第54話
夕暮れ時、酒場からリアリアリアの屋敷に帰る、その道すがら。
まだ中年男に変装したままのおれと並んで歩く師匠がふと、こちらをみる。
路地裏で、周囲にはひとの気配がなかった。
「なあ、立ち入ったことを聞いていいか」
「師匠になら、なんでも話しますよ」
「おめー、なんで魔族や魔物が侵攻してくるって知ってたんだ」
おれは押し黙った。
いつかは聞かれると思っていたけれど、いまだとは思っていなかった。
師匠なら、気づいて当然だ。
おれは最初から、魔族や魔物と戦うために師匠の力を求めたのだから。
ほかの誰をごまかせても、師匠だけはごまかせない。
だけど師匠は、これまで、そこに踏み込んで来なかった。
それは彼女の心遣いであろうし、一線を引いている部分でもあったのだろう。
それならそれで、いいと思っていた。
「おめーは初めて会ったちっちぇえころから、気味が悪いほど頭がよかったからな。そんなおめーが必死になって、あたしなんかに教えを請う。なんかあるのは、そりゃわかってたさ。あんたがあえて韜晦しているのも、ちょっとよくみればわかったことだ。でもまあ、それでなにか悪さをするわけじゃない、そんな心根の持ち主じゃないってこともわかっていた。あたしの技を後の世に伝える手段が、おめーだった。なら別に、それ以外は些細なことだって、そう思っていた」
師匠の独白を、おれは黙って聞いていた。
師匠は淡々と、言葉を紡いだ。
「いろいろ考えたよ。おめーの妹が大魔術師の弟子になったことも、おめーがその大魔術師のところに出入りしてあれこれ始めたことも、きっとおめーのなかでは一本、筋の通ったことなんだろうなってあたしは思った。こんなことに気づくのは、たぶんあたしか、おめーの妹か、リアリアリア様か……でもまあ、おめーの妹は案外、そういうところ抜けてるからな。で、リアリアリア様はなにもかもご存じで、おめーとつき合ってるフシがある。ここまでは当たってるか」
「はい、あの方はご存じです。じつは禁術でおれの心を読まれてしまって……」
「げっ、そんなことするのか。こえーなあのババァ。あたしも気をつけねーと」
「滅多に使わない、とはいってましたよ。どこまで本当かは、わかりませんが」
師匠はあたふたと、「うう、失礼なこと考えてたの、ばれてねぇかなぁ」と呟く。
リアリアリアの場合、あえて心を読まなくても顔をみただけでけっこう、他人の考えがわかるっぽいんだよな、というのがあるけど……。
師匠の心の安寧のために、あえて伝えないでおく。
「ま、それはそれとして、だ」
「はい」
「おめーはなにものなんだ」
ただの騎士見習いです、で済ませていい段階はとっくに終わっている。
師匠は、おれのこれまでを、ほとんどすべてその目でみてきているのだから。
もし、適当な言葉でごまかせば。
それでも師匠は、なにもいわず、そのごまかしを受け入れてくれるだろう。
それは必要なことなのだと理解してくれるだろう。
このひとは、そういう優しい人なのだ。
しかしおれの心は、もう決まっていた。
立ち止まる。
師匠は一歩先に行って、おれを振り返った。
おれは師匠をまっすぐにみつめる。
「ねえ、師匠。前世って、信じますか。生まれる前に別の自分の人生があった、って」
「寺院のやつらは、死んだら神様の国に行くっていってるな」
「聖教では死後、楽園に辿り着くと教えますね。そこで永遠に、苦痛も苦難もなく暮らす日々が待っている。だから我らは死を恐れてはいけない。死は誰にでも与えられる、平穏への道なのだ。来世救済型の宗教ですね」
「そうそう、そういうやつ」
「おれには、アランとして生まれる前の記憶があります」
「そうか」
「その記憶のなかで、おれは……」
おれは淡々と、前世の話を語った。
師匠はそのすべてを「そうか」で受けれいてくれた。
彼女がおれの言葉をこれっぽっちも疑っていないことは最初からわかっていた。
すべての概念を理解したわけじゃないみたいだけれど……特に「ゲームの世界」という概念が理解し辛いとはわかっていたけど……まあ、だいたい理解してくれたように思う。
「おれは守りたいと思ったんです。最初は、親と妹だけ守れればいいと思いました。でもそのうち、どんどん守りたい人が増えました」
「そうか」
「師匠のことも、守りたいと思います」
「おう、守ってくれや。でも、あんまり無理はすんなよ。おめーが無理をすると、みんなが心配するんだ」
「師匠も?」
「もちろん、あたしもだ」
「ありがとうございます」
師匠は晴れやかな表情で笑っていた。
こうして話をしてよかったのかどうかは、わからない。
でもきっと、ここで師匠に話をしなければ、おれはあとで後悔したような気がした。
ひととおり話し終えたあと、おれたちはふたたび歩き出す。
※※※
師匠と酒場に繰り出した数日後のこと。
おれはリアリアリアに呼び出され、彼女の書斎に赴いた。
そこには部屋の主である青髪緑瞳の美女のほか、渋い顔をした師匠がいた。
どういうことだ、とふたりの顔を交互にみる。
「ジュリがさ、ちょっと嫌な話をしてきてな」
「えーと、この前お邪魔した酒場のウェイトレスさん、ですよね」
「ああ。昨日、おしゃれなカフェで改めて話をしたんだ」
ああ、そんな約束をしてたなあ。
おれの前で師匠とデートする約束なんて!
「こういうの、おれの前世の言葉でNTRっていうんですよね」
「絶対に適当なこといってるってあたしでもわかるわ。つーかわりと真面目な話な」
「はい、ごめんなさい」
叱られて、おれは素直に頭を下げる。
リアリアリアがくすくす笑った。
「エリカの前だと、本当に素直な子ですね」
「師匠に嫌われたくないですから。あ、話を進めてください」
「ざっくりいうと、ある森を探索する依頼が出てたんだが、そこに入っていったやつらがことごとく戻って来ない、って話でな」
なんかRPGっぽい話が出てきたな。
あ、RPGの世界だったわ。
「我が国の北東の端、テルダ森林公が治める一帯です。怪しい魔物が出る、という報告があり、詳しい調査のため腕の立つ傭兵を雇いなんどか調査を行ったのだとか」
リアリアリアが話を引き継ぐ。
「テルダ森林公と接触してみたのですが……公は口を濁していたものの、どうやら森に騎士の部隊を派遣した結果、これも消息を断った様子」
「それ、隠していたんですか」
「己の施政の汚点となると考えたようですね。国の目が西に向いているいま、東方の守りは自分たちの手で、と考えたのでしょう。若い考えです」
まあ別に、それ自体は間違っていないだろうけど。
でも既にある程度の犠牲が出ているなら、報告をあげておかないと、あとで上が苦労するんだよなあ。
その森林公ってひとのこと、よく知らんけど。
というか森林公ってなんだ?
「で、おれが呼ばれたのって、その森のことを知ってるかどうか、って話ですかね。残念ですけど、ちょっと心当たりがないです」
「でしょうね。手がかりがあれば、すぐあなたの顔に反応が出ます」
おれの顔をじっとみつめるのやめてくださいって。
「複数の騎士が失踪していること事態は、知っていました」
「知ってたんかい」
師匠が思わず、リアリアリアにツッコミを入れる。
「あ、いや、知っているんですか」
「師匠、
「だ、だって、貴族様じゃん……」
相変わらず権威に弱いな……。
この世界の平民にとっては、普通のことなんだろうけど。
リアリアリアとかディアスアレス王子は、そのへんあんまり気にしない。
実力第一主義である。
もちろん、権威を気にする貴族もいるから、師匠の態度も間違ってはいないのだけど……同じ屋敷で暮らしているリアリアリアに対してくらいは、もうちょっとざっくばらんな対応でもいい気がするなあ。
「師匠、肩が凝りませんか?」
「おっ、あたしのトシを揶揄してるのか? 今日の修行は倍いっとくか?」
「修行を増やしてくれるのは願ったりかなったりですね」
「そういえば、こいつこういうやつだったわ」
話が進まない、とリアリアリアが手を叩く。
おれと師匠は口をつぐみ、彼女をみる。
「騎士の失踪については、このようなご時世ですので、あまり気にしていなかったのです」
「ご時世?」
「このごに及んで国を捨てるような騎士は、どうせ本番で役に立たないでしょう? よくあることなのですよ」
ああ、このひと四百五十歳だもんな。
いろいろな国の興亡を知っているから……。
来年にも魔王軍と矛を交えるとなって怖気づくひとの心理とかもわかるのか。
だから、騎士の失踪と聞いてまっさきに思い浮かべたのが、敵前逃亡であった、と……。
「今回、エリカの報告を受けて、改めて調査したところ、どうやらそういうわけでもなかったようです。わたしの失敗でもありますね」
「でもそれ、森林公が報告を怠ったからですよね」
「完全に彼の失態ではあるのですが……。彼の立場からは、これが意味するところを認識できていなかったのですね」
これが意味するところ、か。
そういえばセウィチア共和国では、失踪事件の背後に魔族がいたんだったな。
「テルダ森林、という場所に魔族が隠れていると?」
「その可能性もある、ということです。今回改めて報告を受けた王族は、それを懸念しております」
やっぱりほうれんそうは大切なんだなあ。
現場レベル、地方レベルが持ちうる情報だけだと判断をミスる可能性がある、というのは今世でもなんども遭遇していることだ。
先の、ティラム公国での作戦は、そのへんが完璧に繋がった。
うちの国、西の方はこのあたりの情報共有の大切さをけっこう身に染みて理解しているように思える。
対して、まだ直接の脅威がない東方は、そのあたりに鈍いのかもしれない。
「で、おれを呼び出したってことは、おれとシェリーでその森に行って魔族を退治しろってことですか。魔族がいると仮定して、ですが」
「あなたがたに傭兵としての技量があれば、それを頼むところですが……。森のなかの捜索、あなたたちにできますか?」
おれは少し考えて、首を横に振った。
「親父は狩人として優秀ですけど、おれはそういう訓練の時間を全部、師匠との戦闘訓練に費やしたんですよね。シェリーについては師匠の方が詳しいと思いますが、まあ無理でしょう」
「ええ。今回はただ戦いができればいいというものではありませんので、先に専門の部隊を差し向けることになるかと思います」
うちの父は、いちど森に入ると数日は出てこないで、手ごわい獲物を追いかけ、確実に仕留めて帰ってくる。
そんな、あの町で一番の狩人だ。
王の直属の部隊で、そういう感じの狩人に特化した部隊があるという。
前世でいうレンジャー部隊みたいなやつで、飛行魔法の得意な魔術師と組んでの空挺投下から孤立した敵地で任務を果たして敵中を突破し帰還する一騎当千の騎士たちであるとか……そういう噂が、まことしやかに流れている。
これも本当かどうかは知らないが、部隊名は第零遊撃隊。
アリスが所属する特殊遊撃隊もそうだけど、正式番号外の部隊である。
所属する騎士、指揮系統等、すべてが謎に包まれている。
任務の性質上、仕方がないところだ。
「それじゃ、おれの出番は魔族がいるとして、その場所を突き止めてからですね」
「そうなります。です該当部隊が持ち帰る情報次第では、即座にあなたの戦力が必要になることもあるでしょう。シェリーともども、近くに待機していただきたい、とのことです」
「それ、ちゃんとした指揮系統で?」
「ええ、なにせ王じきじきのご命令ですよ」
あ、もうそこまで情報が届いてるんだ。
師匠がすぐリアリアリアに知らせて、彼女が王族に知らせて、王族は事態の重要性を鑑みてすぐ王に上申したってことか。
昨日の今日でめちゃくちゃ早いなあ。
これ、師匠にこの話を相談したあの酒場のウェイトレスさん、めちゃくちゃファインプレーなのでは。
「で、いつからテルダに行けばいいんですか」
「明日の昼には現地に到着してください。シェリーにはこのあと伝えます」
「急ですね」
「ですので、あなたの体調について確認したいのですが、いかがですか」
「あー、もう全快してますよ。みんな過保護なだけです」
リアリアリアが、じと目でおれをみつめてくる。
はっはっは、照れるなあ。
「おめーのだいじょうぶほど信用ならねーものはないんだよなあ」
そばの師匠が、ぼそりと呟いた。
そんなー。
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