第62話

 アリスです。

 いま、どことも知れぬ真っ暗な洞窟のなかにいます。


 アリスです。

 全身大怪我しましたが、リアリアリアから貰ったコインひとつで完全に回復しました。


 アリスです。

 アイシャ公女が泣きそうな表情で抱きついています。


 予言した人が悪いなんて思ってないし、あなたの予言のおかげでこうして命が助かったんだけどなあ。

 子どもの泣き声は心が痛む。


 アリスです、アリスです、アリスです……。


 さて。

 現実逃避はやめよう。


 アイシャ公女の未来探知による予言の通り、おれは大怪我を負って、見知らぬ洞窟に飛ばされた。

 同行者はアイシャ公女だけだ。


 といっても、その経緯は想像していたものとは少し違った。

 森を歩いていたおれたちは、充分に警戒していたにもかかわらず、魔物に奇襲を受けたのである。


 突然、頭上に大蜘蛛やローパーが出現し、落下してきたのだ。

 リアリアリアが、「転移の魔術ですか」と呟いていた。


 乱戦になった。

 まずは非戦闘員の安全を確保すべし。


 エステル王女に向かった大蜘蛛を、シェルがバリアでブロックする。

 おれはアイシャを背負ったまま距離をとった。


 それが、まずかった。

 茂みに飛び込んだその先に隠れていた双頭狼デュアルウルフがおれに牙を剥いた。


 アイシャ公女をかばって、おれは胸と左肩の肉を抉られた。

 それでもなんとか双頭狼デュアルウルフを蹴り飛ばし、距離をとって――。


 なにか硬いものを踏んだ感覚があった。

 下をみれば、それは地面に埋め込まれた石版だった。


 石版に描かれた奇妙な文字が黄金色に輝く。

 あっ、やばい、と思った次の瞬間、おれとアイシャ公女は真っ暗な洞窟のなかにいたというわけだ。


 見事に予言成就である。

 罠にかかることは避けられなかったが、しかし彼女の予言があったおかげで、おれの怪我は無事、治療できた。


 いまもアイシャ公女が蛍光灯のようなかたちをした明かりの魔道具を使い、周囲を照らし出してくれている。


 あちこちに岩が埋まり、支柱のようになって、一辺が十メートルほどの玄室のような場所を形作っている。

 ここはどうやら、鍾乳洞のような自然の産物ではなく、人工的に地面を掘ってつくられた場所のようであった。


 天井はドーム状で、高さ七、八メートルくらいか。


 部屋の中央の床に石版が埋め込まれていた。

 石版の表面には、森のなかでおれが踏んだものと似た紋様が描かれている。


 この石版を踏めば戻れるのかな? と試しに踏んでみたのだけれど、なんの反応もない。

 まあ、そうだよな……。


 いちおう、ほかの誰かがおれたちを追って転移してくるのを待ってみたのだが……。

 十分以上経っても、誰もやって来なかった。


 あの罠は、いちどきり、だっただろうか。

 いや、そもそもこれは本当に罠なのか?


 部屋の一角にある、たったひとつの出口をみる。

 三メートル四方くらいの通路が、ずっと奥に続いていた。


 ひょっとして、おれが踏んでしまったあの石版って……。


「入り口、だったのかな」


 考えが、口を突いて出た。

 ようやく泣き止んだアイシャ公女が、え、と顔をあげる。


 ようやく我に返ったようで、恥ずかしそうに顔を朱に染め、慌てて身を離す。

 おれは気にしていない、と身振りで示した。


 それよりも、現状を把握しよう。


「罠じゃなくて、あの石版を踏むことで、なにかの入り口に転移したんじゃないかな、って」

「この先は、どこへ続いているのでしょう」

「こんなところに隠しているんだから、きっとすごいお宝があるんじゃないかなあ」


 軽い感じでいってみた。

 ここで深刻になっても仕方ない。


 遭難のセオリー通りなら、このままここで待機して助けを待つべきだろう。

 幸いにして、予言のおかげで覚悟もできていたし、保存食の準備はある。


 しかしほかに出口もないし、この通路の先が気になる。

 もし魔物でもいて、そいつらがまだおれたちに気づいていないなら……。


 こちらから出向いて、始末した方がいいかもしれない。

 安心して休むためには、この場の安全は確認する必要がある。


「ですが、アリスさまはいま、螺旋詠唱スパイラルチャントを受けられないのですよ」

「もちろん、無理はしないよ。螺旋詠唱スパチャがなくても、さっき出てきた魔物くらいなら、なんとかなるし」


 さっきは不意を受けたうえ、アイシャ公女を背負っているというハンデもあって不覚をとった。

 でも正面から戦うなら、まあ、やってやれないことはないだろう。


 公女のポーチに入れていた対魔法剣アンチマジック・ブレードをとり出し、右手で握る。

 この洞窟をつくったのがどの時代の誰かは知らないが、魔法的な罠ならこれで叩き切れる可能性はあった。


「護身用の武器、リアリアリアさまから預かってるよね」

「は、はい。これを……」


 アイシャ公女が、おずおずと両手を差し出す。

 左右、それぞれの中指に、指輪がはまっていた。


 右手の中指の指輪は、赤い宝石。

 左手の中指の指輪は、青い宝石。


「わたくしの魔力で発動する、攻撃と防御の魔法だそうです」

「うん、それ、使っちゃ駄目だよ」


 え? と公女が小首をかしげる。

 おれはなるべく軽く、笑ってみせた。


「それを使うのは、本当に万一のときだけ。基本的には、殿下はアリスが守るから。戦いの素人が付け焼き刃で武器を使っても、かえって危ない。そういうの、聞いたことあるよね?」

「は、はい。護衛の方々からは、常々そのように……」

「だから、アリスとの約束。それはいざというときまで、使わないこと。でも殿下の身の危険を感じたら、アリスに被害が及んでも構わないから迷わず使うこと。――それじゃ、いこうか」


 おれは左手を公女に差し出した。

 アイシャ公女が、しっかりとおれの手を握る。


 彼女はもう片方の手のなかにある明かりの魔道具を通路の向こうに向けた。

 四角く削り出された洞窟の奥がぼんやりと照らし出される。


 ひとの手が入っているにしても、ずっと昔のものがここまできちんと保存されているものかね。

 魔法がかかっているなら、ありうるのかな……。


 周囲は静まり返っていた。

 ふたりとも黙っていると、怖いくらいに空気が淀む。


 かといって、騒いでしまえば、いるかもしれない敵がおれたちの存在に気づくかもしれない。

 意を決し、おれたちは歩み出す。


 部屋を出て、洞窟の奥へ。



        ※※※



 アイシャ公女の手に握られた懐中電灯のようなかたちの明かりの魔道具が、前方の剥き出しの地面、乾いた土を明るく照らし出している。

 彼女のもう片方の手は、アリスとなっているおれの手をぎゅっと握っていた。


 緊張しているのがみてとれる。

 本来は年端もいかない子どもを連れてきていいような場所ではないのだから、無理もない。


 しかもいまは、シェルがいない。

 魔力タンクとしての役割も果たせないのだ。


 まあこっちとしては、彼女の予知のおかげで、危うく一命をとりとめたわけだけども。

 彼女をかばって受けた怪我とはいえ、あの混乱した状況では、彼女以外の誰かをかばって負傷していた気もするしね……。


「そんなに不安にならなくても、大丈夫だよ」


 だからおれは、なるべく軽い口調で、そういってみせる。


「地面に糞も足跡もないんだから、きっとこのあたりには魔物がいない。襲われる心配はしなくても平気じゃないかな」

「あの……少々、よろしいでしょうか」

「うん、なに?」

「ここにはわたくししかおりませんのに、どうしてアリスの口調のままなのですか、アランさま」

「あーうん、そういうマジレスは心にダメージが来るかな……」


 なんとなく、心が身体に引っ張られるんだよ!

 この姿のときは、ついついアリスを演じてしまうというか。


「えーと、この口調のままじゃ嫌かな?」

「いえ、少し気になっただけですので、そのままで構いません。アランさまのご趣味に口を挟むつもりは……失礼いたしました」

「え、なんか勘違いしちゃってる? 趣味じゃないよ? そういうのじゃないんだよ?」


 そんな、戸惑いを呑み込んで受け入れるのがいい女、みたいな顔をしないでくれませんかねえ?


「お気になさらないでください。相手の趣味趣向についてはなるべく理解を示すようにと、躾けられて参りました」

「そのいいかた、絶対に誤解してるよね!? 本当に違うよ? そういうんじゃないよ?」


 まことに遺憾である。

 とはいえ、いつ騎士たちと合流するかわからない以上、いまだけアランの姿に戻る、というのもためらわれた。


「しかしそうなりますと、わたくしはアランさまに対して、どのような態度で接すればよろしいのでしょう」

「ま、まあ、あまり気にせずいつもの調子で接してくれればいいんじゃないかな! あとアリスって呼んでね!」

「かしこまりました、アリスさま。――あと、もう一点、いまのうちにお聞きしておきたいことがあるのですが……」

「うん? なにかな?」

「いざというとき、交合をもってあなたさまに魔力譲渡をするよう仰せつかっております。最低限の説明は受けておりますが、女性同士というのは、その……どのようにすればよろしいでしょうか?」


 知らないよ!

 っていうかたしかに魔力譲渡はエッチなことするのがいちばんロスがないけど、いくら魔力タンク扱いだからってこんなちいさな子に命令したの誰だよ!


 そりゃ王族たちですね、わかります。

 ディアスアレス王子でもマエリエル王女でも、それくらい余裕で命令しそうだな。


 まあそもそも、戦闘中にそんなことできるのは山田風太郎の忍者だけである。

 端的にいって現実的ではないし、おれは使える魔法がふたつしかない以上、戦闘以外では魔力をほとんど使わない。


 そもそも、お互いの身体の一部が接触していれば、ある程度の魔力譲渡は可能なのだ。

 ロスは多いけど。


 あとは他人の魔力を貰う際の激痛を、おれが耐えればいいだけのことだ。

 へーきへーき、痛みには慣れてるから。


「こうして手を繋いでるだけでも、アリスがふだん使う魔力くらいなら充分だよ」

「そうなのですか」

「うん、だってアリスの魔力、殿下に比べたらずっと低いから」


 悲しいなあ。

 でも事実なんだよなあ。


「だから、くれぐれも御身を大事にしてね」

「ありがとうございます、アリスさま。ところで、その……」


 アイシャ公女が、なおもなにかいいかけた。

 おれはふと気づき、空いた手で合図して静かにさせる。


 静寂のなか、ぴちょん、ぴちょんと断続的な水音が聞こえてきた。

 嗅覚を強化して鼻をひくひくさせれば、前方からほんの少しだけ水の臭いが漂ってくる。


 水がある、ということは、そこに生物が棲む可能性が出てくる。

 気楽に会話を続けるのも、ここまでだろう。


「殿下、忍び足は得意ですか」

「さきほどリアリアリアさまからお借りした魔道具を使ってよろしければ」

「では、頼みます」


 アイシャ公女がポーチから指輪をとり出し、己の手にはめる。

 彼女の周囲で弱い風が吹き、それを最後に彼女の気配が薄くなった。


 いや、指輪を中心として発動した魔法によって空気の渦が彼女をとり巻き、音と臭いを遮断したのだ。

 さすがは大魔術師さま、こんな状況でも便利な魔道具を、とっさに選んで渡していたとは。


 続いて彼女はゴーグルをとり出すと、そのうちのひとつをおれに手渡した。

 問い返さず、彼女と同時にゴーグルをかける。


 アイシャ公女が明かりを消した。

 にもかかわらず、ゴーグルを通したおれの目は薄暗い明かりに照らされているように周囲をよく見渡せていた。


 暗視の魔法がかかっているのだ。

 やけに近代的なデザインなのは、きっと制作者であるリアリアリアが、おれの記憶を参考にしたからだろう。


「それじゃ、いこうか」


 おれは魔法に頼らず足音を消して、歩き出す。

 アイシャ公女が少し遅れてそれに続いた。


 ほどなくして、おれたちは広い地底湖にたどり着いた。


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