。


ズキズキと痛む胸元を押さえながら、何とか上半身を起こして自身の様子を確認する。

右肩から裂かれた胸元の傷は包帯が巻かれ、ツンっとした薬品の匂いがする。

どうやら誰かが私を治療してくれたらしい。


私は自身の胸元から視線を部屋の中に移し、周りを確認すると左側に窓がある。覗く先は暗闇に支配されており、今の時刻が夜であることを告げている。


部屋は私がいるベッドに加え、物を出し入れ出来る簡易的な戸棚とテーブルがある。

見たところ一般的な民家のようだ。ヘルウルフに襲われた私を治療したとなれば、必然的にこの家の主か、あるいはそれに連なる者だろう。

故に私は避けていた現実に目を向けなければ行けない。


そして目が覚めてから、わざと見ていなかった現実の方へと目を向ける。

目を向けた先には安楽椅子に揺られながら読書をする一人の老人がいた。



目が覚めたことに気づき、こちらに視線を移した彼は、腰まで伸びきった老髪をひと結びで括り、和国と呼ばれる東の地で伝わる独特の服装である袴を身にまとっている。

そうこの人物こそ、百二十年前の大英雄であり私の願いを蹴飛ばした張本人【幻狼の翁】エルトリアその張本人であった。


「お目覚めかい?お嬢ちゃん、何を思って森へ入って行ったのか知らないが、あそこは中位の冒険者ですら中々入り込むことはしない危険な森だとわかっての行動か?」


彼はかけていた老眼鏡を外し、私に声をかける。

だが私は彼に対して冷たく返事を返す。


「なんで私を助けたのかしら?貴方は私を助ける義理なんて無いはずだわ」


本当はすぐにでも彼に礼を言うべきなのかもしれない。だけど私はそれよりも、あれほど関わりを持ちたがろうとしなかった彼が、今になって私を助けた理由が深く疑問に残る。


「言っておくが、お前のために助けた訳じゃねぇ、カティに漬けていた貸しを返したまでだ。ま、お前を家に置いとくのは癪だが、怪我人を追い出すほど俺は落ちぶれちゃいねぇよ。その怪我が治るまでは面倒見てやるから安心しな」


目覚めの疑問はそうそうに早く応えが告げられ、彼は嫌々ながら面倒を見ていると言わんばかりの態度をとっている。


「あらそう、なら一応感謝しておくのだわ。それと叔母様の名前を出すと言うことは貴方、自分があの"大英雄"と認めたってことでいいのかしら?」


「さぁな、お前さんが思いたいように思えばいい。俺からは何も言わん」


あんな素っ気ない態度だが一応私を助けたのは、やはり彼らしい、私を助けてくれた.....助けてくれた?なら誰が私を治療したのかしら?彼の感じからしてここは彼の家なのだろう。


包帯の上からも膨らみを感じられるふっくらとした胸を手で押え、考えたくも無い最悪の可能性が垣間見えてくる。


ということは私の胸元私治療したのは.....そしてあの時服も一緒に引き裂かれただろうし、よくよく考えれば、上半身は包帯だけで布一枚すら着ていない.....。


想像すればするほど憶測は確信へと変わり、焦りと怪我の疲労で脳は思考の限界を迎え、何とか理性によって爆発しそうな感情を抑える。

そしてこの確信めいた疑問を確実なモノへとすべく、たどたどしい口調でエルトリアに質問を投げかける。


「もっ、もしかして私を、ち..治療したのは貴方なのかしら?」


そして彼は差も当然かのような口調ではっきりと答えを告げる。


「当たり前だろう?魔物を追っ払って瀕死のお前を治療して、森から担いで来たのは誰だと言うんだよ。逆に聞くが、今お前が寝ているそのベッドに心覚えがあるのか?」


告げられて事実に彼女は茹でダコの様に顎の先からてっぺんまで、真っ赤に咲き頃を迎えた花の様に染め上がる。


「アホ!変態!エロジジィ!普通考えて遠慮するでしょ!?なんで男の貴方が乙女である私のかっ身体に触れているのよ!」



羞恥と混乱により、近くにあった枕をとっさに彼の顔目掛けて投げつける。


「っ!?バッカお前、命の恩人に対してその態度はないだろ?それにしわしわのジジイ如きに恥ずかしがってのか?(笑)」


「うっうるさい!人としてのマナーに欠けるのだわ、とっと部屋から出て行きなさいよ!は・や・く!」


痛む傷口を我慢しながらベッドから立ち上がり、彼を部屋の外へと追いやる。


「これだから若けぇやつは逐一気にしすぎたんだよ。ガキじゃねぇんだからさ、そもそもお前みたいなガキに誰が興奮すっ―――」


バタンッ!何とかルミナリアは部屋からエルを追い出し、即座に部屋の扉を閉める。


「はぁ、はぁ、ったくもう///なんなのよあの爺さん、普通に考えて女性の手当ては女性でしょ!なんでなんでそんなことも理解出来ないのよ!あぁもうもうっ」


無意味に投げつけた枕を拾い直し、枕に向かって弱々しい八つ当たりを繰り返す。それが意味の無い馬鹿げた事だというのは分かっている。

だけどそうしていないと、この羞恥で満たされた感情こころは冷静を保てないのだ。



老人とは言え、異性である彼に私の裸体を見られた...。そう異性である彼にだ!有り得ない、有り得てはならない.....自分で言うのもなんだが、これでも一応高貴な身分の人間だ。

それなのにあろうことか、結婚もしていない若い少女(自分)が婚約もしていない男なんかに裸体を見られた.....その事実だけでも頭が痛すぎる。


「あぁ.....私はもうお嫁なんかに行けないわ.....」



悶々とした感情は吐き出したくても吐き出す方法は無く、それどころかこの愚痴を言う相手すらいない。

なぜなら、ここは彼女がいた森王国では無く人族の王が治世を引く街のひとつ、酒都ブルゴーニュの一角なのだから。






ベッドの上で悶え、隠しきれない彼女の感情は足をジタバタさせ、体の動きとなって現れる。

あれから少し時間が経ち、長々と彼女がベッドの上で悶えていると、コンコンッと部屋の扉がノックされる。


「入るぞ」


そう言い放つと、この家の主は躊躇いもなく扉を開き、持ってきたお盆をテーブルの上に置く。


「ちょっと!少しは了承の返事を待ってからにしなさいよ!」


「生憎と俺はそこまで気が利く男じゃなくてね。この家は俺が主だ、俺のやりやすい方法で暮らす」


この男に何を言っても仕方のない事なのだろう。もとより、あれほど頼み込んでも無関係を貫き通す頑固な人間だ。

ルミナリアは彼の説得を諦め、話題を彼が持ってきたモノへと移す。


「何か持ってきたようだけど、何を持ってきたのかしら?」


彼女は立ち上がり、テーブルのお盆を覗くとほわほわと湯気を立てて食欲をそそるいい匂いが香りだって来る。


「瀕死の怪我を負ったとは言え、腹は空いているだろう?有り合わせのモンだが麦粥を作ってきた。飲み水はそこの魔導瓶からコップに移して飲んでくれ。食べ終わった器はまた明日の朝に顔を出しに来た時に取りに来る」


彼はそう言い終ると部屋を出ようとして立ち止まる。


「そういえばお前、名前はなんだ?」


「ルミナリア.....ルミナリア・ハープティよ」


「そうか、それじゃまた明日な」


彼は聞きたいことを聞き終えたのか、そそくさと部屋を出ていくのであった。



彼が置いていった器に盛られたひとつの麦粥、そして魔力を流し込むことによって水が湧き出る魔導具、魔導瓶。


私はこれを口にして大丈夫なのだろうか?そんな疑問が彼女の脳裏を過る。

彼女はもとより毒殺などを恐れる身分にいた存在だ。叔母の元戦友とは言え、その確証など無いに等しいし、今これを口にしたら即効で眠らされて人質にされるかもしれない。


彼が自分を害そうとするのか、そんなの分かりきっている。


NO


こんなの鼻から疑問に値することでも無い、だが彼女の出自と名家の娘としての理性が口につけることを拒絶しようとする。


そんなどうでもいいことをウンウンと頭を捻らせながら悩んでいると、


クゥゥゥゥ.....部屋に空腹の鐘が木霊する。


なんやかんや彼に対して思うところはあるが、腹は正直なようだ。


「今更考えたって無駄だわね。私を助けたのには変わりないし、疑うだけ疲れるのだわ」



彼が持ってきた麦粥は塩と鶏のダシで作ったシンプルな味付けながらも、鶏のダシが良く効いており空腹の胃袋に染み渡る。

昼から酒を飲んでいる飲兵衛のくせに、これまた料理が上手いのが彼女の癪に障る。


「変なやつ.....」


こうしてルミナリアは彼を拒絶しつつも少しは見直すのであった。





場面は打って変わって余った麦粥を肴に酒仰ぐエルトリア。

しかし、グラスに注がれたワインは一向に減る予知は無く、食事と呼ぶにはあまりにも機械的で、ただただ無性に麦粥を口元に運び、胃の中へと流し込む作業へと変わっている。


「はぁ、あぁまで文句垂れることはあるか?負傷者の扱いなんてそこまで大差ないだろ.....」


そう虚空に向かって彼はボヤく。彼とて一応悪いとは思っている。だが、彼の価値観はに始まった戦争を生き抜いた戦士としての考えであり、彼からしてみれば男だから女だからといって戦場では一考するに値しない。


そこに怪我人がおり治療せねばならぬのなら、性差、種族関係なく治療してやり衣服を整えてやるのが礼儀だと考えている。


彼に落ち度があるとするならば、治療後の衣服の着せ替えまで彼がやってしまったことだ。

さすがに治療のため衣服を脱がすのならば仕方がないだろう。

治療のために見られてしまうのは仕方ないがそれ以上となると、流石に彼女とて納得がいかぬだろう。


若き少女に叱られたことがそこまで効いたのか、なかなかグラスの方へと手が進まない。


「ちっ、これじゃ美味い酒なんて飲めやしねぇな。ちとギルドの酒場にでも顔を出しに行くとしますか」


彼はそう決断する否や、日頃持ち歩く刀を帯刀し、家を後にするのであった。


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