第58話

 正午の少し前のこと、森の入り口にほど近い、小高い丘の上、一本の大樹のそば。

 大魔術師リアリアリアは、その合流地点でおれたちを待っていた。


 いっけん、二十歳くらいの若いの女性にみえる、背の高い美人だ。

 その本性は四百五十歳の大魔術師なんだけど。


 晩秋の風が木陰を吹き抜け、青い長い髪がおおきく揺れる。

 神秘的な緑の双眸が、順におれたちをみまわす。


「アリス、シェル」


 リアリアリアは、おれと妹のことを、そう呼んだ。

 そう、おれとシェリーはいま、十二歳くらいの年恰好であるアリスと、それより少し下という設定であるシェルの姿になっている。


 これから森に突入するからだ。

 おれたちの背後には、身軽な服装に着替えたエステル王女とアイシャ公女の姿がある。


 更にその後ろには、公爵から借りた五人の魔術師と二十人の騎士が集合していた。

 これにリアリアリアを加えた総勢三十人が、今回、森に突入する部隊の全容となるはずだ。


 目的はふたつ。

 最優先の目的は、先に突入したエネステテリア第四王女とその部下である第零遊撃隊を回収すること。


 副次的な目標として、この森で多発している行方不明事件の全貌を解明し、その原因を除去すること。

 これまでのところ、森の一部にかかっているとおぼしき魔法的なジャミングも含め、森の謎はちっとも明らかになっていない。


 リアリアリアには、思い当たる節があるようにみうけられた。

 だからこそ、自らこの場にやってきたのだろう。


 たぶん王族にめちゃくちゃ止められたと思うが、それを振り切って、わずか数時間で王都からこのテルダ公爵領まで飛行してきたのだ。

 こちらとしては、頼もしい限りではあるのだが……。


「し……リアリアリア様、この森になにがあるんですか」


 シェルが訊ねた。

 我が妹よ、いま師匠っていいそうになってたぞ。


 現在の彼女はリアリアリアの一番弟子ではなく、アリスの妹のシェルだ。

 しかもその正体は、伯爵令嬢メリルアリルと周知されている。


 周囲では、なにも知らない魔術師たちと騎士たちが聞き耳を立てていた。

 アリスとシェルは、リアリアリアに先んじて、さきほど王都から到着したばかりという設定である。


 ちなみにアランとシェリーはリアリアリアと交代で王都に戻り、王国放送ヴィジョンシステムのメンテナンスに従事することとなっていた。

 王国放送ヴィジョンシステムのメンテ、はおれとシェリーがあちこち走りまわる方便として頻繁に使われている。


 なにせシェリーは王国放送ヴィジョンシステムの開発者のひとりだ。

 リアリアリアの次に、このシステムに詳しい。


 シェルに「森になにがあるのか」と訊ねられたリアリアリアは、ふむ、とうなずいて考え込む。

 なんと話せばいいか迷っている様子であったが……。


「アリス、シェル。トリアという町での一件、覚えていますか」

「え、あ、はい、もちろん」


 シェルが戸惑ったようにそう返す。


 そりゃ、覚えているに決まっている。

 トリアはおれとシェリーの生まれ故郷なのだから。


 とはいえアリスとシェルにとっては、あちこち転戦するなかで立ち寄った町のひとつ、か。

 もっとも、あそこで戦った相手、魔王軍の幹部マリシャス・ペインは、忘れようもないほど強敵であった。


 あいつは……そう。

 寺院に保管されていた聖遺物を狙っていた。


 その聖遺物とは、ヒトの倍くらいのおおきさがある左腕のミイラ。

 推定、魔王の左腕。


 って……うん?

 もしか、して?


「え、嘘。ここに魔王の……!? って、あっ」


 エステル王女が大声をあげ、慌てて背後の魔術師たちと騎士たちをみる。

 彼らは礼儀正しく視線をそらした。


 明らかにやべー話になるよなあ。

 アイシャ公女にも聞かせない方が……いや、彼女の場合は予言のこともあるから、聞いてもらっておいた方がいいのか。


 一方のリアリアリアは平然とした顔でうなずいてみせる。


「はい、あのときのように、魔王の身体の一部がこの地に眠っているのではないか、とわたしは睨んでいます」


 あっ、いっちゃった。

 これ公爵領の騎士たちも盛大に巻き込んで後戻りできなくさせるつもり……。


 とかじゃないな、たぶんこのひとが機密とか全然気にしてないだけだ。

 この半分人外婆さんときたら、ほんとさあ……。


「聖教本部から得た情報によると、現在、我々ヒトが確保している魔王の身体の断片とおぼしき聖遺物はみっつ、です。右腕、左腕、そして右脚の腿と膝」


 リアリアリアは右手の指を三本、順に立てていく。

 更に左手を突き出した。


「これは不確定な情報ですが、魔王軍はすでに胴体と左脚、右足首を確保していると考えられるとのこと。魔王の身体がおおむね我々ヒトと同じパーツで構成されているのであれば、残っているのは頭部となります」


 立て板に水を流すようにぺらぺらと、やべー情報を並べ立てるリアリアリア。

 その情報のヤバさを理解し、顔を蒼ざめさせて狼狽える魔術師たちと騎士たち。


 エステル王女は苦笑いし、アイシャ公女は目を白黒させている。

 おれとシェルは揃って額に手を当てて、呻いていた。


 ほんとさあ、このばあさんさあ、本当にさあ……。


「魔王の身体と推定される聖遺物は特徴的な魔力を放射しており、この放射の波のパターンは各部位ですべて同一であると確認されております。トリアの寺院ではこの放射が周囲に拡散しないよう、厳重な封印を行っておりました」

「それって、魔族が魔王の魔力を探知してとり返しに来ないように、ってことかな?」


 エステル王女が訊ね、リアリアリアはまたうなずく。


「わたしは聖遺物を聖教に引き渡すことを条件に、この放射について分析させてもらいました。さきほどシェリーから話を聞いて、ピンときたのです。実際、いまわたしの使い魔が森の上空を飛んでいますが……」


 さっそく飛ばしたんかい、手が早いなあ。

 リアリアリアは、話を止め、ああ、と呟く。


 つかの間、目を閉じた。

 くだんの使い魔と交信しているのだろう。


 数秒でまぶたを持ち上げる。

 その間、皆が黙って彼女の言葉を待っていた。


「ええ、間違いありません。この森の一部から、あれと同様の放射が確認できました。ほぼ間違いなく、ありますね」


 エステル王女が、ひどく顔を歪める。


「ぼくとアイシャ、帰っていいかな?」

「駄目ですよ、エステル。なぜいまになって、この森から魔王の魔力が漏れ出したのかわかりませんが……こうなった以上、魔王の身体と推定される聖遺物は、一刻も早く回収する必要があります」

「ですよねーっ、うわーんっ!」


 くるりと背を向けて逃げようとするエステル王女の首根っこを捕まえるリアリアリア。

 仲がいいなあ。


 リアリアリアと親しいのはディアスアレス王子とマエリエル王女だけかと思ったけど、わりと王族みんな、このひとの世話になってたのかもしれない。

 巻き添えで逃げられなくなったアイシャ公女は、あはは、と苦笑いしているけど。


 ゲームの開始時点では、たぶん魔王の身体はすべて魔王軍によって回収されていた。

 おそらくは、この森に存在した部分も。


 きっとゲームの歴史上では、テルダ公爵が事実の隠蔽を続けていたか、それとも調査隊が全滅し続けた結果、この森を放置するに至ったか……。

 とにかく、ヒトの手で聖遺物を回収することはなかったに違いない。


 でも、いま。

 王国は、充分に警戒し、テルダ公爵のミスをとり返すべく、全力を挙げて行動している。


 ここには、おれとシェリーがいて、アイシャ公女がいて、リアリアリアがいる。

 魔族が気づく前に魔王の頭部を回収できる可能性は充分にあった。


「でも、魔王の頭がこの森のどこかにあるとして、それが遭難の原因になるのかな? 噛みついてきたりするの?」


 おれはアリスの口調で、エステル王女とじゃれている大魔術師に訊ねる。


「エネスほどの者が戻ってこない、となると、森の奥でなにが起こっているのか想像することは難しいですね」


 リアリアリアは顔を曇らせた。


「あの子は危機意識が強く、用心深い。今回は実家のミスを挽回する、と気負いすぎたのかもしれませんが……罠が仕掛けられていたとしても、第零の突入部隊がひとりも帰還できないとは考えにくいですから」

「罠だとして、精神的なものだったりするかな。だったら大人数を連れていくのは危険じゃない?」


 おれは背後の魔術師たちと騎士たち二十五人を振り返る。

 彼らは抗議の声をあげようとして、リアリアリアに目線だけでそれを止められていた。


「アリス、あなたが戦った恐れの騎士テラーナイトの恐怖のオーラのように、ヒトの脆弱な心を攻める攻撃はいくつもあります。ですがわたしたち魔術師は、そういった攻撃への対策を無数に開発してきました。たいていのものは、わたしが対策できます。ご安心を」


 なるほど、リアリアリアは恐れの騎士テラーナイト戦でも、シェルに対策魔法である恐れずの魔法レジストフィアーを即興で教授していた。

 そういう意味でも、彼女が探索に同行してくれるのは心強い。


 いやほんと、めちゃくちゃ心強い。

 回収するべきものが推定魔王の頭部なんて、超弩級の厄物でなければ。


「もっとも、わたしの知らない現象が待ち受けている可能性も充分にあります」


 ちらり、とおれに流し目をくれるリアリアリア。

 あーこれ、ゲーム知識を期待されている?


 残念だけど、これはおれの知識の範囲外だ。

 首を横に振る。


 リアリアリアは、まあそうですよねとうなずきをひとつ返してくる。

 周囲は、そんなおれたちのやりとりには気づいていない様子だった。


「このあたりについて、わたしが知る限りでは、三百年ほど前まで広大な森が広がり、ヒトが容易には立ち入れぬ土地であったようです。その後、帝国が辺境に少しずつ手を伸ばし、当時の人々が森を切り開いていきました。この王国が独立して以降の歴史についてはみなさんご存じの通りです」


 なるほどなー。

 つまり、五百年前の魔王軍との戦いの当時、このあたりはまったくの未開の地だったはずだ、と。


 なんで、そんな土地に魔王の身体の一部、聖遺物が埋まっているのか。

 本当は、もうちょっと時間をかけて調べたいところだ。


 聖教と接触を持てば、彼らがなにか知っているかもしれない。

 あれほど聖遺物に執着していた彼らだから、飛んできて協力してくれるかもしれない。


 でも、それだとエネス王女がどうなるかわからない。

 現時点でもう手遅れかもしれないけど……でも、罠にはまって閉じ込められているとかなら、いますぐ行けば助け出せる可能性はあがる……と思ったのだけれど。


「おそらくこうなるとだろう、と思いまして、聖教本部とも連絡をとりました」


 リアリアリアは、おれの浅知恵なんかより、もっとずっと先をいっていた。


「向こうからは、聖僧騎士をひとり送る、と返信がありました。間もなく到着するはずです」


 聖僧騎士とは、聖教が誇る僧騎士の頂点である。

 精鋭中の精鋭で、現在、聖僧騎士の名を拝する者は大陸全土でも七人しかいないという。


 そのうちのひとりを、即座に送ってくるということは、これはもう聖教が今回の件に本気も本気だということだ。

 これ、たぶんトリアでの一件からこっち、王国上層部やリアリアリアは、聖教と密に連絡をとりあって、緊急時の対応を相談していたんだろうなあ。


 聖教は、大陸の大部分で信仰されている、ヒトのための宗教だ。

 魔族は敵と教義にあり、魔王軍の侵攻に際し真っ先に立ち上がり、民をなるべく避難させることに手を尽くした。


 その際、民よりも国を、土地を守れ、という各国上層部と対立したという。

 実際のところ、過去のどの時点でも魔王軍の侵攻を止める方法はなかったのだから、聖教側の行動は正しかったのだろう。


 来たるべきときのために、ヒト全体の力をなるべく保全しておく。

 乾坤一擲の勝負に出る、そのときのために。


 ゲームにおいて、それはゲーム開始時点、勇者の誕生であった。

 でもおれは、その先に未来がないことを知っている。


 リアリアリアにも、そのことは話した。

 彼女が聖教との交渉において、どこまで情報を開示したかはわからないが……。


 聖教本部が、ここで聖僧騎士を即座にひとり送って来るというのなら。

 たぶんリアリアリアと王国上層部は、聖教からそうとうな信頼を得ているはずなのだった。


 でも、さっき連絡をとって、すぐ応援を寄こすの?

 それってリアリアリア並に飛行魔法が得意なひとってこと?


 はたして、しばしののち。

 空から、ひとりの人物が降ってきた。


 文字通り、丘の上に落下してきたのだ。

 雲の上から。


 ものすごい衝撃音と共に、その人物は草原に着地する。

 土砂が舞い上がり、おれたちは慌てて腕で顔を覆った。


「はっはっは! 手荒い着地、まことに申し訳ございません!!」


 視界が遮られるなか、男の野太い声が聞こえてくる。

 舞い上がった土砂が落ち、視界が晴れた。


 それは筋肉だった。

 裸の上半身に盛り上がった筋肉、局部をギリギリ覆う黒いパンツひとつの下半身と盛り上がった筋肉、太ももくらい太い首まわりの盛り上がった筋肉。


 身の丈二メートルを超える大男が、そこに立っていた。

 全身あますところなく筋肉の鎧をまとい、通常のものよりふたまわりはおおきな両手剣をショルダーベルトで背負っている。


 大男は腕と脚を折り曲げてポーズをとり、筋肉に力を入れた。

 白い歯をニカッときらめかせる。


「我が名はブルーム!! 聖僧騎士ブルームでございます!!!!!」


 耳の奥がつーんとなるほどの大声で、巨漢は叫ぶ。

 彼は股をおおきく開き、ぐっと腕組みする。


「リアリアリア殿、アリス殿、シェル殿、そのほかヴェルン王国の皆々様!!」


 両腕を持ち上げコロンビアのポーズをとり、頭を後ろに傾け、天に向かって叫ぶ。

 丘の上の大樹が揺れ、木の葉がぱらぱらと舞い散る。


「吾輩のことは!! どうか、お気軽に!!!! ブルームとお呼びください!!!!!!」


 なんかやばいやつがきたな……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る