第61話

 押し寄せてきた魔物たちを始末したあと。

 おれたち二十五人は、リアリアリアが発見した赤いリボンの結んである樹のそばまで移動した。


 おそらく、連絡を絶ったエネス王女たちが残した手がかりであろう。

 赤いリボンは、周囲よりもひとまわり以上太い巨木の、十メートルちょっとの高さの枝にかたく結びつけられていた。


 騎士のひとりがさくさくと樹を登り、リボンを回収して飛び降りて、リアリアリアにそれを手渡す。

 我らが大魔術師は、リボンをみて小首をかしげた。


「綺麗なものですね。魔力でもこもっているかと思いましたが、それもありません。エステル、これに見覚えは?」

「うーん、エネスってアクセサリをいっぱい持ってたから、ちょっとわからないなあ。部下のものかもしれないでしょ」

「それもそうですね。と、なると……アリス、みてみますか?」


 おれはリアリアリアから赤いリボンを受けとった。

 あれこれいじってみて、気づく。


 布の縫い目になにか挟まってるな。

 刃物で縫い目の糸を切り、布を広げてみる。


 薄い紙が布と布の間に挟まっていた。

 折りたたまれた紙を開き、ざっと中身を読む。


 暗号らしき、おれにはわからない象形文字のようなものが記されていた。

 うん、パスパス。


「アリスわっかんなーい」

「はいはい、リアちゃんが読んであげますね」

「自分でリアちゃんいうな」


 リアリアリアは、おれから手渡された紙を手にして、なるほど、と呟いた。

 あ、暗号がわかるんだ? さっすがー。


「簡単な魔法文字です。文字そのものではなく、この文字を媒介として魔法を行使しているのですよ。もちろん、相応に、これに魔力を流すことができる前提となりますが……」


 リアリアリアが紙に手をかざす。

 おそらく魔力を流したのだろう。


 紙が黄金色に輝いた。

 そよ風が吹き、おれたちの頬を撫でる。


「以下の文言は第四王女エネステテリアが記したものである」


 エネス王女の言葉が、風に乗ってどこからともなく届いた。

 紙に記された魔法が発動したのだ。


「すでに理解していると思いますが、この森の樹木は定点に再生します。魔物は再生しませんが、どこからともなく湧いてくる様子です。我々第零遊撃隊は、森の外に脱出するべく、もっとも魔力が薄い南部に向かったものの、森にかけられた惑わしの魔法によって、もとの場所に戻ってきてしまいました。東と西も同じです。頭上の結界を破ることも不可能でしたが、これは我らに充分な魔力あるいは打撃力に長けた者がいなかったためかもしれません」


 淡々と、王女の声が告げる。

 なるほど、あらかじめいくつかの可能性を潰してくれているのは助かる。


 彼女が挙げている調査項目は、こっちもしらみつぶしにやるはずだったことであった。


「深刻なのは、時間が経過しても各人の持つ魔力が回復しないことです。消費したぶんの魔力が、いつまで経っても補填されません。自分と他者の間で魔力をやりとりすることは可能でした。森全体にかかっている保全の魔法の影響でしょうか」


 おれたちは互いに顔を見合わせた。

 魔力が回復しない、というのは魔術師にとって深刻な事態だ。


 騎士にとっても同様で、彼らはさきほど、肉体増強フィジカルエンチャントをかけて魔物と戦った。

 多少なりとも魔力を消費している。


 魔物たちがどこからともなく湧いてくるというなら、この森に囚われている限り消耗が続き、いつかは魔力が尽きて戦えなくなってしまうだろう。

 それは、さきほど無双していたブルームとて同様である。


「故に我らは、これより最後の可能性に賭けて北に向かいます。後続の方々は、くれぐれも魔力を無駄に消費せぬようご注意ください。健闘を祈ります」


 言葉が途切れた。

 紙が燃え、リアリアリアの手のなかで灰になる。


 灰は風に乗って宙を舞い、四散した。

 おれたちは各々、黙ってそれを見守った。


「あの子は相変わらず、せっかちですね」


 リアリアリアがため息と共に、しみじみと呟く。


「もう少し待っていてくれれば、わたしたちと合流できたものを」

「吾輩はその方を存じませんが、合流しても魔力が消耗した状態ではさして手助けができぬとなれば、後の者たちの礎となるべきである、と信じたのでしょう」


 ブルームが口を開く。

 彼はそういいながら、首を横に振った。


「できればもう少し、後続の者を信じて欲しかったですな」

「エネスはなんでも自分で抱え込んじゃうタイプだからねえ。そのへん、あそこの公の血なのかもねえ」


 あー、エステル王女の言葉は耳が痛い。

 ほらー、リアリアリアが意味深におれの方をみてるー。


 おれは、ちゃんとこの世界の今後のこと、リアリアリアに全部ぶちまけて相談したから。

 まあ彼女に心を読まれたから、ではあるんだけど。


 シェルもおれをじーっとみてる。

 先日のリミッター解除の件は本当に悪かったと思ってるって。


 アイシャ公女もおれをじーっと……って。

 うん? 彼女は、なんでだ?


 というか公女の顔色が悪い。

 怯えるように、ひどく震えている。


「アイシャ殿下、どうしたの? 体調、だいじょうぶ? おんぶする?」

「あ、いえ、その……。みえてしまった、のです」

「みえた? あ、未来探知?」


 アイシャ公女は緊張するように唾を飲み込むと、ひとつうなずいた。

 わーお。


「どんな内容?」

「アリスさま、あなたが、ひどい怪我をしていました。いまにも死にそうで、ああっ、ごめんなさい。でも、わたくしでは流れる血を止めることもできなくて、あっ、ああ……っ」


 すがるように、公女はおれをみつめる。

 碧い双眸から、いまにも大粒の涙の粒がこぼれ落ちそうだった。


「わわっ、えっと、深呼吸しよう。はい、すーはー、すーはー」


 言葉に詰まってしまった少女に繰り返し深呼吸させて、気持ちを落ち着かせる。

 皆がおれたちに注目していた。


「はい、それじゃもういちど、ゆっくり話してみてね」

「は、はい」

「まずは、場所。どんな場所だった?」

「そ、それが……まわりが薄暗くてよくわからなくて……」


 少女は、ゆっくりと語り出す。


「土の壁で囲まれていました。あなたがひどく怪我をしていました。そばにいるのはわたくしひとりで、わたくしはあなたにすがりついて泣いていました。その光景をたとたん、悲しくて、胸がいっぱいになって……。あなたが死んでしまうことは、避けられなくて……」

「うーん、洞窟のなか、とかかな? うん、ありがとう、殿下」


 おれはリアリアリアをみあげる。

 大魔術師がうなずいた。


「ど、どうすればいいのでしょう、リアリアリアさま。わ、わたくしは、なんという未来をてしまったのでしょう」

「なぜ、そこで己を卑下するのです?」


 アイシャ公女の切羽詰まった言葉に対して、リアリアリアは不思議そうに首をかしげた。


「極めて有用な予言です。よく話してくれました、アイシャ。未来がわかれば、対処のしようもあります。そうですね、アリス」


 大魔術師が、おれの方を向いて意味深な笑みをみせる。

 ああ、そうだな……そうだよ、その通りだ。


 リアリアリアは、おれの記憶から未来を覗きみて、来たるべき事態に対処するべく積極的に行動した。

 いまや彼女は、未来を変える方法を誰よりもよく知っている、といってもいいだろう。


「おおきく分けて、ふたつ方針が考えられます。アリスとアイシャがふたりきり、ということは、ふたりがすぐ近くで活動していたということ。両者を引き離し、そのうえで充分な警戒をすれば、アイシャが覗きみた未来は変化する可能性が高い」

「でもそれだと、アリスひとりで死んじゃう可能性もあるよね。あるいは……」


 あるいは、アイシャ公女がひとりで死ぬか。

 彼女の予言の状況からして、アリスおれが公女をかばって傷を負った可能性が高い。


 リアリアリアもそこまでは想像がついていたのだろう。

 おれの言葉を遮るように、軽く手を挙げる。


 わざわざ公女を責めるような言葉を吐くことはない。

 おれは言葉を切って、うなずいてみせた。


「故に、なるべく予言の通りになるように行動しましょう。そのうえで……アリス、まずはこれを」


 大魔術師は、黄金色に輝くコインを二枚とり出すと、おれに放り投げてきた。

 慌ててキャッチし、しげしげと眺める。


 なんの紋様も入っていないし、ただの金貨じゃないみたいだけど……なんだこれ。

 いや、この状況で渡してくるんだから、魔道具なのはわかるけど。


「使い切りの、治療の魔法が込められたコインです。キーワードひとつで魔法が発動します」

「ちなみに、これ一枚でいくらくらいなのかな?」

「値段などつけられないでしょうね。存在を知れば、各国が先を争って手に入れようとするでしょう。一枚ごとに、わたしが数年かけて魔力を込めたものです。切り札として温存してきたものですよ」


 おい、そんなもの気軽に二枚も渡してくるな。

 慌てるおれに、リアリアリアはにやりと笑ってみせる。


「アイシャの予言がなければ渡しませんし、予言があった以上、ここでためらう理由はありません。そうでしょう?」

「そりゃそうだけど! 雑に投げ渡すのはどうかな!?」

「アイシャ、あなたにも一枚、渡しておきましょう。それと、いくつか護身用の魔道具も……。あなたのた内容から考えて、怪我をしたアリスのそばにいて彼女を援護できる可能性が高いですから」

「え……あ、はい。ありがとうございます」


 リアリアリアは、どこからともなくとり出したポーチにお札やらコインやら短剣やら、ついでに保存食やらを放り込んでいく。

 あのポーチ自体に空間拡張の魔法がかかっているんだろう、明らかに容量より多い物資が詰め込まれる。


 四百五十歳の大魔術師、さすがに対応力が半端ない。


「ではアイシャ、これをしっかりベルトで身体にくくりつけておいてくださいね。あなたの予言のおかげで、これだけの備えができました。あとは覚悟を決めて、そのときに備える。そのときがきたら対応する。それだけです」

「はい、リアリアリアさま! わたくしの命に代えてもアリスさまをお助けします!」


 涙をぬぐい、ぐっと拳を握るアイシャ公女。

 いや、そこまで覚悟を決めなくても。


「さて、それでは――参りましょうか」


 改めて。

 リアリアリアが皆を見渡し、告げる。


 おれたちは先発隊を追って、北を目指した。



        ※※※



 下生えの草が、リアリアリアが歩くそばから左右に割れて道をつくる。

 しかしそうしてできた道も、おれたちが通り過ぎるともとに戻ってしまう。


 振り返れば、自分たちが通ってきた道はない。

 もう、どこをどう歩いてきたか、さっぱりわからない。


 周囲は薄暗く、小鳥や虫の音に混じって時折、不気味な叫び声が響く。

 そのたびに、おれのそばを歩くアイシャ公女がびくりと身をすくめ、その隣を歩いているエステル王女の服の端をぎゅっと掴む。


 なんどか魔物が襲ってきたが……。

 一回ごとに数体程度の散発的な攻撃は、積極的に前に出てくれた騎士たちによって、たちどころに始末してくれた。


 消耗した魔力が回復しない、という情報を得た以上、主力の魔力はなるべく温存して欲しい。

 騎士たちは、自らそう、献身を願い出たのであった。


 そもそもここにいる騎士たちは、全員がおれの倍以上の魔力があるエリートだからね!

 螺旋詠唱スパイラルチャントがなければ、戦士たちのなかで最弱は間違いなくアリスだからね!


 魔術師たちが進行方向の扇状に使い魔の鳥を飛ばし、エネス王女の残した目印を探しながら移動する。

 目印は最初に発見したときと同様、樹上に結びつけられたリボンや布切れだ。


 目印はいくつか発見したものの、あれからメッセージはいちども同封されていない。


「敵対的な存在が偽の目印でわたしたちを誘導する理由など、特に思いつきません」


 とリアリアリアが決断し、目印に沿って北上を続けた。

 しばらくするとエステル王女とアイシャの歩みが遅くなる。


 舗装された道ならともかく、こんな森のなかを歩き慣れていないのだ。

 リアリアリアが休憩を宣言した。


「ごめんねー、ぼくのせいで」

「帰ったら、体力をつけなければなりませんね、エステル」

「それはヤダーっ」


 エステル王女は、これっぽっちも悪いと思っていない口調である。

 いっぽうのアイシャ公女の方は、荒い息を整えることに集中しているが……それはそれとして自分の体力不足をしきりに申し訳なく思っているようだった。


 こちらとしては、十歳の子どもを連れてきてしまって申し訳ないとしかいいようがない。

 とはいえ彼女の魔力は有用だし、なによりさきほどの予言もあるからなあ……。


「アイシャ殿下はアリスが背負っていこうか?」

「え、そんな。悪いです」

「へーきへーき、アリスは体力があるからね。それに、予言でもわたしたち、いっしょにいるんでしょう?」


 そう提案したところ、エステル王女がさっと手をあげた。


「はいはーい、ぼくもおぶって欲しいでーす!」

「あなたは歩きなさい。帰ったあとのトレーニングも、必ずやってもらいますからね」


 リアリアリアが無常に告げる。

 エステル王女の情けない悲鳴が森に響き、ブルームが豪快に笑った。



        ※※※



 休憩が終わり、おれがアイシャを背負って、ふたたび歩き出す。

 さて、予言の一件もあるから充分に用心しよう。


 それにしても、おれが洞窟のなかで怪我をしていた、か。

 落とし穴、とかかなあ。


 でも、こうして足もとに注意していれば、たぶん大丈夫だ。

 落とし穴になんか絶対に落ちないんだからね!



        ※※※



 それから十分ほど歩いたあとのこと。

 おれとアイシャ公女は、転移の罠を踏んで見知らぬ場所に飛ばされた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る