第78話

 死の暴君デスタイラントに痛撃を与えたおれは、宙を舞いながら、ふと彼方を――。

 おれたちが逃げてきた北の方角を眺めた。


 そこでは、いままさに。

 紅の邪眼ブラッドアイとセミの戦いの決着がつきつつあった。


 空間に、巨大な赤黒い亀裂が生じている。

 その亀裂に、巨大な目玉の化け物が引きずり込まれようとしていた。


 紅の邪眼ブラッドアイが、最後の抵抗とばかりに身をよじる。

 それだけで地面の木々が燃え上がり、周囲の空間に無差別の黒い点、空間の穴が開いていく。


 いったい、あそこでどれほどの魔力が渦巻いているのか。

 余人には介入もできない、超絶ハイレベルな戦いだ。


 だが、それでも。

 紅の邪眼ブラッドアイはじりじりと、亀裂のなかに飲み込まれていくのであった。


 セミの完全勝利だ。

 六魔衆を相手に、たったひとりでここまでやってのけるとは――。


 と、思ったとき、である。

 紅の邪眼ブラッドアイの眼球が、青く輝いた。


 次の瞬間、無数の青白い鎖が紅の邪眼ブラッドアイを中心とした四方八方に飛ぶ。

 そのいくつかが、空間の裂け目の縁に


 紅の邪眼ブラッドアイの身体は鎖によって、かろうじて亀裂のなかに飲み込まれることを逃れる。

 のみならず……。


 亀裂の鎖に触れた部分が、ぼろぼろと崩れていく。

 空間の裂け目そのものが、糸をほどくように崩壊していく。


 時空と時空を繋げる空間の縁。

 魔力で構築されたそれが、青白い鎖によって侵食され、破壊されていっているのだ。


 このままでは紅の邪眼ブラッドアイは脱出に成功してしまう。

 加えて、ふたつの時空は歯止めを失って混ざり合い……。


 付近一帯がどうなるか、わかったものではなかった。

 かなり離れたこの場所にも影響があるかもしれない。


 ひょっとしたら、森の外も。

 あるいは近隣の村落のみならず、公都までも――。


 はたして、紅の邪眼ブラッドアイは勝利を確信し――。

 その眼球が不気味に蠢いたあと、一点をみて、その動きをとめる。


 セミが、いた。

 いつの間にか、女は紅の邪眼ブラッドアイのすぐそばの空間に浮かんでいた。


 遠くてよくわからないけれど、彼女は紅の邪眼ブラッドアイに対してなにか囁いたようだった。

 紅の邪眼ブラッドアイが、動揺するように眼球を激しく動かす。


 セミの手が、紅の邪眼ブラッドアイのてっぺんに触れた。

 とたん、青白い鎖がすべて弾け飛び、もとの魔力に還って消滅する。


 拘束するものがなくなった紅の邪眼ブラッドアイが、ふたたび空間の裂け目の向こう側に飲み込まれていく。

 接触したセミと共に。


 おそらくは彼女のちからが、紅の邪眼ブラッドアイの抵抗を抑えているのだ。

 たったひとりで、六魔衆の魔力と拮抗している。


 ひとりと一体の姿が、裂け目の向こう側に消えた。

 同時に、崩壊しかけていた裂け目が少しずつ小さくなり……。


 亀裂が、完全に消える。

 夕日に焼けた茜色の空だけが、そこに残った。


「セミさま……」


 おれは、呆然と呟く。



:なに、これ

:すごいものをみた

:え、紅の邪眼ブラッドアイを封印したの、誰? ヒトなの?

:遠くてよくわからんかった

:ヤバいことが起こったのだけはわかった

:それより、死の暴君デスタイラントはどうなった?



 あ、そうだ。

 紅の邪眼ブラッドアイとセミの壮絶な戦いに気をとられていたけど、いまおれが戦っていたのは死の暴君デスタイラントである。


 その死の暴君デスタイラントは落下していき……。

 派手な音を立てて、森のなかにできた荒れ地に激突する。


 腹の底に響く音と共に、大地が、そして上空の大気が、おおきく揺れた。

 土砂が舞い上がり、そして……。


 地面に激しい亀裂が走る。

 地盤が崩れ、竜の巨体がその亀裂に埋まっていく。



:うわっ、このあたり脆かったのか?

:地下水が走ってたりする?



「あっ、この下って……」


 おれは気づく。

 そうだ、この森の下には……。


「すっごく広い地底湖があるんだよね」


 死の暴君デスタイラントは懸命にもがく。

 だが四肢を、翼を、尻尾を暴れさせるたびに、その巨体が災いし、次第に沈降していくのだった。


 リアリアリアが、命を賭けてつくった隙。

 それのおかげで、この巨体を地面に叩きつけることができた。


 セミは己を捨てる覚悟で、紅の邪眼ブラッドアイもろとも空間の裂け目の向こう側に消えた。

 あるいはこの戦いの行方如何で、人類と魔族の雌雄を決するかもしれないと、そう信じて。


 なら――。

 おれは、覚悟を決める。


「ムルフィ!」


 落下しながら、おれは叫ぶ。

 森の木々の天蓋を割って、青髪の少女が宙に舞い上がった。


重力大槌グラビティ・ハンマーを!」

「んっ」


 ムルフィは、おれの手から弾かれやはり宙を舞っていた重力大槌グラビティ・ハンマーを回収する。

 同時に、おれは体勢を変えようとして……。


 激痛に、呻いた。

 ふとみれば、右腕がまた、へんな方向に曲がっていることに気づく。


 幸いにして今回、左の腕は無事みたいだ。

 おれは懐から、最後の黄金のコインをとり出すと、そのちからを解放させた。


 リアリアリアの魔力がこもったコインは無数の黄金色の粒子となって消滅し、温かい光の粒がおれの全身を包む。

 よし、右腕も動く!


 身体のあちこちの痛みも消えている。

 これ、思った以上に重傷だったっぽいな……。


 とはいえ、これで。

 もういちど、おれは戦える。



:え、まだやる気?

:無茶でしょ

:もう撤退でよくない?



「いまならノーリスクで殴れるんだよ? なら、殴らないと!」



:頭のなかに筋肉が詰まっていらっしゃる?

:でも、相手が不利なときに追撃するのは正しい

:よし、もう一発かましてやれ!

:ありったけの魔力、持ってけドロボー!



 膨大な螺旋詠唱スパチャが、集まってくる。

 おれは翼をはためかせ、地中に半分埋もれた死の暴君デスタイラントに向かって落下した。


 振り返れば、頭上ではムルフィが、えいやっ、と重力大槌グラビティ・ハンマーを投げ下ろすところだった。

 投げた拍子に空中でバランスを崩し、彼女の小柄な身体が吹き飛ばされていく。


「ムルフィちゃん!」


 テルファが、慌てて妹を追いかけていく。

 ムルフィのことは彼女に任せておけば大丈夫だろう。


 落下してくる重力大槌グラビティ・ハンマーの柄を、みたび握る。

 回転制御スピンコントロールで落下の方向を微修正し、確実に死の暴君デスタイラントのもとへ――。


 その死の暴君デスタイラントが、落下してくるおれを認識したようだ。

 まだ埋もれていないふたつの首が、こちらを向く。


 その口から、紅蓮の炎が吐き出されるが――。


「そうは、させませんぞ」


 ブルームが、いつの間にかおれと死の暴君デスタイラントの間にいた。

 筋肉の天使は両手を前に突き出し、あらん限りの魔力を振り絞って結界を張る。


 炎と結界が激突し――。

 ほんの一瞬の均衡の後、結界が破砕され、ブルームの身体が吹き飛ばされる。


 その両腕が、真っ黒く炭化してしていた。

 ほんのわずかな時間でも竜のブレスを防いだ、その代償である。


 だが、これで充分。

 そのときすでに、おれの重力大槌グラビティ・ハンマーは炎の先端に到達している。


「潰れろおおおおおおおおおっ!」


 重力大槌グラビティ・ハンマーの一撃が死の暴君デスタイラントのブレスをふたつに割り、さらに打ち下ろされる。

 そのまま一気に、死の暴君デスタイラントの中央の頭を叩き潰す。


 耳を聾する竜の悲鳴が、鼓膜を破る。

 渾身の一撃は、底なし沼のように沈む地面でもがく巨竜を、さらに地の底に沈めた。


 おれは重力大槌グラビティ・ハンマーから手を離して、反動で宙を舞う。

 重力大槌グラビティ・ハンマーは巨竜と共に、地面に沈んでいった。


 少し遅れて、こんどは全身に激しい痛みが走る。

 重力大槌グラビティ・ハンマーを使った反動だ。


 身動きひとつとれないまま、おれは落下する。

 そのまま、地面に飲み込まれようとして――。


 おれの身体が、地面すれすれで受け止められる。

 振り向けば、すぐそばにシェルの顔があった。


「また、無茶をした」

「ごめん」

「まったく、もうっ」


 シェルはおれを抱きかかえて上昇しつつ、ぶつくさ呟きながら、治療魔法を使う。

 おれの全身が、暖かい光に包まれた。


 おれは、意識を手放す。


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