第64話
神殿の正面には、灰色の謎金属でつくられた、両開きのおおきな扉があった。
扉をゆっくりと押し開けると、きしんだ音がたつ。
石畳の広い空間が広がっていた。
部屋の中央に、赤紫色の光に包まれた祭壇が設置されている。
祭壇の上に展開された六角形の結界のようなものが、まるでビロードのカーテンのような赤紫色に輝いているのである。
神獣を模した六対の像が祭壇の六つの頂点に立ち、内側を向いて、結界の内部にある
頭だ。
ヒトの倍以上のおおきさを持った、異形の頭であった。
その頭部は、赤黒い剛毛に覆われ鋭い牙を剥き出しにした獅子に似ていた。
頭頂部からは巨大な一本角が、螺旋を描いて伸びている。
閉じられた目は、額にあるものを含めてみっつ。
そして、頭の後ろでは無数の触手のようなものがうねうねと波打ち、この頭部が完全な屍ではないことを強く主張していた。
魔王。
これは魔王の首だ。
ひと目で、おれはそのことを理解する。
だってゲームの画面でみた魔王と同じ頭だし。
本当に、ここに魔王の首が封印されていたのか……。
そして祭壇の前に、白い貫頭衣をまとった女性がひとり、ぽつんと立っていた。
耳が尖った、どこかリアリアリアを思わせる、青い髪の女性だ。
こちらに後ろを向いてじっと魔王の頭部をみつめていた女性が、扉を開ける音を聞きつけたのだろう、ゆっくりとおれたちの方を振り返る。
その端正な顔は、いっけん若い女性にすぎないようにみえたが……。
こんなところにいる大魔術師に似た人物が、みため通りの年齢だとは思えない。
リアリアリアと同じ緑の双眸が、おれを射貫く。
彼女は、まあ、と口を開いた。
「警邏の傀儡とのリンクが切れたので、どなたが来るかと思えば……」
鈴の音が鳴るような声が響いた。
少し意外そうな声色だった。
つーかあれ、やっぱこのひとが操っていたのか。
誰彼構わず襲わせてたの?
「あなたがたは、魔族ではありませんね」
「あ、うん、アリスは魔族じゃないよ」
「はい、わたくしも魔族ではございません」
「魔族ではないのですね……」
おれと、アイシャ公女と、青い髪の女性。
三人の間で、間抜けな会話が交わされる。
なんなんだろうな、このひと。
当然のように、ゲームに出てきた人物ではない。
まあ、ずっとこの地を守ってきた、ということなら……。
ゲームの開始時点でこの地はすでに魔王軍の支配下であったし、魔王の頭部はちゃんと魔王の胴体の上に乗っていたわけだ。
つまりこの人物は、ゲーム開始時点で死ぬか魔族や魔物に捕まっていたか、どちらかだったのだろうから……。
と――女性はきょとんとした様子で小首をかしげた。
「あなたは不思議な記憶を持っておられますね。いや、それは知識……?」
「あっ、やばっ」
げっ、リアリアリアと同じ、心を読む魔法の使い手か。
そりゃ似たようなツラなんだから、似たような系統の禁術を使える可能性も……。
いやどうなんだそれは、あの大魔術師と同じ魔法を?
つーか隣のアイシャはそのへんのこと知らないんで勘弁してください、と全力で念じる。
はたしておれの心をどう読んだのか、女性はちいさくうなずいてみせた。
わーい、アリス聞き分けがいい大人だいすきー。
「承知いたしました。もとよりあなたの心をかき乱すことは本意ではありません、アランさま」
「あ、うん、この姿のときはアリスって呼んでね」
「わかりました、アリスさま。あなたのご趣味について子細に問うこともいたしません」
「趣味じゃないから! この格好と口調は必要なことだから!」
魔王の首を前にして、なんて間抜けな会話なのだろう。
ともあれこの人物には、聞きたいことが山ほどある。
ついでに、地上にいるだろう妹たちと合流する方法も知りたい。
いっそ、このひととリアリアリアをさっさと合わせた方がいい気もするし……。
「そうですね、なにから説明したものでしょうか。まず、わらわの名はセンシミテリア。どうぞ親しく、セミとお呼びくださいませ、アリスさま、アイシャさま」
女性は、語る。
なるほどセンシミテリア、通称セミ。
「じゃあ、セミさまと呼ぶね!」
「はい、アリスさま。端的に申しますと、わらわは、あなたがたがリアリアリアと呼ぶ者の一族のひとりです。もっともあの子は、わらわなどとうに亡くなったと思っているでしょうが……。あの子がこの近くに来ているのですね。なんという奇縁でありましょうか」
「やっぱり、リアリアリアさまの知り合いなんだ」
エルフ耳にその髪の色と目の色、そして心を読む禁術、ここまで揃っていたら満貫だ。
リーチ一発でハネること確定である。
「セミさま、じゃあ次、そこのでっかい生首だけど」
「ご想像の通り、魔王の首をここにて封印しております」
ですよねー。
んでもって、なんでこいつを封印していたのか、って話になるけど。
「
あっ、はい。
そこまでの事情、ご存じなのね。
「故に、わらわがこうして見張り続けております。そうですか、もう五百年になるのですね」
「うん。でも
「
懸念、というかこの世界の未来、なんだけど。
彼女がいう
勇者が覚醒することで、この世界の破滅の最後のトリガーが引かれる。
おれは頭のなかでそう念じて、彼女はそれを受けとった結果、いまの会話となった。
なら、いっそ。
もう魔王を滅ぼしてしまってもいいんじゃないの?
できれば完全体になる前に。
というのがゲームの知識から推察したおれの意見だ。
「あ、あの……いったい、どういうことでしょうか」
アイシャ公女が、目を白黒させている。
突然、自分の知らない単語がぽろぽろ出てきたんだ、無理もない。
このことを知ってるのって、おれの記憶から知識を吸い出したリアリアリアだけだからなあ。
世界観についての深い部分は王様にも説明してないって、彼女はいっていた気がする。
理由がある。
大陸で一般的に信仰されている聖教は、この大地を生み出した神々を崇めているからだ。
その神々こそ、
この世界を支配していた、古い
彼らはどこかへ去っていった、と伝えられている。
でも神々は、聖遺物と呼ばれるものを残していった。
そのいくつかは、彼らが戯れに、去っていったあとのこの世界をめちゃくちゃにするものであったのだ。
彼らにとって、大地に棲みついた哀れな虫がもがき苦しむ様子は、最大の娯楽であったのだから。
実際のところ、起きた出来事はこうである。
新しい神もまた、その後にこの地を去るのだが……。
慈悲深きこの神は、万一、
それが、
すなわち、いまおれたちが魔王と呼んでいる存在である。
しかし新しい神にとって、ヒトとは当時大地で活動していた者たちの総称であった。
そのとき大地では、魔族とヒトとそれ以外にもさまざまなヒトに似た存在とが、いっしょに活動していたからだ。
で、いろいろあった結果。
ちなみにこのとき、
はずである。
さっきリアリアリアが妖精の血を引いている、といったときおれの方を意味深にみたのは、そういうことだろう。
リアリアリアの祖先は、
そしていま、リアリアリアの一族とおぼしき存在が、ここで
どうしてそうなっているのか、ゲームの知識だけではわからないけど……。
そのあたりの経緯を隠蔽したのは、たぶん聖教だ。
その隠蔽のせいで、現在、魔王の脅威を伝える者がさっぱりいなくなっていて、リアリアリアが孤軍奮闘していた、というあたりに繋がるのだが……。
でもその隠蔽がなかったら、いろいろと問題も起こっていただろうことはわかるので……政治って難しい。
まあ、そのあたりの事情について頭のなかで高速で考えた結果。
セミは、わかりましたとばかりに、ゆっくりとうなずいてみせる。
「ぶっちゃけ、この首の封印っていまも大丈夫なの? なんか地上ではヒトが行方不明になったり、森のなかに魔物が徘徊したりしてるんだけど?」
「魔物の発生については、魔王の力の一部を意図的に逃がすことで封印の圧力を一定に保っているがためです。故にこの森全体にヒト避けの魔法がかかっているはずですが……そちらに綻びが出たようですね」
おれたちがこの場所に至った経緯は、頭のなかを覗いてご存じだろう。
勝手に読みとってくれるの、まあ便利といえば便利だ。
そっかー、すべては森全体にかかっていた魔法が、経年劣化したせいかー。
っていうか突然、空中から魔物が現れたのって、魔王の力で魔物が湧いてきてたってことでいいのかな。
「その通りです、アリス。ちからの弱い魔物が本当に少量だけ湧かせることで、結界を長く維持することができる、はずでした」
「そのシステムが綻んできてる、と……。というかアリスの頭のなかと会話するのやめてってば!」
余計な思考も読みとられてしまうんだけど。
なので余計なことを考えないようにする方に神経を使う。
はたして、おれの努力がどこまで実を結んだのか……。
セミは、にやりとしてみせた。
「そう気を遣わずとも、わらわのことなど時代遅れのクソババア、と罵ってくださってよろしいですよ」
「そこまで思ってないからね!? ちょっと、殿下がアリスのことドン引きしてるよ! 待って待って! アリス誓って、そこまで考えてないから!」
セミがくすくす笑う。
あー、からかわれたー。
いや、いいけどさあ。
この場の空気が緩くなるのは、それはそれで悪くないけどさあ。
差し出すのがおれの尊厳なんだけど?
アイシャ公女がおれからつつつーっ、と離れていくんだけど?
つーかこのへんの愉快成分、確実にリアリアリアの一族だわ。
本当、勘弁して欲しい。
そのセミが、さきほどから目を白黒させているアイシャの方を向く。
「あなたもまた、広い意味ではわらわの一族の末裔です。あなたがこの地を訪れたことそのものが、かつて分かたれたあなたがたの一族の試みが成功した証。いまはそれを、喜ばしく思いましょう」
「それは……リアリアリアさまもおっしゃっていた、妖精の血、ということでしょうか」
「そのようなものです。さまざまな議論があったと聞いておりますが、あなたが
まあ、そうだな。
たぶん、だけど。
公女が洞窟のなかで瀕死のおれを
あのままだったらおれは死んでいて、公女もまたひとりでは地底湖を渡れなかったに違いない。
おれたちがセンシミテリアと出会う未来は、本来、存在しなかった。
その場合どうなっていたかというと……ゲームの知識から考えて、この地は魔族に奪われ、魔王は完全なかたちで復活を遂げていたはずだ。
「未来を変える、というアプローチに、アリス、あなたという別の因子が加わったことで、おおきな加速が生まれたのですね。当時は誰も予想しなかったことですが、あなたという例外が存在したことで、わらわたちの想定以上の変化が生まれつつあります」
セミはおれの目をまっすぐにみつめて、そう語る。
なるほど、ね。
未来を
それは、現在という地点から考えればいっしょ、ということか。
どちらもただの知識で、これから先赴く道の状況を知っているというだけのこと。
しかし辿るべき道を知っていればこそ、用意するべきものも想定できる。
おれの知識と、アイシャ公女のちから。
複数の視点から未来をみることで、より立体的に浮かび上がるものがある。
「ですから、聞かせてください。アリス、アイシャ。あなたがたのことを、五百年もの歳月、世間から離れていたこのわらわに教えてくださいな」
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