第2話 手に届かないものを想う幸福感

「そうだね。梨絵が幸せならそれが一番の選択肢だと思うよ。梨絵の幸せが一番」


梨絵の親友の千佳はいつも決まってそう口にする。


本当は今すぐにでも不倫をやめるべきだと思っている。けれど、梨絵もそれを理解した上で啓介と離れられず苦しんでいるので「梨絵の幸せ」と表現を濁して彼女をなだめている。


啓介と奥さんの間に子供という強い存在が

できてしまったため、梨絵の心は揺らいでいた。


「梨絵は啓介さんと将来どうなりたい?」


千佳は珍しく厳しい質問をした。


「啓介が離婚するなら一緒になりたい。奥さんに冷めつつある彼の気持ちをもう少し待っていたい」


梨絵はテーブルの木目をなぞりながら答えた。


 千佳と解散した後、梨絵は急いでアパートに帰った。啓介が来る前に掃除をしたかった。


掃除機をかけながら、食器を洗いながら 

彼の訪問を待つことは楽しい。なので、

毎日好きな人の帰りを待つことができる人が

羨ましかった。

 

 「おまたせ」


梨絵の好きなコンビニスイーツが入った

ビニール袋をプラプラさせながら

啓介は靴を脱ぐと、梨絵に軽く抱きついた。


「おじゃましていいかな?」


もう上がり込んでいるのに、啓介は

はしゃぐ子供のように話しかけた。


ローテーブルにモンブランのカップケーキと

コーヒーを並べ、2人はソファに座った。


「今日は何してたの?」


梨絵は気持ちはモンブランに奪われながらも、

親友の千佳とカフェで過ごしたことを

話した。


「俺のことも話した?」


「別に」


「『別に』って何だよ。絶対話の話題になったでしょ。なんて言ったの梨絵ちゃん?」


啓介は梨絵の機嫌を取るかのように

おどけて言った。


「千佳の彼氏の話だけだもん。啓介のことなんか何にも出てませーん」


梨絵はどうでも良さそうに答えると、モンブランの下の層のスポンジ部分をかき集め、ラム酒の効いたマロンペーストと一緒に口に放り込んだ。


「赤ちゃん、元気?」


梨絵自身、この質問が出たことに驚いた。


啓介は一瞬固まったが、すぐに答えた。


「あぁ、元気だよ。嫁さんと嫁さんのお母さんが付きっきりだよ」


(だから俺の入る隙がないとでも言いたいのか…)


喧嘩はしたくないので余計なことは言わず、

梨絵は口をつぐんだ。


「だからさ、俺はお金を運ぶだけになりつつあるというか。寂しいもんだよ」


「啓介からアクション起こせばいいじゃん。奥さんの体調心配するとか、奥さんに休暇をあげるとか、できることはたくさんあるよ。何をして欲しいか奥さんに聞くだけでも違うよ」


なぜ自分は奥さんの味方をしているのか

疑問になりながらも、啓介に喝を入れた。


「おぉ…そうか。ごめんごめん。梨絵ちゃんまで俺を責めないでくれよー。寂しくなっちゃうじゃん」


啓介は梨絵の胸に顔を埋めた。


胸の間で頭をブルブルされてしまうと

条件反射かのように母性本能をくすぐられてしまう。啓介との関係を切ることは、捨てられている子犬を素通りすることができないことと似ているので、今日までズルズルと続いている。


けれども、梨絵は決めていた。

そろそろこの関係を終わらせようと。

赤ちゃんもいるのだから、啓介は奥さんの元に帰るべきだと。


啓介は梨絵の考えを察したかのように、

ポツリと言った。


「俺、今日からここに帰ってきても良い?

梨絵ちゃんと一緒にいたい」


『梨絵、努力は報われるのよ』


梨絵が中学生だった頃の、浮気をされても

ひたすら帰りを待つ母親の言葉が浮かんだ。



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