第53話

 さて、わざわざ変身して酒場に来た目的のひとつは、情報収集だ。

 最近の王都の事情、下町の出来事、内外の人々の実情……。


 まとまったものなら、ディアスアレス王子のところに上がってくる報告書を読ませてもらえばいい。

 でも、それだけではない風俗、数字だけではない人々の感情といったものを知るのも勉強になることだろう……と師匠がいい出したのである。


「師匠の本音は?」

「なんか面白そうだろー?」


 いちどきりの人生を満喫してるなあ。

 ちなみにこのへんの会話は顔を寄せ合って小声である。


 師匠の古い知り合いでもある太った中年のウェイトレスが、その様子をジト目でみていた。

 頼んだ料理が、どん、とテーブルに置かれる。


 おーおー、いい香りがするひき肉のパイと、焼きたての白パンだ。

 こんな裏通りのお店なのに、ちゃんとした料理が出てくるとは。


「あんたらの関係については聞かないけどさ。エリカ、こんどはひとりで来なさい。根掘り葉掘り聞いてやるから」

「お、おう。お手柔らかにな、ジュリ」


 小太りのウェイトレスさんは、師匠のことをよくわかっていらっしゃるな……。

 師匠が少し顔を引きつらせている。


「それでさ、最近、この酒場って依頼の方はどうだ」

「てんてこまいの大忙しさ。なにせ、ここ一、二年で、王都の人口がめちゃくちゃ増えたからねえ」

「あー、難民で、か」

「トラブルが増えれば、うちの店の常連たちも忙しくなる。ここで暇してる奴らは、だいたい、ひと仕事終えたあとだね」


 この酒場の常連たちは、その大半が傭兵である。

 この世界において、ひとくちに傭兵といってもさまざまだが……。


 基本的には、騎士の三男坊以降が家を出てひとり立ちするために始める稼業、と思ってくれていい。

 一般人と戦闘技能習得者の戦力差が、おれの前世の世界以上におおきいのだ。


 具体的にはおれもよく使う肉体増強フィジカルエンチャントなんだけど。

 自分の肉体を強化できなければ、それができる相手とは戦いにならない。


 アリスみたいな小柄な少女でも、肉体増強フィジカルエンチャントをかければ猪の突進を受け止めることができる。

 まあアリスの場合は螺旋詠唱スパイラルチャントを受けているから、というのもあるけど……。


 微妙な魔力しかなくても、大人と子どもの身体能力の差など簡単にひっくり返るのが肉体増強フィジカルエンチャントという魔法なのであった。

 しかも習得は、容易い。


 魔法に関してひどく不器用なおれが幼いころに習得できたほどである。

 えっへん。


 ヒトが長い歳月をかけて磨いてきた力の神髄、それは肉体増強フィジカルエンチャントかもしれない、ってくらい重要な魔法なのだ。

 それが使えるくらいの魔力が、戦士としての最低限のスペックということで……。


 戦場の様相は、だからおれの前世の世界とはだいぶ異なる。

 農村から兵士を集めてきても、彼らの大部分は肉体増強フィジカルエンチャントすら使えないから、壁にすらならずただ食料を食い散らかすだけの足手まといなのである。


 もちろん農民であっても魔力がある者はそこそこいるし、彼らに数年かけて時間を与え、肉体増強フィジカルエンチャントを習得させれば話は別だが……。

 それには膨大な手間がかかるし、その間の彼らの面倒をみるのもたいへんである。


 帝国は農村から根こそぎ人をかき集めて、ろくに訓練もさせず、棍棒ひとつ持たせて魔王軍にぶつけたみたいだけどね。

 戦場が、何キロにも渡って兵の死体で埋め尽くされ、魔王軍の魔物たちが大喜びでそれをおいしくたいらげたそうな。


 なーんでそんな、敵に利するようなことするかなあ、ってうちの国の上層部が頭を抱えていたのも記憶に新しい。


 まあ、そういうわけで、傭兵となるのはだいたい騎士の子弟である。

 騎士の一族は、ある程度の魔力を代々受け継いできているからね。


 その傭兵の仕事は様々だ。

 隊商の護衛、害獣駆除、街路の警備などは当然として、人手が足りないときは土木工事や人足などの募集もあるという。


 肉体増強フィジカルエンチャントが使えれば、土木工事でもひとりで数人分の働きができる。

 実際のところ、武器を手に戦うよりも、肉体増強フィジカルエンチャントで荷運びをしてる方が実入りがよかったりする場合もある。


 で、酒場の壁の一部にはそういった何十枚もの募集の紙が張り出されていた。

 傭兵たちはそれをみて、好きな仕事を請け負う。


 酒場は依頼人から少額のお金をとって、一定期間、この募集依頼の掲示を許可する。

 ここみたいな酒場が、王都には何十ヶ所もあるそうだ。


 ここは裏通りとはいえ商区だから、まだたむろする傭兵たちの質もいい方らしい。

 旧区、つまり貧民区の酒場だと、掲示された紙の文字を読むこともできないような者もいるとか。


 いや、そもそも文字を読めるだけの教養って、国によってはけっこう貴族だけだったりするんだけど。

 このヴェルン王国の場合、聖教の寺院がきっちりと教育機関として機能しているから、市井の人々でも簡単な文字くらいなら読めるし、足し算、引き算くらいはできたりする。


 もちろん騎士の子どもたちなら、依頼書の文字くらい楽勝で読めるし、四則演算もできる。

 でもいまは、魔王軍に追われて他国からやってきた騎士くずれが大勢いるから……。


 そういった人々が己の腕ひとつで傭兵をしようとすると、基礎教養のなさが厳しいらしい。

 そうした者たちが貧民区に集まっているから、あっち側の治安は悪くなる一方とのことであった。


 なまじ肉体増強フィジカルエンチャントは使えて、力が有り余ってる。

 平民だと相手にならない化け物みたいな奴らだし、暴れたら面倒そうだ。


 そんなやつらが徒党を組んだら、なおさらである。


「しかも最近は、そいつらが出身国ごとに集まって、なんとか国マフィア、みたいに勢力争いをしてるって話さ。もともと旧区をとり仕切っていた地元のマフィアもお手上げって話でねえ。いやはや、どうしたもんだか……。おかげで、こっち側にもそういった勢力争いに関わる依頼がいくつも来ているよ」

「知識としては知っていましたが、実情はもっと厄介なのですね」


 ジュリさんの話を聞いて、おれはため息をつく。

 いまのおれは商人――のフリをしているから、依頼を出す側として基礎知識が欲しい、と彼女にねだったのである。


 ジュリさんは苦笑いしておれの演技に気づかないフリをしつつ、このあたりの事情を教えてくれた。

 師匠に目配せしていたから、うん、いろいろと感づかれてるよなあ、これ。


 ちなみに傭兵ひとりあたりの相場は、おれが知る相場より値上がりしてる感じだな。

 でも王都の物価もだいぶ上がってるから、生活は……どうなんだろうなあ。


「いまいった相場は、あくまでも最低限だよ。騎士くらいの肉体増強フィジカルエンチャントが使えるなら、もっと値段は上がる。もっと上のランクになると、そこのエリカみたいにひとりで何人分もの働きをするからね。エリカの腕は知ってるだろう」

「ええ、そりゃあもう、存じておりますとも」


 知ってる、知ってる。

 帝国の精鋭騎士を十人以上まとめてぶち殺すくらい強いよこのひと。


 魔物相手の戦いは、あんまり得意じゃないっていってるけど……。

 対人戦で彼女より強いひと、どれくらいいるんだろうか。


 未だに、なんど模擬戦をやっても勝てる気がしない。

 もちろん螺旋詠唱スパイラルチャントをもらえば、話は別だけど。


「いまのうちの店に、エリカほど腕が立つ傭兵はいないからねえ」

「そりゃそうだ。そんなやつがいたら、とうに士官してるだろー?」

「あんたみたいに、お貴族様と喧嘩しなければね。毎回、後始末させられる身にもなってみな」

「ぐにゅう」


 あ、師匠がいい負かされてスネた。

 ぷーっと頬をふくらませて、そっぽを向いている。


「詳しい話を是非、聞きたいですね。店で一番高い酒を頼みましょうか」

「あっ、こらっ! 今日はそういう目的で来てるんじゃないだろ!」


 あ、そうだった、そうだった。

 でも師匠の昔の話、聞きたいじゃん。


 ジュリさんがけらけら笑って、「次はひとりでおいでなさい」とかわす。

 はーい、そうしまーす。


「でもやっぱり、優秀な人だと士官が目的になりますか」

「傭兵なんてうまみのない商売、普通は何年も続けられるもんじゃないさ。でも、まあ。いまはあんまり、この国で士官したいって奴はいないかもね。戦争が始まるって噂だ」

「魔王軍、ですか」

「そうさ。帝国がこてんぱんにされてるって話じゃないか。次はこの国で、そうなったらこの国もおしまい、そう考える奴はたくさんいる」

「アリスちゃんがいても、ですか」

「アリスちゃんがいくら強くても、ひとりで何十万も魔物を相手にできないだろ。傭兵だって数くらい数えられる」


 そこが問題なんだよな。

 実際のところ、魔王軍のいちばんの脅威はその数で、ヴェルン王国で魔王軍を食い止めるためには、そこをなんとかする必要がある。


「沈む船に乗るやつはいない、ってもっと東の国に流れていく奴は多いよ。いまも残っているやつらも多いけどね」


 ジュリさんは呵々と笑う。

 もちろん自分も逃げるつもりはない、と。


「この国に残るのは危険でも、ですか」

「商売柄、他国の話はよく聞くんだよ。他国の王族たちとうちの王族たち、魔王軍と戦をするならどっちが信じられるかって考えたら、まあ、うちの国にいた方がマシなんじゃないかなって」

「それは……わかりますね」


 戦に勝ってくれそうなオーラあるもんな、うちの王族たち。

 王様だけは、なぜかぺこぺこ謝ってるイメージしかないけど……それは王子たちが尖りまくってて、ちょっとやりすぎることが多々あるからだし。


 いや、その王様もめちゃくちゃ優秀なんだよ。

 ディアスアレス王子も、自分の外付けストッパーは王様だけ、って公言してるし。


 公言するなよそんなこと。

 普段から暴走してるってことじゃん。


 先日、マエリエル王女が『アリスとシェル』の超プレミアカードをつくろうとして王様に止められたことも記憶に新しい。

 いやーあれ本当に出してたら、いまごろ暴動が起こってたかもしれないわ。


「あと最近は、士官まではなくても、腕の立つ傭兵が臨時の教官として雇われることも多いやね」

「教官、ですか?」

「貴族が領地の平民に基礎的な魔法を教えたがっているのさ。少しは魔力がある平民を、いざというとき徴用するためだろうね。肉体増強フィジカルエンチャントを使えれば、とりあえず荷物を持って、騎士といっしょに走ることくらいできるだろう?」


 ああ、肉体増強フィジカルエンチャントでの全身強化を学ばせるのではなく、腕と脚の強化だけを覚えさせて荷物持ちか。

 平時でも、民にやらせる肉体労働なんてたくさんあるから……それはそれでアリかもしれないな。


 魔力が一般的な騎士の百分の一とかだと、数分で強化が切れてしまうかもしれないけど。

 誰が役に立って誰が役に立たないか、その選別をあらかじめしておけば、非常時の徴用もスムーズに進むというわけだ。


 最近、おれのつきあいの範囲だとインフレが激しくて、平均的な騎士ひとり分の魔力、というのがだいぶショボいものに思えてきているけど……。

 じつは平均的な騎士って、だいぶ人口の上澄みなんだよな。


 この酒場にいる傭兵たちの大半は、この平均的な騎士の魔力に達していないだろう。

 半分以下の者も多いに違いない。


 つまりおれの魔力量も、いちおうは上澄みなのである。

 まわりに化け物が多すぎるだけだ。


 あとこの世界、騎士は馬に乗ったりしない。

 いっぱしの騎士なら自分で走る方が早いからだ。


 馬は、荷馬としては使われたり、馬車を引いたりはしているけどね。

 国によっては馬に魔道具をつけて、その上に騎士が乗るタイプの騎兵が存在するけど、うちの国ではコストの面で採用されていない。


 戦場でも物怖じしない馬を飼育するためにかかるコストがおおきすぎるんだ、とはそのへんの話をしたときのディアスアレス王子の言葉である。

 で、そのへんも鑑みて来年に迫った大戦に備えるなら、たしかに貴族たちが領地の平民に一部なりとも肉体増強フィジカルエンチャントを習得させ、荷物持ちとして運用する可能性というのはありそうな話なのであった。


 これまでは、そんなことをせずともなんとかなっていた。

 でも次に控える戦いでは、総力戦になるだろう、と予測しての行動だろう。


「そういうわけで、仕事が増えて賃金の相場が上がっているわけさ。これからも上がり続けるだろうね」

「たいへん勉強になりました。次はひとりで参りましょう」

「そうしな。いろいろと、昔の話をしてやってもいいよ」

「楽しみです、ははは」

「……妹にチクるぞ」

「申し訳ありませんがもう一度来るのは無理そうですな、ははは」


 くそっ、師匠め。

 ちらりとみれば、不機嫌におれをみあげて、口をとがらせている。


 師匠がこの店に連れてきたくせにさー。

 こうなると思わなかったのかよー。


 おれたちの関係をどうみてとったか、ジュリさんは肩をすくめてみせた。


「仕方がないね。エリカ、じゃあこんどは、あんたがひとりで来なよ」

「なんども薬飲みたくねーぞ」

「じゃあ、こっちがオフの日にでも……そうだね、明後日、表通りに新しくできたムルフィカフェで」

「なんだよそりゃ……いいけどさぁ。ったく、完全に忘れてたけど、ジュリはこういうやつだったわ」


 師匠はおおきく息を吐いて、それから果実のジュースをぐいとあおった。

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