第68話

 さて、マリシャス・ペインに弾き飛ばされ、宙を舞っていたおれであるが……。

 聖僧騎士ブルームがこの魔族を文字通りひねり潰したのとほぼ同時に、空中でぴたりと停止した。


 直後、耳もとで囁き声が響く。


「よかった、無事だった」


 シェルいもうとの声だ。

 心からの安堵が、伝わってくる。


 おれの身体がゆっくりと地面に降りて、着地。

 と同時に、右脚にひときわひどい痛みを感じ、おれは地面に転がる。


 いってえええええええっ。

 つーかこれ絶対、折れてるわ。


「わっ、わあっ」


 シェルが慌ててそばに着地し、治療の魔法をかけてくれる。


 右脚が淡い光に包まれ、痛いがすっと消えていく。

 ほどなくして、立ち上がれるようになった。


 そのころには、リアリアリアをはじめとした皆も広場に集まってきている。

 すでに魔物たちも掃討され、戦いは終わっていた。


 アイシャ公女がエステル王女に抱きついて、再会を祝っている。

 エネス王女は、駆け寄ってきた公爵配下の魔術師たちや騎士たちに囲まれていた。


 おれは立ちあがり、ぴょんぴょんとなんどかジャンプしてみる。

 うん、まだ少し痛むけど、動くには支障がない範囲だ。


「ありがと、シェル。相変わらず、いい腕だね。……って、泣いてる?」

「心配、したんだから」


 涙目のシェルに抱きつかれた。

 ごめんよ、と頭を撫でてやる。


「本当に、心配だったんだよ」

「うん」

「こんな作戦、次は認めないから」

「そうだね。できればこんな綱渡りはやりたくないね」


 未来探知の範囲でおおきく物事を動かさず、生還する。

 それがいちばんだとわかっていたとはいえ、向こうは気が気ではなかったに違いない。


 とはいえ、なんとか全員が無事で合流できた。

 それに、数多の収穫がある。


 おれはシェルの頭を撫で続けながら、リアリアリアに目線で合図する。

 脳裏に、先刻の地下での出来事を思い描く。


 禁術でおれの心を読んだのであろう四百五十歳の大魔術師は、おおきく目を瞠った。

 ははは、そりゃ彼女でも驚くよなあ。


 なにせ、さきほど彼女は「同族はひとりも残っていない」といっていた。

 その同族が、しかもおそらくは肉親が、実はこんなところで生き残っていたのである。


 リアリアリアはつかの間、目をつぶった。

 深く考え込んでいるようだ。


 顔をあげたシェルが、そんな師を、ぽかんとして眺めていた。

 珍しいものをみた、というような顔である。


「ねえ、なにがあったの?」

「ちょっとひとことで説明するのが難しいんだけど、絶滅したと思っていたアホウドリがすぐ近くの島で発見されたというか……」

「アホ……島? え、なに?」


 ほんとなんなんだろうね。

 すごく重要なことがいっぱいぶちこまれてしまったんだ、これが。


「ところで、シェル。そっちはなにかあった?」

「ううん、特には。魔物をいっぱい倒して奥に進んだだけで……そうしたら、魔力のすごい波があって、ブルームさんが跳んでいって……」


 なるほど、そういう経緯か。

 まあセミさまも、すぐ合流できるように道を開けたんだろうしなあ。


 その際に、マリシャス・ペインの結界のなかに出てしまったのは不幸な偶然だったか、それとも幸運だったか。

 そもそもマリシャス・ペインのような上級の魔族が森に紛れこんでいる時点で、だいぶ切羽詰まった状況ではあったんだろうけど……。


 って、待てよ。

 マリシャス・ペインがここにいたってことは、魔王軍はすでにこの森に目をつけていたってことか?


 ということは……。


 そのときである。

 頭上から、太い男の声が降ってきた。


「このようなところに、劣等種どもが集まっていたとはな」

「しかも、我らが同胞をたやすく始末するとは。こやつら、油断がならぬ」


 慌てて、皆が顔をあげる。

 赤茶けた肌の六本腕の魔族、つまりマリシャス・ペインの同族が、広場を囲む木々の上に立っていた。


 一体ではない。

 二、三、四……合計で、六体。


 おれたちをけっして逃がさないとでもいうかのように、取り囲んでいる。

 おいおい、いつの間にこれだけの数の上級魔族が浸透して来たんだ。


「あのお方の気配を辿ってみれば、とんだ大物がいたものだ」

「大物?」

「うむ、あれをみよ。あれこそ同胞を倒した者」


 六体いるマリシャス・ペインの一体が、同族の死骸のそばに立つ聖僧騎士ブルームを睨み、ぴしっと指を突きつける。


「きさまが噂のアリスだな!」

「いや、吾輩違うが?」

「嘘をつくな! その練り上げられた魔力、間違いあるまい!」


 こいつら魔力の質でしかヒトを見分けられないのか?

 いやこっちも、マリシャス・ペインの区別なんてつかないけどさ……背の高さが全然違うんだけど?


 いや別に、相手がアリスを見分けられなくても、特になにか問題があるわけでもない。

 むしろ油断してくれて好都合だ。


 エステル王女の方をみれば、彼女は背負った袋を地面に降ろして中身の青白い水晶をとり出すと、それに手を当てていた。

 そばにはアイシャ公女も待機し、いつでもふたりで魔力を送れる態勢だ。


 シェルも、「いけるよ」と小声で囁く。

 よし、それじゃ……。


「ここまで我慢したんだもの、いっちょ暴れてあげるね!」



        ※※※



 マリシャス・ペインの一体がいる太い樹の枝めがけ、おれとブルームが同時に跳躍する。

 こちら側で上位魔族を相手に接近戦を挑めるのは、おれたちふたりだけだ。


 守りにまわっては不利とみての先制攻撃であった。

 螺旋詠唱スパチャを受けて、肉体増強フィジカルエンチャントで一気に強化されたおれは矢のように跳び、マリシャス・ペインに襲いかかる。


 手にした小杖ワンドを槍に変化させ、刺突を見舞う。

 普通の魔物であれば対応できない一撃だ。


 マリシャス・ペインはそれを回避するべく、足もとの木の枝を蹴り……。

 おれは槍をさらに変化させ、その柄を伸長させる。


 先日、新しく小杖ワンドにとり入れたギミックだ。

 マリシャス・ペインは間合いの変化に対応できず、この一撃をまともに浴びた。


 肉を深く貫く感触と共に、赤い血の花が咲く。

 はっ、螺旋詠唱スパチャがあれば、こんなもんよっ!


「ぐ……このっ」


 紅蓮の双眸がおれを睨む。

 六本の腕のうち、上段の二本がそれぞれ握る太い剣、それが左右から同時におれを襲い……。


 その二本の剣は、空を斬って互いにぶつかる。

 おれの身体が槍を軸に宙返りしたからだ。


 指輪に込められた回転制御の魔法スピンコントロールを発動したのである。

 反動で槍が魔族の身体から抜け、自由になる。


 相手はつかの間、おれの位置を見失った。

 上空から、無防備な脳天に槍を突き刺す。


 赤褐色の肌の魔族は、頭から胴まで長い槍に貫かれ、一撃で息絶えた。

 よしっ、一体撃破!


 周囲をみまわす。

 驚いたことに、聖僧騎士ブルームもおれとほぼ同時にマリシャス・ペインを撃破していた。


 こちらは背の大剣を横に振り抜き、一刀両断している。

 あっちは螺旋詠唱スパイラルチャントを貰ってるわけでもないのに、たいした腕だ。


 こっちはいまの一連の動作だけで、普通の騎士なら二、三十人が干からびるほどの魔力を消費している。

 エステル王女がそれだけの魔力を一気に送ってきてくれたおかげだ。


 さっきリアリアリアがエステル王女に耳打ちしていたから、きっと「ケチケチせずいきなさい」とかアドバイスしてくれたのだろう。

 あの婆さんは、そのへんの駆け引きをよく理解している。


 なにせ、いま。

 この大魔術師さまは、おれとブルームが相手にした以外の四体を同時に相手にしてるのだから。


 具体的には、樹上から放たれた四体分の火球の雨を、頭上に展開した防護魔法でことごとく弾いてみせているのである。


 さすがの彼女でも、少し苦しそうだった。

 いやいやいや、防ぐだけでも凄いんだけど。


 っていうか爆風がこっちまで来るほどの、地形が変わりそうな絨毯爆撃である。

 それを避けるわけでもなく、すべて防ぎきれる魔術師なんて彼女のほかにいるだろうか。


 少なくとも、シェルじゃ無理だ。

 彼女の限界については、おれもよく理解している。


 おれの知る限りじゃ、螺旋詠唱スパイラルチャントを受けたムルフィくらいかなあ。

 なんでそれを自分の魔力だけでやってのけるんだろう、あのひと。


 大魔術師とはいえ魔力の総量では王族よりずっと下だから、たぶん魔力の使い方が上手いんだと思うけど……。

 なんとかより年の功、ってやつか?


 まあ、とにかくリアリアリアがああして守ってくれているなら、皆のことは大丈夫だ。

 おれとブルームは心置きなく攻撃に専念できる。


 幸い、残り四体のマリシャス・ペインは、リアリアリアとの攻防に懸命の様子だ。

 おれとブルームに意識が向いていない。


 おれは樹の枝から枝へと跳躍し、別の一体との距離を詰める。

 相手の目がようやくこちらを向き――その表情が驚愕に変化する。


「おのれ、幼体!」


 慌てた様子で下の二本の腕を振り、おれめがけて火球を放つ。

 おれは自己変化の魔法セルフポリモーフで白い二枚の翼を生やし、これを羽ばたかせて軌道を変化、火球を回避する。


 ちらりと横をみれば、ブルームもまた火球に襲われていたが……。

 彼は自分に対して放たれた火球に拳をぶち当て、その一撃でこれを消滅させていた。


「気合が足りませぬな!」


 え、あれなに!?

 魔法の火球ってそれで消えるものなの?


 向こうのマリシャス・ペインがめちゃくちゃ驚いてる。

 そりゃそうだ、こっちもびっくりだよ。


「天!! 誅!! で!! ある!!」


 そのマリシャス・ペインの顔に、ブルームの放った拳がヒットする。

 上級魔族の身体が宙を舞った。


 うわあ、こりゃ負けてられないぞう。

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