第55話

 テルダ森林は、ヴェルン王国の北東部に位置する広大な森林地帯だ。

 その一帯を治めるのが、土地の名を冠したテルダ公爵家である。


 王国に五つある公爵領のひとつで、半ば独立した国としての権限を持ち、独自の騎士団も保有している。

 王家との血の繋がりも濃く、現王の五人いる王妃のひとりが現公爵の妹である。


 この王妃、未だ娘ひとりしか授かっておらず、王宮での立場的にはあまり強くないのだとか。

 とはいえ王妃もその娘である王女も、アリスが出撃するたびに多量の螺旋詠唱スパチャしてくれているので、おれのなかでの好感度はかなり高い。


 いつか直接、お礼をいいたいとは思っている。

 直接のお礼なんて、王様にもいったことないんだけどね……。


 このへんはまあ、仕方がない。

 なにせ王は忙しいし、おれがアリスであることも一部以外には秘密だ。


 王も王妃も、王子や王女と違って、気軽に王宮を出るわけにもいかないのだ。

 いや他の国では王子や王女も、あまり王宮を出ないものらしいけど……。


 とにかくヴェルン王国うちのくにではそうなのだ。

 エステル王女も、王の命令があるときは真面目に働く。


 いや、それ以外でも真面目に働けよ、といいたくなるが……。

 まあそのあたりは置いておくとして。


 リアリアリアから依頼を受けた翌日、昼過ぎ。

 おれとシェリーは王都からひとっ飛びして、テルダ公爵領の公都にいた。


 公都の中心たる公宮の一室、そこでおれたちを待ち構えていた女性と面会する。


 第六王女エネステテリア。

 テルダ公の姪にあたる人物で、つまりは先ほど説明した公爵の妹の娘である。


 エネステテリア王女は今年で十五歳、エステル王女のひとつ下だ。

 ほかの王族と同様の金髪ながら、北方の民の血が混じっているのか、その瞳はルビーのように赤く、透き通ったような色白の肌をしている。


 エステル王女と正反対で細身……というか痩せすぎな気がする。

 少し神経質そうに、口をきゅっと尖らせていた。


 いまは部屋でただひとり椅子に座り、ぽきりと折れてしまいそうに細い腕を組んで、ひっきりなしに身をゆすり、苛立たしさを露にしている。


 でもこのひとも毎回、めちゃくちゃ頑張って螺旋詠唱スパチャしてくれているんだよなあ。

 個人的に、あまり悪い印象はない。


 ほとんどコメント欄に書き込まないことも含めて。

 つまり彼女は、アリスを辱めない、王族の数少ない良心なのである。


 あれ? そもそもなんで王族が片っ端からアリスを辱めてくるのかな?

 いまさらだけどおかしくない? こんな国、滅んだ方がいいんじゃない?


「今回は、うちの叔父が迷惑をかけます、騎士アラン、それにシェリー魔術爵殿。いちど、きちんとご挨拶したいと思っておりましたわ」


 仏頂面で、王女はおれたちを一瞥する。

 顔は不機嫌そうだが、おれたちに投げかける言葉はやさしい。


「ああ、それにしても腹が立ちますね。こんな重大な報告を怠っていたとは。なーにが、わたしの負担になりたくなかった、ですか。おかげで虎の子の第零のみならず、あなたがた特の手まで借りることになったのです。あーのクソジジイ、あとできっちりと落とし前をつけてさしあげますわ」


 苛立たしげに、靴のつま先でなんども絨毯を叩く。

 周囲の召使いたちが縮こまっていた。


 彼らはテルダ公の部下だ。

 ことの次第を把握したエネステテリア王女は、おれたちより一日早くこの地に文字通り飛んできて、叔父たるテルダ公を叱り倒したのだという。


 おれもさっき知ったのだが、我が国のレンジャー部隊ともいうべき第零遊撃隊は、このエネステテリア王女の指揮下にあるとのこと。

 前任である現王の弟君から指揮を引き継いだばかりとのことで……。


 そんな状態で、実家の方から面倒事がやってきたのだから、そりゃあ不機嫌にもなるというものだろう。

 ちなみに王の弟君は外交官として現在、東方で同盟締結のため駆けまわっているとのこと。


 さて今回、おれたちの役目は後詰め、というより予備戦力である。

 気楽な任務になると思ったのだが……これ、エネステテリア王女のご機嫌とりも任務のうちになるのかなあ。


 この王女と向かい合い、おれの横に立つシェリーなんて、完全に畏縮してしまっている。

 ちなみに内々で魔術爵と呼ばれているものの、正式な叙勲はまだであるし……そもそも相手は王女様だ。


 これがマエリエル王女とかエステル王女なら、普段からアホなコメントしてくれているせいで、気軽に接することができるんだけど。

 マエリエル王女の場合、そのへんもあってああいうアホなコメントばっかりしてるのかもしれない。


 いや、考えすぎか。

 だいたい素だ、あれは。


「あなたがたに当たっても仕方がありませんね」


 怯えるシェリーの様子をみて、王女はおおきく深呼吸する。

 少しは落ち着いたのか、腕を解いて……。


 王女は、気落ちした様子で肩を落とした。

 顔を両手で覆う。


「せめて、もう少し早く報告をあげてくれれば……」


 おおう……。

 お気持ちはお察しします……。


「ひどいことになっているんですか」

「先ほど、数字があがってまいりましたわ。惨憺たるものです」


 王女は顔をあげると首を振り、気をとり直す。

 机の上の紙をとりあげ、渋面をつくる。


 彼女が軽く手を振ると、周囲の音が消えた。


 静音の魔法サイレント・フィールドによって、周囲にいるテルダ公の部下たちに声が聞こえないよう配慮したのだ。

 ここから先は機密事項アリ、ということである。


「改めて、諸々確認いたしましょう。ここ一年あまりで森林地帯で行方不明になった者は、現在判明しているだけで七十八人、そのうち公爵領の騎士が四十一人、残りが傭兵です。加えて、相当数の行方がわからない平民がおります。こちらは推定ですが、千人以上」


 千人以上、とな?

 これなんで、いままで問題にならなかったの?


「思った以上に数字がおおきいですね」

「一年で千人以上が行方不明になっている時点で、この問題を王都に持っていかなかったのは大失態です。膝蹴りひとつでは済ませられない問題ですわ」


 したのか、膝蹴り。

 使用人たちが沈痛な表情をしているの、それか。


「一発で白目を剥きやがりましたので、起きたらこんどはボディブローですわ」


 王女は拳を握って、シュッ、シュッとシャドーボクシングする。

 ひと目でわかるけど、身体のキレがいいなこのひと。


 華奢なみためとは裏腹に、たぶん戦ったらかなり強い。

 よくみれば、痩せてはいるけど腕の筋肉はきっちりついているし。


 王族でも戦えるひととそうじゃないひとがいるって話には聞いていたけど、さてはこのひと実戦派だな。

 だからこそ、レンジャー部隊の指揮を任されたってことか。


 そのレンジャー部隊こと第零特殊遊撃隊、これまでのところ影も形もみえないけど……。

 この部屋にいるのは、おれたちのほかに、ますます沈痛な表情を深める公爵家の使用人たちだけだ。


 と、王女はシャドーボクシングをやめて、なにかに耳を澄ませる。

 ここ、静音の魔法サイレント・フィールドがかかっているんだけど?


 と思ったけれど、シェリーが、ああ、という表情になった。


「風の魔法、届いてるね。静音の魔法サイレント・フィールドの上から届くって、けっこう凄いよ」


 シェリーが小声でつぶやく。


王国放送ヴィジョンシステムじゃないのか」

「端末は使っていないけど、似たような仕組みだと思う。独自の規格をつくって、機密性を保ってるんじゃないかな。ええと、ハックはできそうだけど……」

「しなくていい、しなくていい」


 そんなことをしゃべっていると、エネステテリア王女がこちらを向く。

 シェリーが、ぴんと背筋を伸ばす。


「そう緊張せずとも結構。ですが、まあ、王族と気楽に会話するというのも難しいでしょうね。なるべく気を楽にしてください。多少無礼な口を利いても咎めるような野暮はいたしません。エステルを前にするくらい肩の力を抜いてくださってもよろしいのですよ」


 無茶をおっしゃる。

 普段からだらーっと気を抜きまくっているエステル王女を相手にするならともかく、この人は真面目そうだからなあ。


 そんな考えがどこまで顔に出ていたか、王女は首を横に振る。


「さて、急いで来ていただいたところ申し訳ございませんが、おふたりは別命あるまで待機をお願いいたします。わたしはこれから、現場に出ます」

「殿下自ら、ですか? でしたらおれたちも……」

王国放送ヴィジョンシステムを使用するかどうか、その判断をするためにも、まずは下見が必要ということです」


 なーるほど。

 おれがアリスとなって戦う場合、けっこうな経費がかかってしまうわけだからな。


 それは触媒の代金でもあるし、王族をはじめとした螺旋詠唱スパチャ側が端末の前にその間、ずっと釘付けになるという時間的なコストでもある。


 これは本当に、アリスを投入するべき事案なのか。

 それを事前に判断しないと、王国放送ヴィジョンシステムを起動するわけにはいかない。


 これまでは、だいたい魔族や魔物が出てくることが確定しているか、あるいはそれに準じた想定が為されているか、という状況であった。

 今回は、そもそもこの地でなにが起きているかも定かではないのだ。


 ちょっと強い魔物が森に迷い込んでいるのか、とも考えたが、それにしては被害の規模がおおきい。

 騎士が四十人以上も行方不明になっているとなると、最悪の場合、上級の魔物の存在すら考慮せざるを得なくなる。


 とはいえ上級の魔物が侵入しているとして……。

 なぜ、このような場所に?


 魔王軍の組織的な行動なのか。

 それとも魔物単体の気まぐれなのか。


 あるいは魔物などではなく、まったく別のファクターが森に存在する可能性もある。

 たとえば、魔王軍によって滅んだ国の騎士たちが落ちぶれ、森のなかで山賊まがいの行為を働いているなら……。


 知恵があり、狡猾で、実力もある山賊など、ある意味で魔物よりよほど厄介なことだ。

 というかそういうやつらが相手の場合、こちらも対魔物専門のアリスではなく、王国が誇る精鋭騎士を投入した方が効率的ということになるだろう。


 そのへんを探るためにも、まずは偵察、なのだ。

 王女自らが現地に赴くというのはちょっとやりすぎな気もするけれど、それは王家が、事態をそれだけ重くみているという証である。


「なんでしたら、城下に出ていただいても構いません。案内の者が必要でしたら、お申し出ください」


 とのことなので、シェリーと話し合ったすえ、せっかくだから公都をみてまわることとなった。



        ※※※



 テルダ公爵領の公都は、人口およそ十万人。

 王都が百万人都市という馬鹿げたおおきさなだけで、十万人都市といえば大陸では充分に大規模な部類だ。


 近くに緑豊かなテルダ森林を抱え、森から流れ出てくるテルダ大河に沿っていくつもの町がつくられた。

 やがて、そのうちのひとつが周囲の町から人口を吸収し、現在の公都となったという。


 これはどういうことかといえば。


 昔は定期的に、森から大量の獣や魔物が溢れ出し、近隣の町や村がそれによって壊滅すること多々であった。

 人々はばらばらに立ち向かうことを諦め、団結し、公都を中心として獣や魔物を迎撃、これの鎮圧を為したということである。


 この地は、その成り立ちから森の獣や魔物との戦いの歴史であったのだ。

 そういう事情もあり、公都の周囲は背の高い街壁でぐるっと囲まれている。


 王都ではとうに形骸化した街壁であるが、このテルダ公都では現在も人口の増加に従って壁が増築され、頻繁に改築され、補修されているという。

 とはいえ近年の流民による急激な人口の増加には耐えられず、壁の外にも貧民層の集落が形勢され、それが街の治安を悪化させているとのことであった。


 我が国のあちこちで聞く話だ。

 上の方も頑張っているし現場も残業に次ぐ残業で頑張っているのは知っているけれど、それでも限界はある……とのことである、が。


 妹とふたりで、公都の大通りを散歩する。

 行き交う人々の表情は、少し暗いようにみえた。


 王都と違って、おしゃれな喫茶店がアリス&シェルのブロマイドで人を集めていたりはしない。

 カジノに貴族が集まっていることもない。


 皆、今日の仕事に忙しいようで、道の中央では荷運びの馬車がすれ違い、その脇では人々が足早に行き交っている。

 酒場や商店をちらりと覗いてみるが、あまり人が入っていないようにみえた。


「王都から来なさったのか。あっちと違って、この街にはなにもないだろう」


 周囲をきょろきょろしながら歩いていると、もと騎士とおぼしき背筋がぴんと伸びた老人に話しかけられた。

 ラフな獣の毛皮の服を着ているものの、腰に小剣を差し、顎髭をたくわえた油断のない物腰の人物である。


「暇な平民は、あっちの広場に大型の王国放送ヴィジョン端末がある、そこのまわりでぶらぶらしているさ」

「昼間から王国放送ヴィジョンをみているんですか?」

「ああ、最近は常に端末が解放されていてな。もっとも、ずっと宣伝が流れていることも多いんだが」


 あー、そういえば宣伝枠を商人に買いとらせてどうのこうの、って話が出ていた気がする。

 将来的には地方ごとに宣伝枠をつくってローカルな宣伝を流したい、とかも。


 いまの段階だと、王国放送ヴィジョンシステム全体で同じ宣伝を流すことしかできない。

 なので、どうしても宣伝枠の単価がでかすぎて、なかなか買い手が尻込みしてしまう、とマエリエル王女が嘆いていた。


 だからこその、王国放送ヴィジョンシステムの分割放送だ。

 地方ごとに宣伝枠を分割し、地方分割放送でそれを流すというわけである。


「みにいってみるか、シェリー」

「うん、どうせ暇だし」


 老人に礼をいって、おれたちは広場へ向かった。


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