第60話

 転移の罠、か。


 おれたちの現在地はわからないが……たぶん同じ森のなかで、しかしずっと奥の方だろう。

 そりゃ、これに引っかかったら簡単に戻ることもできない。


 ジャミングで通信系の魔法が使えないなら、なおさらだ。

 とはいえ、それだけで第零遊撃隊がなんのアクションもしなかったとは考えにくいのだが……。


 おれとシェル、エステル王女とアイシャ公女、リアリアリア、五人の魔術師と二十人の騎士、そしてブルーム。

 これだけの人数を同時に飛ばす魔法とは、いったいどういったものなのだろうか。


「エステル、王国放送ヴィジョンシステムはどうですか」

「あ、リア婆ちゃん。えっと……うん、王都との連絡、できないや」


 リアリアリアの問いに、エステル王女は背負った袋を降ろし、なかから両手で抱えるほどおおきな青白い水晶とり出すと、それを覗き込んで告げる。

 王国放送ヴィジョンシステムの携帯端末だ。


「やはり魔力の伝達を阻害する結界のようなものが張られているのですね。これが聖遺物の影響かどうかは、まだわかりませんが……」

「まずは現在、我々がどこにいるか確認するべきでしょうな!」


 ブルームはそういうと、全身に魔力を巡らせ、跳躍した。

 一気に十メートル以上。


 跳躍の頂点付近で大樹の幹を蹴り、さらに上へジャンプ。

 一気に樹冠を飛び抜けて、森の上に出る……はずが。


 樹冠の上に存在するなにかに衝突する鈍い音。

 ブルームの身体が勢いよく落下し、地面に衝突……する寸前、リアリアリアが小杖ワンドを振る。


 彼の巨体は、虹色の空気の塊のようなものに包まれ、ふわりと着地した。

 ハゲ頭を押さえ、むう、と呻きながらブルームは起き上がる。


「みえない壁のようなものが上空に張り巡らされているようですな!」

「普通、まずは使い魔などでたしかめるものでしょう。聖僧騎士ブルーム、迂闊ですよ」

「まったくもって面目ない!」


 リアリアリアに叱られ、しかし大男は、がははと豪快に笑う。

 ぜーんぜん反省してないな、こいつ。


 それにしても、上空には透明な結界か。

 予想通りではある。


 エネス王女だって飛べるだろうし、それだけではなく第零には使い魔持ちが何人もいたはずだ。

 この手段が使えるなら、とうに使って、外と連絡をとっていたはずである。


「では、我が拳で頭上の透明な壁を破壊してみるといたしましょう」

「待って、ハゲのおじちゃん」


 おれはふたたび飛びあがろうとした聖僧騎士ブルームを止めた。

 背負った剣を抜き、彼に手渡す。


 対魔法剣アンチマジック・ブレード

 付与魔法バフを解除する、特別な武器だ。


「やるなら、これを使ってみて」

「ふむ。吾輩まだおじちゃんと呼ばれるほどの年ではなく、ハゲではなく剃っておるのですが……」

「いいから、剃ってるお兄ちゃん」


 怪訝な表情をしながら対魔法剣アンチマジック・ブレードを受けとるブルームに、この武器のことを説明する。


「なるほど、しからば」


 ブルームは驚異的な跳躍力でさきほどと同様、大樹の上方まで到達、そこから樹の幹を蹴ってジャンプする。

 樹冠の少し上、前回は壁に当たり跳ね返されたあたりに剣を突き刺す。


 乾いた衝撃音と共に、剣が結界と衝突し――。

 そのまま、弾かれた。


 ブルームは落下し、空中でくるくる回転したあと無事着地。

 震える腕が対魔法剣アンチマジック・ブレードをとり落とした。


「申し訳ございません、アリス殿」

「ううん、ありがとう!」


 おれは地面に落ちた剣を拾う。

 幸いにして、刃こぼれひとつついていなかった。


 それにしても、対魔法剣アンチマジック・ブレードでも破れないかー。

 おれは剣を手に、リアリアリアの方を向く。


「結界魔法って付与魔法のひとつじゃないっけ?」

「本来はそうですが、これはずいぶんと古い……わたしが生まれる前の術式のようです」

「リア婆ちゃんが生まれる前って、五百年前!?」


 エステル王女が驚く。

 四百五十年前だぞ。


 いやまあ生まれる前の、ということは五百年前の魔王戦争より前という可能性もあり得るが……。

 そのへん、どうなんですかね?


 と水を向けてみるが、リアリアリアは額に皺を寄せて押し黙ってしまった。

 なにやら考え事がある様子。


「ししょ……リアリアリアさまは、こうなったときは放っておいた方がいいよ」


 シェルがいう。

 そうかもしれないなあ。


「うーん、こりゃーリア婆ちゃんは放っておこう。シェルちゃん、周囲の捜索は、どう?」

「殿下、えーと、はい」


 ブルームが空と格闘している間に、シェルと魔術師たちが使い魔を放ち、周囲の情報を集めてくれていたようだ。

 それによれば、周囲は少なくとも数キロ、どこまでいっても森のなか。


 ひとの気配はなく、鳥や大型の動物の気配もない。

 リスなどの小型の動物や、もっとちいさな虫などは存在する模様。


 植生は、転移前とさして変わらない様子。

 ただし、ところどころで魔物が徘徊している。


「魔物ですか!! 滅ぼさなければ!!」


 ブルームが大声で叫んだ。

 皆が耳に手を当てて顔をしかめる。


「声を落として、聖僧騎士ブルーム」

「申し訳ございません、エステル殿下!」


 使い魔によって発見された魔物は合わせて百体ほどで、いずれも人型サイズからそれよりひとまわりおおきな程度だ。

 火吹き犬ファイアドッグ双頭狼デュアルウルフ、馬くらいのおおきさがある大蜘蛛、それからローパーと呼ばれる無数の触手を持った毛玉。


 魔王軍でも一般的にみる魔物たちだ。

 普通の騎士であれば、一対一ならなんとかなる程度である。


 今回同道してくれたような上積みの騎士たちであれば、ひとりひとりが五体を相手にしても戦えるだろう。

 とはいえ……どうして、これほどの数の魔物たちが、こんなところに?


「その程度の魔物たちにエネス殿下と第零が敗れるとは思えないなあ」


 おれが呟けば、エステル王女も同意するようにうなずいてみせる。


「だよねー。なのに、なんの手がかりもみつからない、となれば……なんだろ」

「ふむ、そうですね……少し実験してみましょう」


 リアリアリアが、いつもの調子に戻った。

 話を途中から聞いていたのか、両手を広げても抱えれきれないほど太い樹の幹に片手をつく。


 次の瞬間、強い風が彼女の周囲を吹き荒いた。

 太い樹は、リアリアリアの胸の高さですっぱりと切断された。


 めりめりと音を立てて横倒しになり、地面がおおきく揺れる。

 その音と揺れが呼び寄せたのか、魔物の唸り声が近づいてきた。


「大魔術爵殿、やるならひとこと断ってからにしてください!」


 魔術師たちが抗議の声をあげるが、リアリアリアは「あの程度、たいした脅威でもないでしょう」と平然としている。

 たしかに、たいした脅威じゃないけどさあ。


 おれたちのいる森の空き地に、足の速い火吹き犬ファイアドッグ双頭狼デュアルウルフが殺到してくる。

 素早く隊列を整えた二十人の騎士がそれを迎撃し、五人の魔術師がそれを援護した。


 聖僧騎士ブルームも先頭に立って、その力を振るっている。


 ブルームの拳が炎をまとって唸り、飛びかかってきた双頭狼デュアルウルフを横殴りの一撃で吹き飛ばす。

 火吹き犬ファイアドッグが吐きだした炎の嵐に対して、氷の魔力がこもった蹴りを放ち、これを一瞬で四散させる。


 すごい。

 力こそパワー、を地でいっている。


 圧倒的な魔力と、それを十全に使いこなす技量、さらに筋肉、そして筋肉、もうひとつ合わせて筋肉。

 背中の両手剣を封印しているにもかかわらず、すべてを併せ持った、理想的な戦士の究極系がそこにあった。


 これ、もう全部あいつひとりでいいんじゃないかな。

 とは、いかないか……。


 よーし、それじゃおれも、いっちょ。

 と前線に出ようとしたところ、リアリアリアがおれの肩に手を置く。


「アリスは見学です」

「えーっ、なんでさーっ」

「いまのあなたの魔力源はそこのふたりだけであること、よくご承知を」


 あ、そうだった。

 エステル王女とアイシャ公女をみる。


 ふたりとも、少し緊張しているのか、引きつった表情になっている。

 無理もない。


 特にエステル王女は、これまで荒事なんて、王国放送ヴィジョン端末の向こう側でしかみたことがなかっただろうから。

 アイシャ公女だって、この前、おれが抱えて逃げまわったあのときが、初めてみた戦いの情景であっただろう。


「まー、そうだね。じゃあアリスはリアさまの護衛ってことで」

「おや、リアさま、ですか」

「リアお婆ちゃん、の方がいい?」


 挑発的な目で彼女をみあげてみれば、リアリアリアは面白がって「そうですね、リアちゃん、と呼ばれたいです」と返事をする。


「年を考えろ、年を」


 思わずマジレスしてしまった。

 エステル王女が、ぷっ、吹き出す。


「ひどいですね。どう思いますか、シェル」

「えっと、リアリアリアさまは年齢のことでいじられても怒らないひとだと思いますよ、なんとなく」

「シェルはよくわかっていますね。特別に、あなたもわたしのことをリアちゃんと呼んでいいですよ」


 シェルが、えーっ、という顔でおれの方を向く。

 はっはっは、愛しい妹よ、こっちに振らないで。


「さて、この樹をみてください」


 周囲で激しい戦いが行われているなか、リアリアリアは呑気な態度で、己が切り倒した樹を指さす。

 おれたちの視線がそこに集中し……そして。


「あんれぇ?」


 エステル王女が珍妙な声をあげるが、それはおれたち一同の気持ちを代弁していた。

 切断されて切り株と倒木に分離していたたはずの樹が、まるでそんなことは幻であったかのように、もとの通りの状態に戻っていたのだ。


「樹が……再生した、ってこと?」


 おれはリアリアリアに訊ねる。


「ええ、まるで時が逆にまわったかのように、もとの状態に戻っていきました。なんらかのかたちで状態が保全される魔法がかかっているのですね。非常に興味深いことです」


 雑談をしながら、そんなところまで観察してたのか、このひと。


「エネスたちが手がかりを残さなかった理由も、これで判明いたしました。彼女たちが手がかりを刻んでいたとしても、それは巻き戻り、消えてしまったのでしょう。第零がそれに気づいていたか、いなかったかはわかりませんが……気づいていたなら、手がかりを残すにしても、それを前提とした場所に、となるでしょうね」


 倒れた樹が勝手にくっついて、もとの形にもどる。

 これが状態保全の魔法のようなものだと、リアリアリアはいう。


 この森の環境を乱しても、すぐもとの形状に再生されるということは、森のどこかに傷をつけるような方法では目印とならない。

 ではどうすればいいか、といわれれば……。


「うーん、どこか目立つ場所にエネス殿下や第零の誰かの持ち物を置いておくとか? 樹の上の方に、なにか目立つ印とかない?」


 適当に案を出してみた。

 リアリアリアはおれの言葉にふむとうなずき、己の小杖ワンドを軽く振る。


 心地よい風が吹いた。

 風は周囲の木の葉を巻き込んで、螺旋を描きながら宙へ舞い上がる。


 しばしののち。

 大魔術師は、西を指差した。


「ありました。この先三百歩ほどの距離、樹上の高い枝に赤いリボンが巻きつけられています」


 よし、きっとそれだ。


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