第66話

「アリスさま、わたくし、自分の足で立っていいですか」

「あ、そうだね。ごめんごめん」


 危機は去った。

 おれはアイシャ公女の身体を地面に下ろす。


 改めて、己の二本の足で地面を踏みしめ、アイシャ公女はようやく安堵した様子であった。


「さて、まずはリアさまたちと合流しなきゃいけないんだけど、殿下、なにか預かってない?」

「わたくしたちが本隊と分断されることはわかっていましたから……少々、お待ちください」


 公女はリアリアリアから預かったポーチをごそごそと漁り、緑色に輝く彼女の握り拳大の宝石をとり出す。

 目を閉じ、祈るように両手で宝石を握る。


 魔力を込めているのだ、とわかった。

 宝石が緑の輝きを放ち、その光が一瞬、周囲に広がったかと思うと、嘘のように消えた。


 宝石が色褪せて灰色に染まり、ヒビが入る。

 宝石だった灰色のものは、少女の掌のなかでぼろぼろと砂のように崩れ去り、地面に落ちた。


 少女がまぶたを持ち上げる。

 普段は碧いその瞳が、ルビーのように赤く輝いていた。


「わっ、なにそれ」

「えっと、わたくし、どうなってますか」

「目が真っ赤」

「それは……おそらく、魔力が凝縮しているから、です。遠くの景色を……感じ、ました」


 少し苦しそうに、アイシャ公女はぽつり、ぽつりという。

 ゆっくりと呼吸しながら、周囲を見渡す。


「あちら、に」


 とある方向を向いたとき、その動きが止まった。

 ゆっくりと、その先を指さす。


「なにかが、戦って――ああ、でも、あれは、危険な――」


 なにかいいかけて、しかしそこで限界が来たのか、公女の全身から力が抜ける。

 倒れそうになるところを、おれが慌ててインターセプトし、その身体を支えた。


「ありがと、殿下。それじゃ、行こうかっ!」


 今度は公女を小脇に抱え、彼女が示した方角に向かって駆け出す。

 アイシャ公女は、またなにか文句をいいたそうに身をよじっていたが……ごめんな、いまは急ぐのだ。


 おれは肉体増強フィジカルエンチャントをかけて藪を飛び越える。

 木々の間を走り抜け、深い森のなかを風のように駆けた。



        ※※※



 雨が降ってきた。

 たちまち豪雨になって、森のなかにいくつもの小川をつくる。


 叩きつけるような雨のせいで視界が悪く、仮に魔物が接近してきても、それを音で聞き分けることは困難だろう。

 とはいえそれは、魔物の側も同じ条件なわけで……。


 アリスおれはアイシャ公女を小脇に抱えて背の高い下生えを跳び越えた。

 その先で、ばったりと魔物に出くわす。


 ローパー。

 無数の触手を持った、身の丈がアリスの背の高さくらいある、巨大な毛玉の化け物だ。


 どこが感覚器官かもわからないその魔物であったが……。

 その触手のすべてが、一瞬びくっとなって動きを止める。


 おれも驚いたが、相手よりほんの少しだけ早く我に返った。

 素早く、右手に握ったままの対魔法剣アンチマジック・ブレードを振るう。


 無数の触手がおれに迫るも、それらはおれの剣に断ち切られ、青い体液をまき散らした。


 毛玉は激しい痛みを感じたのか、激しく震える。

 おれはすかさず、こいつの弱点である毛玉の中心に存在するコア、それめがけ、剣を突き出す。


 対魔法剣アンチマジック・ブレードは正確に毛玉のど真ん中に突き刺さった。

 ローパーはいちどおおきく身震いしたあと、ぐったりとなる。


 無数の触手が、だらりと地面に落ちて、それきり動かなくなった。


「だいじょうぶだった?」


 おれは剣を引き抜いたあと、脇に抱えたままのアイシャ公女に訊ねる。


「は、はい。その、触手が少し、頬に触れましたけど……」

「毒とかはないから、たぶん大丈夫。あ、でも、粘液がついたかも。拭いてあげようか?」

「あ、ええと、そのくらいは自分でできますから」


 腕を伸ばし、己の頬についたどろりとした液体を袖で拭う少女。

 ところによってはご褒美である。


 いま王国放送ヴィジョンシステムが起動していたら危なかったぜ。

 やーまー実際、出てきたのがローパーでよかったよ。


 これが火吹き犬ファイアドッグとかだと、彼女をかばいきれなかったかもしれない。

 それにしても……と。


 おれは討伐したばかりのローパーをよく観察する。

 いくらびっくりしたにしても、この魔物の動きが、やけに鈍かった気がするのだ。


「ねえ、みて、殿下。こいつ、怪我してる」

「え? あ、本当です。これは……氷? 触手が氷で固まっているのでしょうか」

「たぶん氷塊の魔法アイスボールかなにか、だと思う」


 リアリアリアの仕業だろうか。

 シェリーもいちおう、氷塊の魔法アイスボールを使えたとは思うけど……。


 あのふたりの場合、もっと便利な対処方法を知っているから、どうなんだろう。

 とはいえ……。


「このローパー、どこかでヒトと戦って、逃げてきたっぽいよね」

「そうなると、あちら……でしょうか」


 公女が指差す先は、ローパーがかき分けたせいか、下生えの草がなぎ倒されて小径ができていた。

 豪雨のせいで、戦闘の音とかはぜんぜん聞こえないけど……このまま闇雲に走るよりはいいか。


「いってみよう」


 おれはふたたび、公女を抱えたまま走り出す。



        ※※※



 ほどなくして、かん高い剣戟の音が聞こえてきた。

 豪雨のなか、誰かがこの先で戦っている。


 それも、剣と剣を打ち合わせて。

 となると、戦っているのは……。


 おれひとりなら、戦場にすぐ飛び込んだだろう。

 それをしなかったのは、小脇に抱えた公女の重みだった。


 おれは近くのおおきな樹の幹を駆けあがる。

 丈夫な木の枝の上から、音のする方角を向いた。


 前方数十メートル先に、木々がなぎ倒されて広場のようになった一帯がある。

 そこで、激しく戦う者たちの姿があった。


 雨のせいで、はっきりとはわからないが……おそらくは十数人のヒトと、数体の魔物、そして。

 二足歩行の魔族が、一体。


 魔族が手にした武器と、ヒトが繰り出す剣が打ち合わされてかん高い音が周囲に響く。

 その間も周囲の人々が電撃やら冷気やらを放ち、魔物を牽制していた。


 魔族に対して放たれた光線は、その身体にぶつかる寸前、ふっとかき消える。

 なんらかの対抗魔法を使ったのか、それとも最初から効かなかったのか、そのあたりは不明である。


 戦っているのがリアリアリアと共に来た者たちではないことは明らかだった。

 おそらくは第零と、エネス王女だ。


 たぶん、あの赤いマントを翻しては冷気の弾丸を連射している背が低い人物がエネス王女なんだろう。

 泥にまみれて、その顔もよくわからないけど。


 助けなければ、と思った。

 だが同時に、どうやって? とためらう。


 中型の魔物程度ならまだしも、おそらくあれは上位の魔族だ。

 シェルがいない現状で、螺旋詠唱スパイラルチャントもなしに、どうやって上位魔族と戦えばいい?


 と、考えているうちに、魔族がエネス王女とおぼしき人物を狙って火焔弾を放つ。

 それを、彼女は避けきれず……かろうじて、護衛のひとりが割って入り、盾となって火焔弾を喰らった。


 護衛は全身を炎に包まれ、断末魔の悲鳴をあげ、倒れ伏す。

 ちくしょうめ!


「殿下、ここで待ってて」

「アリスさま、お待ちを」

「待ちません」


 おれはアイシャ公女を太い樹の幹の上に下ろした。

 だが彼女は、慌てた様子でポーチを持ち上げる。


「存じております。ですので、これを」


 少女はポーチから黄金色に輝くコインをとり出すと、おれに手渡した。

 ああ、これは……さっきもおれの身体を治療してくれた、リアリアリアの魔力がたっぷりと詰まった魔法のコインだ。


「これは、アリスさまが持っていた方がよろしいでしょう」

「アリスはもう一枚、持ってるよ」

「わたくしは、安全なところに隠れておりますから」


 これを渡すことで、危険には近寄らない証とする。

 彼女はそういっているのか。


「わかったよ、殿下」


 コインを握って、おれはうなずく。

 少女を頭を軽く撫でた。


「いい子にしててね」

「あ……っ」


 やるしかないんだ。

 いま、いくしかない。


 樹の幹を蹴って、飛び出す。

 戦場へ。



        ※※※



 豪雨のなか、戦う人々がいる。

 魔族と魔物に対して果敢に立ち向かうのは、やはりエネステテリア王女率いる第零遊撃隊の面々であった。


 現在広場にいる遊撃隊で現在も立っている者は、王女を含めてわずか九人。

 周囲には、倒れている者の姿が多数。


 対する魔物は、ローパーや火吹き犬ファイアドッグが十体以上だ。

 それだけなら、なんとでもなるだろう。


 だが、加えて。

 そこには、上位魔族がいた。


 背丈は二メートル半、六つの腕で、赤茶けた肌をした人型の魔族だ。

 かつておれが故郷の町で倒したマリシャス・ペインの同族である。


 マリシャス・ペインというのは人類側がつけた個体名であるが、それは単に、この種族で前線に出ていた者が当該個体しかいなかったからである。

 実際のところ、この種族は魔王軍における親衛隊のような役割を担っており、ゲーム終盤においては雑魚敵として複数の個体が登場するのだ。


 わかりやすくいえばバラ〇スとバ〇モスブロスってことだよ。

 いまこの場にいるのは、バラモ〇ブロスってことだ。


 そいつが、エネス王女と相対している魔族であった。

 もう面倒だから、こいつのこともマリシャス・ペインと呼ぼう。


 このマリシャス・ペインは右の上の手で剣を握り、その下の手で盾を構えていた。

 左の上の手には槍が握られ、その下の手で鞭を構えている。


 いちばん下の二本の手は空であったが、先ほどの火焔魔法はこの空いた手から放たれたものであろう。

 剣と魔法を両立し、しかも複数の腕を器用に操って戦っている。


 しかも上位の魔族らしく、魔法は無詠唱。

 第零の者たちが放つ魔法はちっとも効いている様子がない。


 上位の魔族、純粋に魔法抵抗が高いんだよなあ。

 以前おれがこいつの同族を倒したときは、螺旋詠唱スパチャを集めて一気に魔力をぶっぱした。


 あのときは連戦で疲れ果てていて、いろいろギリギリだった、というのもあるけど……。

 じゃあいまの状態でなにか対策があるか、といわれると、難しい。


 だからといって、ここで尻尾を撒いて逃げるわけにはいかないだろう。

 あのマリシャス・ペインは、おそらくほかの魔物のように湧いて出たわけではない。


 外からやってきたのだ。

 おれたちや第零の者たちと同様、森に迷い込み、そしてこの地にワープしたのだろう。


 なぜ、魔族たちは森を探索した?

 そんなの、答えは明らかである。


 こいつらも、気づいたのだ。

 この地に魔王の首があることで発生する、その痕跡に。


 セミさまの懸念の通りだった。

 というか、想定よりずっと、状況は悪い。


 逃げるわけにはいかない。

 ここで、なんとしてもこいつを倒し、この地の秘密を守る必要がある。


 エネス王女が細身の剣で刺突を放つ。

 マリシャス・ペインはその一撃を盾で易々と払い、体勢が崩れた彼女に反撃する。


 王女は反撃の剣を自身の刃で弾き、上段から迫る槍をかわす。

 だが、その後に不規則な軌道で襲ってきた鞭までは避けられなかった。


 魔族の鞭がその身を打ち据え、少女は低い呻き声をあげて体勢を崩す。

 そこに、ふたたび剣の一撃が迫った。


 おれは、そこに飛び込んだ。

 アリスの剣が、マリシャス・ペインの上段からの一撃を受け止め――これの刀身を微塵に砕く。


 対魔法剣アンチマジック・ブレード

 相手はなんら付与魔法を使っていなくとも、ただ異常なまでに頑丈な武器としても有用なことは、これまでの検証から判明していた。


 今回の場合、相手が力任せになまくらの武器を使い続けた結果、おそらくは刀身にヒビでも入っていたのだろう。

 それが幸いして、相手が目を剥くほどの結果となった。


 おれという意外な援軍に、マリシャス・ペインの動きが止まる。

 そしてエネス王女も、突如として目の前に現れたおれに、驚きを隠せない様子であった。


「アラ――アリス、よくぞ……」

「ごめん、いま螺旋詠唱スパチャないから! はぐれちゃった!」


 お互い、視線を交わす。

 意思の疎通は、それだけで充分だった。


 共に後ろへ跳躍し、マリシャス・ペインから距離をとる。

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