仕事はデキるクズ男の過去

しょうゆ水

第1話 佐藤啓介という男

「おめでとう!!!」


祝福の言葉に溢れる今日この良き日。啓介は幸せの絶頂にいた。


社会人4年目にして、高校生の頃から付き合っていた千夏と結婚した。


元々母子家庭で育った啓介の心はただ1つ。大切な彼女には自分の母親のように寂しい思いはさせないということ。


しかし、そんな彼女への愛情は妊娠をきっかけにすんなりと崩れ去った。


悪阻に苦しみながらも気丈に振る舞う千夏が痛々しく思えてきた頃、当時働いていた眼科の2歳年下の木島梨絵と体の関係をもった。事後の話題は決まって生まれてくる赤ん坊のこと。


「ねぇ、もうすぐ生まれるんでしょ?」


「そうだな」


「どっちに似てるかな?奥さんに似てるなら美形だし、啓介似だと細い目になりそう。ふふふ」


「なんだそれ。今俺を軽くディスったな」


啓介は梨絵の頭をくしゃくしゃして、なかば強引に抱き寄せた。


「もし、俺たちの子供が出来たらどっちに似るかな?」


「もう、やめてよ。期待しちゃうじゃん」


梨絵は気持ちを誤魔化すように啓介の胸に顔を埋めた。


 心地良い睡眠から目を覚まし、ぼんやりと天井を見つめる。入院中の奥さんは今頃何をしているのだろう。梨絵はふと考える。この天井を見るのも、このベッドに横になるのも、啓介に抱かれるのも本当は全て奥さんのものと分かっている。けれど、好きになってしまった。自分だけのものにしたいとは思わないから、それは横取りになってしまうから、贅沢は言わない。ただ、一緒に恋人のようなことがしたい。彼女の思考はいつも堂々巡りであった。


 ある日啓介は淡々と報告してきた。


「生まれた」


梨絵はおめでとうと言って良いのだろうかと悩んだ。


「そっか。しばらくは赤ちゃん優先だね」


これが彼女の精一杯の気遣い。本当は悔しくてたまらない。


「いや、嫁のお母さんが2週間来てくれるってよ」


梨絵はその言葉が引っかかった。そもそも、奥さんの妊娠中に他の女性と関係を持つことが如何わしいことではある。そして、赤ちゃん優先という言葉に対して否定から入った。加えて、義理のお母さんをアテにする気持ちしかなさそうだ。自分で少しは面倒をみるという選択肢はないのだろうか。


「いや、ほら、経験のあるお義母さんがいてくれればさ、俺なんて何の役にも立たないんじゃないかとね」


梨絵の気持ちを察したかのように、啓介は慌てて付け加えた。


「これからは梨絵ちゃんのアパートで会うことになっちゃうな。 外泊も厳しくなるだろうな」


梨絵が元彼と過ごしたアパートに入るのを拒んでいた啓介だったが、とうとう妥協したらしい。梨絵としては自分の部屋の方が勝手が良いので嬉しいけれど、やっぱり私は一番ではないのだと思い知らされる気持ちだった。


 嫌いと言われた訳でもない、別れを言われた訳でもない、会えなくなる訳でもないのに、この拭い切れない不安な気持ちは何だろうと考える。梨絵は既に分かっているのに抜け出せない。奥さんへの愛がなくなってしまった啓介の気持ちが、今後離婚を考えているという言葉が、梨絵にとって期待の材料だった。

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