第57話

 おれとシェリーは、テルダ公爵領の公宮にあてがわれた部屋で一泊する。

 賓客扱いで、ちょっと広すぎて落ち着かない一室をあてがわれた。


 絨毯も部屋の内装も豪華のひとこと。

 戸棚には高級酒の瓶が「どうぞお好きなだけ呑んでください」とばかりに並んでいる。


 天蓋つきのおおきなベッドは、ひとが四人くらい並んで横になれるサイズだった。

 巨人用、といわれても納得できてしまう。


 部屋のなかには主人と従者それぞれに専用の小部屋、風呂、トイレがあった。

 魔道具により、二十四時間いつでも湯が使えるようだ。


 加えてメイドを用意するといわれたが、これは断った。

 おれとシェリーは自分のことは自分でできるし、アリスやシェルのことを含めて秘密が多い。


 歓待する側も、シェリーは大魔術師の弟子であり、たいていのことは魔法でなんとかするといわれれば「そうですか、さすがは魔術爵」とすぐ引き下がってくれる。

 おかげでおれとシェリーは、ふたりきりでゆっくりとくつろぐことができた。


「兄さん、いっしょのベッドで寝ていい?」


 上目遣いで甘えてきたシェリーに対して、一も二もなく承諾する。

 いっぱい話がある、といっていたシェリーだが、明かりを消してから数分で寝息を立てていた。



        ※※※



 翌朝。

 軽く朝食をとってから、おれたちはエステル王女たちの部屋へ向かった。


 エステル王女とアイシャ公女は、難しい顔でおれたちを出迎える。

 森に入ったエネス王女と第零遊撃隊からの連絡が途絶えて久しい、とのことであった。


「森の外に、第零の連絡員がいるんだよ。さっきそのひとに聞いてみたんだけど、夜の間、森のなかはずっと静まり返っていたんだって。かえって不気味だ、っていってた」

「優秀な偵察要員に戦える王族まで加わって、なんの情報も持ち帰れないのは不思議だな」


 なにかあった、という前提で動くべきだろう。

 ちらり、とアイシャ公女をみる。


 彼女がなにか予知してくれていればいいのだが……。

 公女は、首を横に振った。


 自由自在に未来がわかるなら、苦労はない。

 彼女の一族の予知は、ひどく気まぐれなのだ。



「申し訳ありません……」

「いや、アイシャは悪くないでしょ。アランくんも別に責めてないから謝らなくていいよ、そんなことで」


 エステル王女が慰めて、焼き菓子にアイスクリームをたっぷり乗せてからそれを公女に手渡す。

 アイスはさきほど、時間凍結型の袋からとり出していたから、王女の自作だろう。


 アイシャ公女はアイスを落とさないように口をおおきく開けて、焼き菓子を半分かじる。

 口のなかでアイスが溶けて甘みが広がったようで、みるみる笑顔になった。


 ときに、なにかにつけお菓子をあげてるとアイシャ公女まで太っちゃうのでは?

 そう思ったけど、さすがに口に出さない。


「うんうん、いっぱい食べておおきくなるんだよー。ぼくはヒトがお菓子を食べてくれるだけで嬉しいんだ」


 なんていって、エステル王女は目を細めて従妹を眺めている。

 心温まる光景だが、まあそれはそれとして……。


「森を上空から偵察、ってこれまでやったんでしょうか。あと、簡単なものでも地図があればそれを。使い魔を飛ばしたりも、きっとしてますよね」

「あ、うん、そのへんの情報は昨日のうちに貰ってるよー」


 エステル王女が、お菓子を入れていたものとは別の袋から、こんどは書類の束をとり出す。

 そのなかの一枚に、上空から実際に森を描いたとおぼしき、カラフルな地図があった。


 確実に軍事機密レベルの、詳細なやつである。

 少し色あせているから、何年か前のものだと思うけど……。


「結論からいうと、使い魔で森の上空を飛行させてみた限りじゃ、なんの異常も発見できなかったんだよね。魔力探知は、なぜか魔力がかく乱されて駄目だった。森の奥の方に強い魔力源があるみたいだ、って第零のひとはいってる。エネスは、部下といっしょに地上からその魔力源を目指した……はず」

「ひょっとして、魔法による通信が阻害されているのも、その魔力源のせいですかね。だとしたら、王国放送ヴィジョンシステムも……」

「うん、妨害されるかも。そのへんもあってアリスの投入が難しいんだ」


 妨害電波、ならぬ魔力の妨害は、王国放送ヴィジョンシステムが想定する弱点のひとつだ。

 滅多にはないことだし、意図的にこれを発生させることも難しいのだが、魔力の伝達が阻害される地帯、というのはたしかに存在するのである。


 螺旋詠唱スパイラルチャントが届かなければ、アリスおれは平凡な騎士ひとり分の働きしかできない。

 最低でも、魔力を妨害する存在がどういうものか明らかにならなければ……。


 アリスとシェルが救出に出ても、二重遭難するに違いない。


「いま公爵配下の魔術師が、鳥の使い魔で森の上空を探索中。エネスのことだから、なにか手がかりを残してくれてるんじゃないかな、って公爵に頼んでみたんだ」

「こちらから提案しようと思っていたので、助かります」


 おー、エステル王女なのに有能だ!


「今朝、ディア兄を叩き起こして指示を仰いだんだよ。ぼくひとりじゃ、馬鹿だからさ、どうしていいかわからなくて。アリスの投入は難しい、というのもディア兄の判断」


 あ、そうなんだ。

 まあでも、それはそれで。


「すぐ指示を仰ぐのは正しいですよ。決断できるひとが、ちゃんといるんですから」

「お飾りだからねー。ぼく、自分で判断しないことにかけては自信があるのさー」


 えっへんと胸を張るエステル王女。

 ここ数年、リアリアリアの指導のもと、王国放送ヴィジョンシステムを始めとした王国内通信網に全力でとり組んできた意味が、ここにある。


 困ったらすぐ、わかるひとに聞くことができる態勢。

 いわゆる、ほうれんそう、が遠隔地でもできるようになったのだ。


 だからこそ、今回、面子だとか日和見だとかでそれをしなかった公爵に非難が集まっている。

 逆にエステル王女のように、朝からディアスアレス王子を容赦なく叩き起こせる人材は貴重というわけだ。


 このシステム、優秀な判断ができる人材に負担がかかりすぎるんだけどね。

 でもそれは必要なことだと、特に情報が集まってしまうディアスアレス王子やマエリエル王女は、己たちの過労死寸前の現状を許容した。


 少なくとも、対魔王軍戦線が確立するまでは、多少の無茶をしてでも、トップに情報を集め、常に彼らが判断していくべきであると。

 凡人のおれとしては、なんとか頑張って欲しい、と願うばかりである。


「アイシャ、いちおう準備と覚悟はしておいてね」

「はい、姉さま。わたくしは万全です」


 エステル王女とアイシャ公女がうなずきあっている。

 うん? とおれは首をかしげた。


 シェリーがなにか気づいたのか、はっとしておれの服の端を引く。

 なんだ、なんだ。


「あのね、螺旋詠唱スパイラルチャント

「シェリー?」

「遠くだと妨害されるなら、端末ごと近くに持っていって……でも殿下たち、すごく危ない」


 あ、なるほど。

 すべて理解した。


「携帯用の端末か」


 アリスが戦うには、螺旋詠唱スパイラルチャントが必要だ。

 魔力を阻害する要因があって王国放送ヴィジョンシステムで遠くの端末からシェリーまで魔力を送ることができないなら……。


 システムの端末をアリスの近くに持っていってしまえばいい。

 端末の向こうにいる者たちも、いっしょに。


 ティラム公国でも、戦いの終盤、アイシャ公女から魔力を送ってもらった。

 あのときも、試作の携帯型端末を使っていたのだ。


 携帯型端末、といっても大人が背負わなきゃいけないくらい大型のものなんだけど……。

 そのためだけに騎士ひとりを同行させるというのも、ひとつのオプションなのだ。


 携帯型端末を背負う騎士とエステル王女とアイシャ公女という魔力タンクを引きつれて森を探索すれば、当面の螺旋詠唱スパチャに困ることはない。

 彼女たちふたりだけでもそうとうな魔力量だから、相手が六魔衆とかじゃなければなんとかなるだろう。


 ただし、王女と公女の安全はまったく保証できない。


「無茶では?」

「最悪の場合は、だよ。ディア兄に許可はとってる。だいじょーぶ、ぼくこうみえて、けっこう体力あるからね!」


 どんどん、と脂肪でたっぷりのお腹を叩くエステル王女。

 アイシャ公女も、ぐっと拳を握って「がんばりますっ」とうなずいている。


 不安しかない。

 おれとシェリーだけで守り切れるだろうか……?


 騎士が何人もいたって、森のなかで大型の魔物が出てきたら……。

 そういう事態にならないよう、できれば使い魔の偵察でいい結果を得られて欲しいものだ。


 はたして、しばしののち。

 使い魔を飛ばした魔術師から入った報告は、あまり芳しいものとはいえなかった。



        ※※※



 エステル王女にあてがわれた部屋の応接室で、おれたちは報告を聞く。


 使い魔を飛ばした魔術師によると、森林地帯の上空から観察する限り、異常はみられなかったそうだ。

 木々の間隔は密で、樹冠が厚く森を覆い、地面の様子はまったくわからないとのこと。


 ただし、エネステテリア王女と第零遊撃隊が向かったあたりでは、使い魔が奇妙なふるまいをしたらしい。

 そのあたりに近寄ることを嫌がり、無意識に方向転換していた、と魔術師はいう。


「なんらかの魔法によって、認識阻害みたいなことになっているのかな……」


 報告を聞いたシェリーが、口もとに手を当てて呟く。


「師匠に聞いてみる」


 というと、彼女はとてとてとベランダに出て行った。

 王国放送ヴィジョンシステムを応用した遠距離通話魔法、遠話の魔法マインドボンドを使うのだろう。


 残ったおれたち、おれとエステル王女、アイシャ公女、そしてこの公爵領でも有数の魔術師であるという壮年の男は、ひと休憩とばかりに紅茶に口をつける。

 紅茶に入った蜂蜜が脳に染み込むようで、頭がすっきりした。


 ちなみにエステル王女とアイシャ公女は紅茶の上にアイスクリームの塊を乗せて、少しずつ溶かしながら飲んでいた。

 あえてカロリーについて触れるようなことはしない。


「それでさ。公爵家はどれだけ支援をくれるの?」


 一服したエステル王女が魔術師に訊ねた。

 魔術師は緊張した面持ちでうなずく。


「公爵家といたしましては、わたしを筆頭として魔術師五人、騎士二十人を皆さまの護衛として提供いたします。いかようでもお使いください、とのことです」

「だってさ。アランくん、どう思う?」

「魔術爵がアリスとシェルを呼ぶことを前提としても、だいぶ賭けですよね。全員行方不明になったらリカバリがきかないでしょう?」

「出し惜しみしてアリス殿とシェル殿を失うのが、王国にとってもっとも悪い、とのことです」


 この魔術師は誰がアリスとシェルか知らない。

 おれはあくまで、魔術爵の兄であるひとりの騎士として発言している。


 でも魔術師は、おれのことをいっこうに侮らず、敬意を持って返事をしてくれた。

 まあ、シェリーがリアリアリアの弟子で、おれが人見知りなシェリーの外付け外交回路だってこと、一部界隈では有名らしいからな……。


 ベランダからシェリーが戻ってくる。

 浮かない顔をしていた。


「どうした、シェリー。リアリアリア様でも芳しくないか?」

「う、うん、それはたぶん大丈夫。ちゃんと段取りを踏めば、認識阻害を解くことができると思う、って」

「さすがだな……。それじゃ、ほかになにかいわれたのか?」

「えっと」


 シェリーは苦笑いして、皆を見渡したあと、告げる。


「来るって」

「え?」

「師匠、いまからこっちに来るって。森の探索を手伝うってさ。っていうか、手伝わせろって。ディアスアレス王子は物理的に説得したから、って」


 こりゃまた大物参戦だ。

 おれの横で話を聞いていた壮年の魔術師が、白目を剥いている。


 無理もない、彼にとっては雲の上の人物、ひょっとすると王様より尊敬しているような相手である。


 っていうか王子を物理的に説得ってなんだよ。

 関節技でもキメてギブアップさせたのか?

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