【第一章】奮い立つ英雄の竜狩り(ドラゴンハント)
第1話 酒に揺蕩う老人
長い長い夢を見ているような気分だった。
始まりはとても優しく、その温もりに身を預けていたいような感じで、徐々に徐々に夢は悪夢へ変貌し、胸を焼き付けるような熱い苦しみが胸を満たす。
そんな苦しみにうずくまって明け暮れていると、師匠とかつての仲間達が自分の手を取り、苦しみからすくい上げてくれる。
彼らと共にすれば、どれだけ心地の良いことだろう。そんな幸せにどっぷりと浸かっていたい。
しかし、現実は非情である。
彼には幻だとわかっている、自身の脳が過去の記憶を元に創り出した幻想であることを知っている。
それでも!彼らに触れようと必死にもがき、手を伸ばすと、思い出の人物達は朧気に歪んで触れることはできない。
意識はどんどん夢の世界から引き離されてゆく。目を覚まし、起きれば虚しい現実が待っているだけ。
あぁ、幻の中であろうとも、私は幸せの中で生きたい、私は夢のゆりかごの中で、揺蕩う世界を見ていたい。
そんな願いも虚しく、意識は覚醒へと至り瞬きをすると同時に現実の目と連動し、まぶたが開かれる。
目を開くと夢は現実と差し代わり、いつもの見慣れた天井と、しわ枯れた腕が天井へと伸びている光景が映る。
伸ばされた腕を頬に当てると、一筋の涙が流れていた。
「朝か.....こんな歳になってまで過去を引きずってるのは俺だけだろうな」
頬に流れている涙を親指で拭い去り、ベッドから起き上がる。
【第二次魔神戦争】の集結から百年とちょっとの時間が過ぎた。【幻狼の翁】エルトリアは、地に住まう者達から世界を救った者としてあらゆる種族から讃えられ"大英雄"と称された。
そんな彼も戦争終結から十年近くは忙しい毎日を送っていたが、今では地方都市でひっそりと隠居生活を送る日々である。
エルトリアが暮らすのは、その人口の大多数を
"酒都"と名が着くように、温暖な気候を生かしたワインの名産地でありながら王都へ向かう中継地点としては、この国最大規模を誇る街であり、そのため他の地域から交易品が多く流れることもあってか多種多様なお酒が多く集まり易いことも後押しすることがあり【酒都】と呼ばれるようになった。
そんな酒の名産の商業都市にある住宅街の一角に彼は住んでいる。家はこじんまりとした家ながらも、小スペースの庭を有する立派な戸建てだ。
大英雄の家とは思えないほど庶民的だが、彼の気質があまり豪勢な物を好まないことと、表舞台から身を引いたことが起因しているのだろう。
エルトリアはベッドから起き上がり、小棚の引き出しからゴム紐を取り出し、色が抜けきった長い老髪を後ろでまとめ上げ、一つ結びにする。
「髪紐.....髪紐....まぁこれでいいな」
起き上がった俺は、ゆっくりとした足取りで一階へと降り、キッチンまで向かい目を覚まさせるべく蛇口をひねる。
流れ出る水を両手いっぱいに貯めて、勢いよく顔にふっかける。朝一から冷えた水はちと老体には厳しいが、その代わりに冷水はしわ枯れた顔の隅々までを潤し、張りのある肌へと変貌させてくれる。
顔を洗い身支度を整え一本の剣を持って、庭先に出る。魔王の首を討ち取り平和な時代になり役目を終えて今更、振る理由も振る目的も何もかも無い筈なのに、何故か俺の肉体は無意識に朝稽古へと向かおうとする。
「ま、しゃーねぇわな。"数百年"と続けたクセがそう簡単に抜けるものでも無いか.....」
そうボヤくのもこれで何千何万回なのか、それは誰も知る由もない。
庭に向かい出ると登り上がる太陽が燦々と輝き、植物たちは太陽から受ける恩恵により、その姿を青々と主張している。
庭は小スペースながらも剣を振るうのには十分な広さがある。いつもの如く庭の真ん中に立ち、正眼の構えから一切ブレのない素振りを繰り返す。
「『ブレが無くなって三人前、空を裂いて二人前、音を置き去りにして一人前、そこからようやく剣士としてのスタートラインだ』ってよく言ってたな師匠。」
懐かしき過去になぞらえて、一切のブレ無く空気を切り裂き、音を置き去りにして繰り出されるその素振りは、彼がどれだけ長い年月剣を握ってきたかを物語っている。
一通り素振りを終え、剣の型を舞う。
流麗な所作から繰り出される型の数々は見るものを魅了し、剣を扱う者であれば彼が行う技こそ剣技の到達点と理解するだろう。
それ程までに彼の剣技は極まっており他の追随を許さぬほど技として完成された所作である。
「ふっ、まるでダメだな。ただの稽古ならば師匠に近づいたかも知れねぇが、実戦じゃここまで完璧は無理だな。今更、俺に実戦なんざ、ありゃあしないだろうに――」
本人評価としては全くダメなようだ。
朝の鍛錬を初めて二、三時間が経ちエルの額には無数の汗粒に覆われていた。
「ふぅ、いい汗かいたわ。そろそろ支度時だな」
額に溢れる汗粒を手ぬぐいで拭い去り、家の中に戻り街に出かけるための準備を整える。
エルは二階の自室に戻って、服装を朝稽古の簡易的な服装から、いつもの袴姿に着替えて一本の刀を脇に差し、朝食を食べるために食堂へ向かう。
住宅街を抜け、街のメインロードを進み馴染みの食堂兼居酒屋【白兎の巣穴】に到着する。
「女将さん空いてるかい?」
暖簾を潜り馴染みの女将に声をかけると、快活の良い声が帰ってくる。
「あら、エルさんじゃない!朝のピークを過ぎてるから好きな席に座ってもらって大丈夫よ」
「それじゃ、お邪魔させてもらうわ」
カウンター席に座りメニュー表を確認して、飲み物と朝食を頼む。
「女将さん、蜂蜜酒と鴨肉のソテー頼む」
「もう、エルさんいいお歳なんだから朝からお酒とは感心しませんよ?」
「蜂蜜酒なんざ、そこまでキツくないんだからいいじゃないか、それに歳を取ると酒を飲むぐらいしか楽しみがねぇんだわ。老い先みじけぇ老人の頼みなんだ、な?」
「はぁ、仕方ないですね。注文された限りは出しますけど、ちゃんと体を労わってくださいね?」
「あぁ分かってる分かってる。いつもすまないねぇ」
「いいですよ。エルさんが酒飲みなのは、この街じゃ有名ですからね」
そう言い終えると女将は厨房の奥に戻り注文品の調理を始める。
少しの間、料理が完成するのを待っていると、注文した料理が完成したらしく鴨肉が焼ける香ばしい匂いがエルの席まで漂ってくる。
「お待たせしました。鴨肉のソテーと蜂蜜酒です」
「おぉ、これまた美味そうだな。それではいただきます」
胡椒など複数のスパイスで味付けされた熱々の鴨肉をフォークで刺し、口いっぱいに広げ、ほうばる。
厚切りにされた鴨肉を噛むたびに熱々の肉汁が溢れ出てくる!鴨肉だけを何度も食べていると普通は味に飽きを生じさせてしまうと思うが、ここのソテーは店主直々に選び抜いた複数のスパイスを調合したオリジナルの調味料を使用しており、何度味わおうともその度に新たな旨みを堪能させてくれる。
さすがに味飽きしないと言っても何度も食えば変わり種が欲しくなる。
その時にオススメなのがエルのイチオシである蜂蜜酒だ。【白兎の巣穴】の蜂蜜酒は炭酸で割りレモン果汁をかけているのでさっぱりとした味わいになっている。
ここで蜂蜜酒をゴクゴクッと飲みこむ。
口の中は甘い蜂蜜の風味にさっぱりとしたレモン果汁が蜂蜜の甘さを程よいぐらいに和らげ、炭酸の後押しにより爽快感が口の中を駆け抜ける。濃い食べ物にはもってこいのお酒だ。
「ぷはぁ、いつ飲んでもうまいねぇ」
朝食を堪能し、食べ終えたので女将に声をかけ勘定を支払う。
「女将、勘定はテーブルに置いとくぜ」
「わかったわ。それじゃまた来てくださいね」
「おう、それじゃまた」
食堂へ出て次にどこへ向かうか迷う。今日は予定が入っておらず、することがないのだ。逡巡した結果、
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