第59話

 聖僧騎士ブルーム。

 空から舞い降りた筋肉の天使だ。


 装備は局部をギリギリ覆う黒いパンツと、ショルダーベルトで背負った巨大な両手剣と、全身の筋肉である。

 聖教の最大戦力である七人の聖僧騎士、そのひとり。


 リアリアリアが聖教に報告した後、すぐに動いてくれた頼もしき救援。

 その、はずだ。


 ええと……どこから情報を処理すればいいかな……。

 おれいま、ちょっと混乱しているぞ。


 あ、目が点になっていたエステル王女がわれに返った。

 王女が、ブルームと名乗った筋肉の塊に訊ねる。


「ねー、なんで空から?」

「飛び降りて! 参上!! いたしました!!!!」


 ブルームは両腕の筋肉をこれみよがしにみせながら、白い歯をきらめかせ、ニカッと笑った。

 微妙に答えになってない気がする。


 いや、うーん、パラシュートなしで空挺落下した、ってことかな?

 天をみあげる。


 日は中天に達し、空は限りなく青かった。

 頭上では、鳥がのんびりと弧を描いている。


 ――違う。

 あれは、高度が高すぎるだけで、その本来のおおきさは……下手したら、象よりおおきいんじゃないか。


「聖教では魔獣を飼い慣らしていると聞きましたが、あれがそうですか」


 リアリアリアが呟く。

 ブルームが「いえ!」と叫び首を横に振った。


「魔獣ではありません! 聖獣ですぞ、大魔術師殿!! 聖獣グリフォン!!!! 我らの頼もしい信仰の友でございます!!!!!!」


 とても、うるさい。

 シェルが無言で耳に指で蓋をしている。


 エステル王女とアイシャ公女は、よほど教育が行き届いているのか笑顔を崩さない。

 たいしたものである。


 聖教本部が聖獣部隊と呼ばれる空を飛ぶ騎乗生物の部隊を組織しているのは噂で知っていたけど、あれは本当に虎の子、切り札中の切り札であったはず。

 ブルームを派遣するために、その切り札を切ってくれたとは……向こうは今回、本気も本気だ。


 と――。

 ブルームが、おれの方を向く。


「あなたが!! アリス殿ですな!!!! 配信、いつもみておりますぞ!!!!!!」

「あ、うん、ありがとー。あと、もう少し、ほんのちょーっとだけ声を落としてもらえるかな?」

「これは! 失礼!! 是非、握手を!!!」


 あ、声量が半分くらいになった。

 ブルームは腰を曲げておれと同じ視線になり、野太い手をぬっと差し出してくる。


 これ、アリスの手が握りつぶされない? 大丈夫?

 おそるおそる、相手の手を握る。


 ブルームは、意外にも紳士に、やさしくおれの……アリスのちいさな手を握り返してくれた。

 なんか子ども相手の対応が手慣れている感じがあって、そこは好感が保てるな。


 巨漢の大男は、少し違和感を覚えたように首をかしげたあと、すぐ「なるほど」とうなずく。


「本来のお身体ではないのでしたな」


 あっ、こいつ、自己変化の魔法セルフポリモーフのこと一発で見破りやがった。

 手の感触だけでわかるものか……。


 いや、わかるか。

 ふだんから剣をぶんぶん振っているのに、アリスの手はタコのひとつもついてないもんな。


 肉体増強フィジカルエンチャントによってそのへんごまかしながら戦っているので、きちんと鍛えた者になら、看破されても仕方がない。

 公式には、アリスはメリルアリルの姉が変身した姿ということになっているし。


 だがブルームは、おれにだけ聞こえるよう顔を近づけて、ぼそりと呟いた。


「あなたは男性ですな」

「えっと」

「無論、あなたの秘密は守りますとも」


 暑苦しい顔が離れる。

 ブルームは、がはは、と豪快に笑った。


 っていうかこいつ普通にしゃべれるのかよ!


「アリス殿と共に戦えること、身に余る光栄です! このブルーム、あなたの盾となり剣となって悪に立ち向かいましょう!!」

「あ、うん、よろしくね、聖僧騎士ブルーム。あはは……」


 リアリアリアの方をみる。

 さきほどのやりとりが聞こえたのか、聞こえていないのか、平然とした顔で森の方をみていた。


「さて、そろそろ参りましょうか」

「マイペースだなあ、リア婆ちゃん」


 エステル王女が呆れているが、まあこのひとのマイペースはいつものことだ。

 大魔術師は、自分が先頭に立って丘を降りていく。


 このまま号令もなにもなく、森に突入するつもりらしい。

 エステル王女とアイシャ公女が、慌てて彼女に続いた。


「アイシャ、歩くのが辛くなったらいってね。後ろのひとたちに背負ってもらうから」

「は、はい、アリスさま。ですがなるべく、自分で歩いてみます。わたくしも肉体増強フィジカルエンチャント程度はできるようになりました」


 ふたりに続いて、おれとシェルが並ぶ。

 その後ろに魔術師と騎士二十五人、最後尾にブルームが、おれと無言せ視線を交わしたあと配置につく。


 戦力でいえば、おれとブルームがツートップだろう。

 片方をリアリアリアのそばに配置し、もう片方を最後尾に配置するということだ。


 最悪の場合でも、どちらかが部隊を守り、もう片方は撤退して情報を持ち帰ることができるに違いない。

 お互いの役目を考えると、螺旋詠唱スパチャが欲しいおれはエステル王女たちのそばがいいし、増援でありこの一行とのしがらみがないブルームはいつでも逃げられる場所の方がいい。


 そもそも大魔術師であるリアリアリアが先頭に立っていることにツッコむべきかもしれないが……。

 探索系の魔法だけでも、彼女はこの大陸でトップクラスの実力の持ち主だろう。


 加えて肉体増強フィジカルエンチャントもお手の物、そのほかいくつもの魔法を同時起動して周囲を警戒しているに違いない。

 というか、シェルがこっそりおれに耳打ちしてくれたところによると、我が妹でわかる限りでも十七種類の魔法が常に発動しているとのことだった。


 現に森のなか、密に茂った藪を構成する草木が、まるで彼女の通り道をつくるように、すーっ、と左右に身を倒しておれたちが通りやすいようにしてくれている。

 彼女が手にした小杖で近くの木を叩けば、こん、という乾いた音と共に木々が身をよじり、おれたちの行く先の正面に立っていた大樹がぐねぐねと這いずるように動いて、リアリアリアのために道をつくった。


「木々が、まるで生き物のように……。このような魔法、初めてみました」


 アイシャ公女が目を丸くしている。

 だいじょうぶ、おれたち兄妹も、エステルも、背後の魔術師たちや騎士たちだって、きっと初めてみただろうから。


 最後尾のブルームはわからないが、彼はちょっと離れたところにいるから、この光景がみえていないかもしれない。

 まあ、彼が感動して大声で叫び出したらうるさくてたまらないから、あれは放置でいいだろう。


「これは厳密には魔法ではありませんよ、アイシャ。森にお願い・・・しているのです」

「それって、リア婆ちゃんが妖精の血を引いているから?」


 あ、エステル王女がぶっこんだ。

 妖精の血、混じり者。


 まあ気にしないひとは全然気にしないけど、いまはヒト至上主義の聖教から来たブルームがいるんだぞ。

 聖教もいちおう、分派によってはそのへんに対するスタンスがいろいろらしいけど……。


 ちらりとブルームを振り返れば、聖僧騎士はムンと胸を張って筋肉を強調し、にっこりと白い歯をみせてくれた。

 気にしていない……のかな?


「そうですね、もう同族はひとりも残っていませんが……。森はもともと、わたしの祖先が暮らしていた大地。妖精という種そのものが、いまよりずっと神秘が濃かった時代の残滓です。魔族と同一視されることもありますが、魔族と違い、ずっとヒトに近い存在であります」


 へー、そうなんだ。

 実は妖精とはなんなのか、おれはよく知らないんだよな。


 ゲーム中にはフレーバーでしか出てこない概念だったから。

 登場キャラのひとりに妖精の血を引く者がいたくらいである。


 魔族と同一視されることもある、ということは……。

 ああ、だいたいわかった、かも?


 あとでリアリアリアと話し合って、これが正しいかたしかめるとしよう。


「しかしながら妖精とは同時に、ヒトにはない、森のなかで生きるための数々の御業をもって生まれ、それを生きる術として用いるものたちです」


 リアリアリアはアイシャの方を向く。

 少女がきょとんとして、自分を指さした。


「わたくしに、なにか?」

「アイシャ、おそらくあなたのなかにも、わずかながら妖精の血が流れているのですよ」

「リアリアリアさま、それは未来探知の魔法のことですか」

「ええ。それは厳密には魔法ではなく、妖精が持つ御業の一部をなんらかの方法によって転化させたものです」


 そもそも魔法と魔法じゃないものって、どういう差があるんだろう。

 シェリーは知っているかもしれないが、いま聞くのもなあ、ということで黙っておく。


 あーでも、とおれは、背中に背負った対魔法剣アンチマジック・ブレードの柄に手を触れた。

 今回、相手がなにかさっぱりわからないので、念のため、かついできたのである。


 これが斬れるのは、魔法だけだ。

 逆にいえば、これが斬れないものは魔法じゃない、ってことなのかな。


 あとは、いちおう魔剣だからかめちゃくちゃ頑丈なので、硬い魔物の表皮とかをカチ割るのに便利。

 小杖ワンドもあるけど、あれだって他より丈夫ってだけで、壊れるときは壊れるからね。


 とりま、おれは、やれることをやるだけだ。

 気を楽にして、少し緊張しているらしきシェルの手を握ってやる。


「ピクニックみたいで楽しいね、シェル」

「うん、お姉ちゃん」


 おれたちの後ろを歩く魔術師たちも探知魔法で警戒してくれているし、いまから気を張っていては肝心なときに動けなくなってしまうだろう。

 からから笑ってみせれば、シェルも緊張の糸がほどけたのか、少し笑みをみせた。


 森のあちこちから小鳥の鳴き声が聞こえてくる。

 風にそよぐ枝葉が揺れる音、虫が飛ぶ高い音、そして足もとを駆けまわる小動物が落ち葉を踏む音。


 森に入ってから、三十分ほどであっただろうか。

 リアリアリアのおかげで想定の数倍のペースで進んでいたおれたちであるが……。


 唐突に、周囲の雑音がかき消える。

 強い眩暈に襲われて、おれは低く呻いた。


「なにが……っ」


 周囲をみれば、シェルにエステル王女、アイシャ公女も頭を押さえていた。

 背後の魔術師たちから、ブルームからも呻き声が漏れる。


 リアリアリアも頭を片手で押さえ……。

 さっと、右手の小杖ワンドを振る。


 眩暈が消えた。

 だが、虫の音や小鳥の鳴き声は未だ途絶えたままだ。


 まわりをよく見渡せば、心なしか、森の景色が違うような気がした。

 いや、そもそも周囲の草木をリアリアリアが割って、そうしてできた道を歩いていたはずなのに……。


 いま、おれたちがいる場所は、周囲を木々に覆われ、ぽっかりと開いた空き地のようなところであった。

 頭上では厚い背の高い木々が折り重なりあい樹冠がつくられ薄暗いものの、木の葉の間から差し込む明るい陽射しが緑の草に落ちている。


「大規模な転移の罠のようなものですか。森のなかに足を踏み入れた者たちが、あるポイントを経過して一定時間経過したのち、まとめて転移させる……。ずいぶんと古い術式です。なるほど、エネスたちが失踪した原因は、これでしょうね」


 リアリアリアが、ぽつりと呟く。

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