第63話
皆とはぐれたおれとアイシャ公女がたどり着いたのは、地底湖だった。
穏やかな波の音が断続的に聞こえてくる。
改めて暗視ゴーグルを外し、明かりをつけて遠くを照らしてみるが、湖の先にはなにもみえなかった。
水は澄んでいるが、明かりの範囲だと動くものの気配はない。
地底湖の水をひとすくいして、アイシャ公女が手に持つ魔法の明かりに近づける。
透き通った水で、目に見える限りは微生物の姿もない。
おそるおそる、舐めてみた。
普通の水のように思えるが、いちおう、ぺぺぺっ、と吐きだしておく。
「殿下、悪いお知らせだよ」
「はい」
「アリスには狩人の知識も才能もないみたい」
「わたくしにも、そういった知識はございません」
うん。
なーんもわっかんないなー。
お互いに、困ったねーと首をかしげあう。
間の抜けたポーズで、うーんと悩む。
「ほんと、どうしよっか」
「空を飛ぶことはできませんか」
「
あれは
当然のように、外部からの魔力供給が必要なのだ。
平凡な騎士くらいの魔力でそれができるなら、いまごろ王国の騎士たちはみんな空を飛んでいる。
悲しいなあ。
「やはり、空を飛ぶためにはわたくしから魔力の供給を……ですが、どうすれば女性同士で……」
「いや、いいから。その方法は諦めようよ」
一部の昆虫は飛行中に交尾するという話を聞いたことがあるけど、あいにくとおれたちは昆虫じゃないので……。
「殿下の方は、こういうときに便利そうな魔法とか、なにかある?」
「申し訳ございません。訓練を始めたばかりで、基礎的な
その年で
おれは倍の年齢なのにふたつしか魔法を使えないんだぞ。
自分の才能のなさに、改めて悲しくなってくるな……。
「リアリアリアさまがなにか用意してくれてないかな」
「そう、ですね……」
ポーチのなかのものを、ひととおり、とり出してみる。
アリスとアイシャ公女のサイズにぴったり合った、スクール水着があった。
あの?
大魔術師さま?
なんでこんなものを……?
「これは、なんでしょうか。アリス様、おわかりになりますか?」
「わかるけど、わかりたくないなあ」
これまでも、おれの記憶を勝手に覗いてこの世界に無駄な文明の光をもたらしてきたリアリアリアであるが……。
天才の考えを推し量るのは難しい。
いや、現実逃避しても仕方がないだろう。
おれは覚悟を決めて、アリスのサイズに合わせられたスクール水着を手にとる。
よくみたら旧スクだった。
ほんとなんで?
あ、リアリアリアの筆致で書かれた紙が挟まってる。
えーなになに?
水着型の魔道具で、着用者は魔力を体力に変換できる、と?
泳ぎができれば、魔力の続く限り泳ぎ続けられるということか。
「殿下」
「はい」
「まずは服を脱ぎます」
「はい?」
こてん、と首を横に傾ける公女さま。
かわいい。
「次にこれを着ます」
「この薄い布を、ですか?」
「次に、その地底湖を泳ぎます。……あれ、殿下って泳げる?」
「多少は。
たしかに水泳と
もちろんおれも泳げる。
泳ぎは身体の鍛錬にちょうどいい、って町のそばの川で師匠に鍛えられたんだ。
加えて、アイシャ公女もいってる通り、
まだ十歳の彼女には、モトとなる体力がないけど。
そこは、水着の機能で魔力を体力に変換して補える。
幸いにして、この地底湖では敵対的な生き物の存在が感じられない。
万一、そういう敵が出てきたら……そのときは、そのときだ。
おれとアイシャ公女はそれぞれ手早く着替えると、もとの服をポーチに仕舞い、水が入らないよう厳重に封をした。
おれは紐でくくった
おそるおそる、足先から水に入る。
冷たいが、凍えるほどではなかった。
むしろほんのりと暖かい気がするけど……温泉でも近くにあるのかな。
岸のそばで、試しに軽く泳いでみた。
アイシャ公女は、顔を水に浸けるのを怖がっているものの、水着の機能と
まあこれなら大丈夫……かな。
明かりの魔道具を、ふたつ。
ハチマキのような布で、それぞれの頭にくくりつける。
これで、お互いの位置を見失うようなことはないだろう。
「それじゃ、まずはアリスが泳ぐから……殿下は様子をみながらついてきてね」
「は、はいっ」
おれたちはゆっくりと、湖の向こう側に向かって泳ぎ出した。
※※※
しばしののち。
地底湖のなかの小島をみつけ、その浜にあがったおれと公女は、そこにへたりこんで荒い息を継いでいた。
いやー疲れたわー。
アリスの身体で泳いだことがなかったせいもあって、思ったより体力を使った感じがある。
水着の機能も、魔力が心もとないおれにはあんまり意味がなかったし。
アイシャ公女の方は思う存分、魔力を体力に変換したものの、そもそも四肢を支える筋力が未発達なうえ、効率的な力の入れ方、といった部分をあまり訓練してきていない。
結果として、ふたりとも想定以上にへたばっていた。
いやー辛いっす、もうマジ無理っす。
この小島を発見できていなければ、ふたり揃って力尽き、湖の底に沈んでいたかもしれない。
いや、もちろんそうなる前に別の方法を模索したけども。
「それにしても、この島はなんだろうね」
息を整えたあと、おれは立ち上がり、明かりの魔道具を島の中心部の方に向ける。
上陸するときに確認した限りでは、そんなにおおきな島ではないように思えたが……。
岸から少し先は、草が生えた丘陵となっていた。
真っ暗なこの巨大空洞に、なんで青々とした草が生えているんだろう。
魔法的ななにかの仕業だろうか。
うちの妹とかリアリアリアならともかく、おれにはなーんもわからん。
と――がちゃ、がちゃりと金属がぶつかり合うような音が聞こえてくる。
音は、だんだんと近づいていた。
砂を踏みしめる足音と同時に、浜の左右から、ひとつずつ。
おれとアイシャ公女は疲れた身体に鞭打ち、慌てて立ち上がる。
暗闇から現れたのは、黒い全身鎧を着込んだ、大柄なヒト……にみえる存在だった。
左右から、一体ずつ。
「誰? アリスたちになんの用?」
誰何の声をあげてみるが、なんの反応もない。
鎧を着たなにものかたちは、ゆっくりと背の大剣を抜いた。
ピンとくる。
あ、これなかにヒトが入ってないな。
「殿下、下がって!」
「は、はいっ」
黒い鎧が、左右から同時に飛びかかってくる。
アイシャ公女が慌てておれの背中に隠れようとして駆け出し……足をもつれさせて、転んだ。
あっ、まだ泳ぎの疲れが抜けてない。
こっちもへろへろだけど、おれは普段から鍛えてるからね。
日頃の訓練は、こういう疲れ切ったときにこそ、力を発揮する。
倒れた公女をかばって、黒鎧の大剣を
もう一体が大剣を突き出してくる。
ち――っ、これはちょっと厳しい、が――。
「青よ!」
公女が、左手の中指にはまった青い指輪を突き出す。
おれの前に展開された傘状の青いバリアが、黒鎧の大剣を弾いた。
「ありがとっ、殿下! 愛してるぅっ」
最高のアシストに、思わずテンションが高くなる。
さきほど一撃を払った方の黒鎧が横から繰り出してくる斬撃を跳躍してかわし、
黒鎧の脳天に一撃を叩きつけた。
ぐわん、とおおきな音がして、兜がへこむ。
黒鎧は、そのまま、まるで気絶するように頽れた。
あれ……?
残る一体、殿下がバリアで防いだ方の黒鎧が背後から迫る。
殿下が半身を起こし、黒鎧に対して右手を突き出す。
「赤よ!」
赤い指輪から閃光が走り、同時に赤いビームが放たれた。
ビームは黒鎧に衝突し、その身が吹き飛ばされ、砂浜に激しく叩きつけられる。
なかのヒトがいるなら、脳震盪を起こしてもおかしくない。
だが、黒鎧はなにごともなかったかのように砂浜から身を起こす。
「あっ、そっかーっ」
おれは地面を蹴って、そっちの黒鎧に迫った。
相手がなにかする前に、剣を軽く突き出す。
とん、と。
その一撃は、黒鎧の胸もとを軽く突いた。
それだけで、黒鎧は全身の力を失ったように、その場に倒れ伏す。
おれは、おおきく息を吐き出した。
「あの、これって、いったい……」
「たぶん、だけど。魔法で動いていたんじゃないかな」
おれは動かなくなった黒鎧に近づき、兜を軽く蹴った。
乾いた音がして、鎧から兜が外れる。
なかは、からっぽだった。
頭どころか、鎧のなかにはなにもいない、完全にからっぽの鎧がそこに転がっていた。
「だから、
※※※
さて、と。
突然、襲ってきたこの黒鎧も気になるところだが……。
ふたりで話し合ったあと、まずは島を捜索することにしなった。
水着を脱いで、いつもの装備に着替えたあと、まずは海岸に沿って一周する。
十五分くらいで一周できてしまった。
うん、狭いね。
黒鎧のように襲ってくる存在は、もういなかった。
あいつはどこから来たんだろう。
ならば、と丘を登る。
アイシャ公女の息が切れる前に、丘の頂上がみえてきた。
頂上には、石造りの建物があった。
ぱっとみた感じ、古代ギリシャの神殿のような感じのつくりだ。
おれはこの大陸で、こういう建物をみたことはない。
「これ、どういうものかわかる?」
「古代エスシャ形式のものに似ているようにみうけられます。書籍の挿絵でしかみたことはございませんが……」
ダメモトで公女に訊ねてみたら、あっさりと知らない単語が出てきた。
ごめん、貴族の教養を舐めてたわ。
「ぜんぜん知らないから教えてくれる?」
「おおよそ七百年前から八百年前、大陸中央で隆盛したエスシャ帝国は、東西の流通の要衝となって栄えました。デスト帝国の源流はこのエスシャにある、といわれております。もちろんヴェルン国も、わたくしの故郷であるティラム公国も、です」
嫌な顔ひとつせず、すらすらと教えてくれる。
ひゃー、新鮮な歴史知識だ! 全然知らなかったぜ!
脳筋でごめんよう。
寺院の歴史の講義だと、王国の設立くらいからしかやらなかったんだよなあ。
「エスシャの滅亡は、五百年前の魔王軍の侵攻によるものである、というのが定説ですが、このあたりはよくわかっておりません。これに伴い、多くの知識が失伝し、こうした形式の建物を建築する技術もまた失われたのです」
「あー、そっか。五百年前で知識の断絶もおおきいんだっけかー」
そのうえ、当時どうやって魔王軍を倒したのかも現在には伝わっていなかったりする。
だから魔王軍の再侵攻に際して、西方の国々はろくな抵抗もできず呑み込まれてしまった。
四百五十歳のリアリアリアなら、そのあたりのことも多少は知っているだろうか。
はやく合流したいなあ。
ん……? 待て、よ。
リアリアリアは……なんで今回、おれたちについてきたんだっけか。
そうだ、魔王の頭部がこの地にあるかもしれない、って彼女はいっていた。
んでもって、ここは魔王軍が滅ぼした文明の遺跡、みたいなところで……。
「とりあえず、この神殿っぽいところを調べてみようか。用心しながら」
なんかとっても嫌な予感はするけれど。
ここで考えていても仕方がない。
※※※
おれとアイシャ公女は小島にある丘の上の建物に足を踏み入れて……。
そこで、魔王の首らしき物体と、それを守るようにたたずむ人物を発見した。
予感、外れて欲しかったなあ。
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