第41話
公女殿下の聖なるリバースによって背中が多少濡れたものの、ひとまず危機は脱した。
脱した、はずだ。
空をみあげる。
シェルの姿が……あれ、みえない。
帝国のやつらを警戒して、魔法で隠れたか?
さっきの敵も、飛行するシェルをみつけて、その下の
それにしても……ううっ、背中から臭ってくるよう。
:泣きそうな顔のアリスちゃんもそそる
:胃液を浴びるのも、考えようによってはご褒美でしょ
:高度すぎるプレイなんだよなあ
:アリスちゃんの胃液を浴びるならアリ
:ナシだろ
コメント欄は相変わらずだ。
いやまあ、たぶんこれ帝国の分裂っていう衝撃の情報から興味をそらすためのコントなんだろうけど。
とはいえ、そのコントでネタにされる方はたまらない。
「た、助けてくださった方に対して、なんという粗相を……。本当に申し訳……うっ」
「あっ、うん、仕方ないよ。でももう少し、もう少しだけ頑張ってね!」
コメント欄がみえていないだろうに、心の底から申し訳なさそうに謝ってくるアイシャルテテル公女。
でも、これ以上リバースはやめていただきたい。
身分的には本来、おれなんかが話しかけることもできないような相手なんだけど。
いい子だなあ。
彼女の姉妹を助けることはもう無理だろうけど、せめて彼女だけでも、亡命させないと。
そう、いまはひとまず、彼女の身柄の確保が第一、だ。
大公家の魔法である未来探知もあるが、彼女の持つ魔力は、
それってつまり、このコメント欄に彼女が書き込むってことなんだけど……この空気に染まって欲しくないなあ。
おれはそんなことを考えながら、地面を蹴って駆け出す。
「ところで殿下、さっきの奴ら以外にも、ヒトが襲ってきたりした?」
「いえ、魔族と魔物だけで……あいたっ」
「あ、揺れるから舌噛まないでね」
:無茶振りするな
:馬上で会話するよりたいへんそう
:帝国の哭暗衆は、じゃあついさっき参戦って感じか
:アリスちゃんがギリギリ間に合ったわけだ
そうなる、かな。
問題は哭暗衆をはじめとした帝国勢がどれだけ来ているか、ってことと魔族や魔物とどれだけ連係してくるか、ってあたりなんだけど……。
「左に跳んでください!」
公女の切迫した声。
え? と思ったけど、その意味を考えるより早く、おれの身体が動く。
とっさに左手へ跳躍する。
さっきまでおれの身体があった空間を黒い波のようなものが通り過ぎて、周囲の木々を薙ぎ払った。
単純に魔力を撃ちだしたものだ。
こういう力に任せた攻撃は、だいたいヒトの仕業じゃない。
振り返れば、身の丈四メートルくらいはある、六本の蜘蛛の脚と蜘蛛の胴体にヒトの上半身が乗ったような魔族が、ゆっくりと近づいてくるところだった。
顔は無毛で、目は昆虫を思わせる緑の複眼であった。
赤褐色の身体に、腕は二本。
それぞれの腕に巨大な槍が握られている。
おれはそいつをみて、思わず舌打ちしてしまう。
ゲームで知ってる奴だったからだ。
ゲリラ的にヒトの勢力圏に突入し、町や村やを襲い、これを壊滅させて生き残りを奴隷として連れていく、魔王軍の影騎士団、その頂点。
ひと呼んで、
魔王軍の最高幹部、
できれば万全の状態で戦いたい相手だ。
「殿下、いまのって……」
「たまたま、生き残る未来が
「とにかく助かったよっ」
:大公家の魔法か
:便利に使えるわけじゃないみたいだな
:シェルちゃんが狙われないように隠れてもらったところだから、助かった
シェルは上の方の指示で身を隠したのか。
いまの一撃があっちを狙ったものだったらどうしようもなかったから、大正解だ。
それにしても、とおれは
「貴様、我は知っているぞ」
はたして
その言葉そのものに魔力がこもり、畏怖の感情を想起させているのだ。
おれの肩に背負われたアイシャルテテル公女が全身をこわばらせ、ひっ、と押し殺した悲鳴をあげる。
おれは腹にちからを入れて、こみ上げる恐怖の感情を懸命にこらえるが……。
「アリス、という名だったな。ゴズルゥを倒した貴様と、ずっと戦いたいと思っていた」
「ゴスルゥ? 誰かな、それって」
「貴様たちが
うんうん、
おれが魔族の本当の名前を知ってたらおかしいから、知らないふりをした。
それにしても、アリス、とこいつに名を呼ばれただけで全身に怖気が走る。
やべーな、ある意味、
ゲームでは恐怖の
その対策を立てたうえで挑み、勝利するという流れであった。
たしか、特殊な護符で感情を凍結させることで
今回、当然のようにそんなものは持ってきていない。
これ、詰んでない?
本気でマズいかもしれん。
いや、今のおれの仕事はこいつを倒すことじゃない。
いま肩に背負っている少女を無事に王国まで送り届けることだ。
おれは踵を返し、味方との合流地点のある北東に駆けだす。
こんな状態でボス戦なんて、やってられるか。
:よしいいぞ、戦うな
:相手にするだけ無駄
:全力で
コメント欄も、おれの決断を全力で肯定してくれている。
配信的には見栄えが悪いかもしれないが……今はおれの命だけじゃなくて、この子の命もかかってるんでね。
「あーばよっ、とっつぁーんっ」
北東に全力でダッシュする。
相手は連続して魔力弾を撃ちだしてくるが、なんとかかわし続ける。
:とっつあん?
:アリスちゃんはときどきよくわからない
ごめんねコメント欄のみんな! つい軽口が出るだけなんだ!
ちらりと振り返れば、
こいつが槍を突き出すと、その穂先から黒いビームが出てくるのだった。
両手に槍を持っているけど、魔力弾は左手の槍からしか出していない。
魔力弾の数が倍になるとさすがに辛いから、これは助かる。
たっぷり
:これなら逃げ切れそう
「跳んでください!」
コメント欄でフラグを立てた奴がいて、その直後、公女の声。
おれは反射的に跳躍する。
おれと殿下が一瞬前までいた空間を、数本の投げ槍が通りすぎていく。
空を裂いた投げ槍は、おれの右手側に立ち並ぶ木々に突き刺さり、派手に爆散した。
:うわっ、帝国騎士団の爆槍だ
:たぶん第七だな
:精鋭じゃん、最悪
本当に最悪だ。
またヒトを相手にするのかよ。
しかも、後ろからは
「ヒトと魔族の夢のタッグマッチとか全然嬉しくないんだどぉっ!」
「くるりとするのを!」
空中のおれに、また数本の投げ槍が飛んでくる。
タイミング的に、一発目が避けられることを想定しての置き攻撃だな、これ。
わかりやすく表現するなら、ソニックブームで飛ばしてサマーソルトってことだ。
待ちガイルの動きである。
対人戦闘に慣れた敵だ。
これまでのアリスなら確殺されていたコンボであるが、今回は幸いにも、公女のアドバイスもあって心構えができていた。
「こんにゃろーっ!」
左手の人差し指に嵌めた指輪型魔道具、を起動。
ほぼ同時に、前方へ右手を突き出し、魔力弾を放つ。
魔力弾の反動が
投げ槍は、そんなおれのすぐそばを通り抜けて、反対側の樹木を何本か爆散させた。
守ろう、大自然!
少し目をまわしながらもおれが地面に着地すると、左手の森のなかから十人以上の男たちが飛び出してくる。
いずれも黒い全身金属鎧を身につけた、ガタイのいい騎士たちだ。
こいつらが、帝国の騎士か。
「ちょっとちょっとーっ、よくもまあ人類を裏切ったうえ、か弱い女の子を集団で襲うような卑怯な真似ができるよね? 帝国人ってヒトとして恥ずかしくないの? それとも帝国の外のヒトなんてヒトと思ってないのかな?」
挨拶代わりに煽ってみたところ、騎士たちの親玉とおぼしき先頭の男が「小娘の分際でっ!」と激昂してくれた。
ちなみにこのやりとり、お互いに高速で走りながらやっている。
向こうも
こいつら、ひとりひとりが普段のおれの十倍以上は魔力がある精鋭だな。
その力で魔族と戦えば、多少は善戦できただろうに。
いや、それでも後ろから追ってきている
でもおれにとっては、こいつらも充分に厄介なんだよなあ。
さっきから、
なんとかこいつらを振り切りたいところなのだが……。
「ねえねえ、こっちは忙しいからまた後にしてくれない? またこんどなら、遊んであげるからさぁ」
「ならばその肩にかついだ娘を置いていけ。その者を献上せねば、我らに未来はないのだ!」
「こーんな年端もいかない子を魔族に売り渡して恵んでもらうような未来、ロクなもんじゃないよ!」
「それでも、我らにはほかに道はない! 故郷に残した妻と娘のためだ!」
その妻と娘、もう触手の餌食になってない? 大丈夫?
正直、もともと存在しない望みにすがりついているようにしか思えないんだけど……。
ここでそんなことをいいあっても仕方がない。
この人たちの覚悟は変えられない以上、やるしかない、のだが……。
まだ投げ槍を温存していた騎士たちが、追従しながら投擲してくる。
それを回避している間に距離を詰められ、剣で斬りつけられるところをかろうじてかわす。
あーもう、ジリ貧だよ!
あと少し、なんだけども……。
:シェルの合図と同時に右手に避けて
コメント欄で、ディアスアレス王子が発言する。
あっ、はい。
「いまだよ、お姉ちゃんっ!」
耳もとで、シェルの声。
同時におれは、上体を右に倒しておおきく跳躍。
直後、前方の森の木々が光に包まれた。
純白の極太ビームが、おれのすぐ左脇を薙ぎ払っていく。
男たちの悲鳴があがる。
いやー、いまのタイミング、わりとギリギリだったぞ!
で……目の前の木々がなぎ倒されて、おおきく道が開けた。
前方、距離およそ一キロくらいのところで、小高い丘の上に固まって陣取る者たちがいる。
「アリス、お待ちしておりましたわーっ」
遠く離れていても聞こえるかん高い笑い声は、その先頭に立つ赤毛の少女、テルファだった。
そのすぐ横では、妹のムルフィがこっくりとうなずいている。
さらに彼女たちの後ろには、総勢三十人の男女がいる。
特殊遊撃隊候補生の三十人である。
いまの極太ビームは、彼女たちが合同で放った一撃であった。
つまり……。
「上手く、ここまで釣り出してくれましたわね!」
「ん。よくやった」
そう、おれの今回の役割は、公女殿下とおれ自身を囮として、敵の追撃部隊をここまで引っ張ってくることだったのである。
我がヴェルン王国の特殊機動部隊が勢揃いした、この決戦の場に。
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