第40話

 アリスおれは十歳の公女様アイシャルテテルを左肩にかついで樹上を駆ける。

 大樹の枝から枝へと飛び移り、魔王軍の追っ手から距離をとる。


 上空ではシェルが、公女様に仕える老婆と共に飛行していた。

 シェルがいないと、魔力リンクが途切れちゃうからね……。


 公女様を抱えて走るだけの肉体増強フィジカルエンチャントなら螺旋詠唱スパチャなしでもいけるけど、樹上をマリオのアスレチックステージみたいにぴょんぴょんジャンプして移動するのは、おれの魔力だけではちときつい。

 おれは魔力リンクできることを除けば、平凡な騎士ひとり分の魔力しかない、ただの木っ端騎士見習いなのである。


 あとは、まあ、ちょっとばかり対魔族、対魔物特化の技を身につけている程度で……。



:ところで、逃げてるだけだと端末側の盛り上がり微妙

:公女を抱えてるんだから安全第一だろ

:こっちはちゃんと殿下の悲鳴で盛り上がってるから安心しろ

:安心……?

:ガキの悲鳴で盛り上がるような国に亡命したくねえのよ



 それな。

 ツッコンでくれたのは最近のIDのひとだから、たぶん亡命貴族とかだろう。


 このひとに限らずコメント欄で常識的なことをいってるのは、だいたい亡命貴族とか辺境の零細貴族だ。

 で、幼女殿下の悲鳴で喜んでいるのは安定のヴェルン王国うちの王族である。


 うん、向こうは平和だなあ。

 でもこっちは命懸けの救出ミッションなんですけど!?


「あ、あのっ、アリス、さん。少し、いいですか」

「なーに、公女殿下! 舌噛まないでね!」

「他の、部隊は……わたくしの姉妹が、他に、あいたっ」


 あ、噛んだな。

 そうか、この国から脱出する馬車はひとつじゃなくて、彼女の姉妹も同時に、なのか。


 あーでもこれ。



:保険、っていうより、囮かな

:たぶん、ね……

ヴェルン王国うちのくにが保護を頼まれたの、この子だけだもん

:自分の娘たちを囮にして、本命だけでも逃がすのか……

:貴族なら覚悟の上だろ、大公は仕事をした

:だな、あとはおれらの役目だ



 もうわかってると思うけど、ガンギまってるのがうちの王族である。

 こいつら、さっきまでパンツパンツ幼女の悲鳴ってうるさかったのにさあ。


 おれは太い木の枝から跳躍しながら頭上のシェルを仰ぎみる。

 シェルは黙って首を横に振った。


 彼女のみえる範囲内で馬車はいない、ということだ。

 囮の者たちは、とっくにやられたか、捕まったか。


 こういう場合、囮役の者には自殺用の武器か薬を用意しておくものだ。

 いまのおれとしては、この子の姉妹が楽に死ねたことを祈るしかない。


 はたして、おれの態度でだいたいのことを理解したのだろう、公女殿下は黙ってしまった。


 悲鳴をあげたり暴れたりしなくなったのは助かる。

 あーもう、クソみたいな世界だよ、ほんと。


「お姉ちゃんっ!」


 太い木の枝から跳躍した直後、唐突に、シェルが叫ぶ。

 おれは空中でとっさに向きを変えると、空いた右手で小杖ワンドを振るう。


 自己変化の魔法セルフポリモーフ

  背中から、二枚の白い鳥の翼が生えた。


 翼をはためかせ、空中で方向転換する。

 直後、ひゅっ、となにかがおれの肩をかすめていき、近くの木の幹に突き刺さると爆発を起こす。


 爆風から逃れるため、いちど地面に着地する。

 その瞬間、地面から数本の槍が突き出てきた。


「ちょっ、待ち伏せ!?」


 小杖ワンドを剣にして、薙ぎ払う。

 槍の柄がまとめて断ち切られ、宙を舞う。


 おれは素早くその場から離脱。

 地面から飛び出てきた人影が三つ、いや四つ、後退するおれに襲いかかってくる。


 忍者かよこいつら、って感じの黒ずくめで覆面の者たちだった。

 魔族だとしても、限りなくヒトに近い姿かたちをしている。


 全員が槍を捨て、腰の小剣を抜いていた。

 おいおい、これどこかの国の特殊部隊か!?



:うげっ、帝国の哭暗衆だ

:なにそれ

:デスト帝国の暗部、精鋭の暗殺部隊、なんでここに?

:は? 帝国!?



「ちょっとーっ、アリスたちは魔族じゃないよ、人違いじゃないの!?」


 抗議してみるが、相手は委細かまわず距離を詰めてくる。

 公女殿下を抱えている状態で戦うのは厳しいが……。


「あーもーっ、邪魔ーっ!」


 哭暗衆のひとりに魔力弾を放つ。

 相手は身体を柳のように揺らして、その一撃をすっと避けた。


「へ?」


 またたく間に距離を詰められる。

 小剣の刺突がおれを――いや、公女を襲う。


「なんでーっ!」


 おれは剣でその一撃を弾き、斜め後ろに跳躍、距離をとろうとする。

 ほかの三人がおれを追って跳躍してくる。


「シェルっ!」

「うん、お姉ちゃん!」


 そこに、シェルが上空から魔法を放つ。

 哭暗衆の頭上から、白く細い粘着質の蜘蛛の糸が降ってくる。


 彼らはジャンプした直後、空中で、それは絶対に避けられない攻撃――のはずだった。

 黒ずくめの男たちが、剣を持っていない左手を一斉に真上に突き上げる。


 その掌の先から、黒い傘のようなものが広く展開された。

 蜘蛛の糸は彼らの頭上に展開されたおおきな傘にかかり、哭暗衆はあっさりと蜘蛛の糸スパイダーウェブを突破する。



:え、なにそれ

蜘蛛の糸スパイダーウェブにそんな突破方法あったの?

:しらん、帝国の暗部こわっ

:魔術師相手の戦いに慣れてるな……



 そうか、こいつら対人経験が豊富なんだ。

 というかそれに特化した部隊なんだ。



:アリスちゃんの天敵じゃん

:これまずいんじゃ

:え、どういうこと?

:アリスちゃんは対魔族・魔物特化



 コメント欄の王族たちが焦っている。

 しゃーない、こうなったら……。


 おれは背の高い木の太い枝に着地する。

 そこに、斜め下から飛んでくる哭暗衆の三人、少し遅れてもうひとり。


 充分に引きつけたあと、少し上の木の枝めがけてジャンプ。

 敵もそれを追って跳躍する、が――。


 おれは木の幹を蹴って、方向転換する。

 一瞬、高度が同じになったところで剣を振るう。


 おれの斬撃は敵の小剣で受け止められる――はずだった。

 ここでアレを発動、公女を抱えた左手で、ぽちっとな。


 おれの身体が回転して、それに伴いおれの剣の軌道が変化する。

 相手はこの変化に対応できず、おれの剣は相手の小剣をすり抜け、その斬撃が相手の首を刎ねた。


 よしっ、これでひとり。



:え、なに?

:アリスちゃん、いま気持ち悪い動きしたな

:隠し玉? 秘密兵器?



「ひ・み・つっ!」


 残る三人が木の幹を蹴っておれを追撃してくる。

 こっちは背の翼で宙を舞い、いちど高度を上げようとするが……ううっ、公女が重い。


 自己変化の魔法セルフポリモーフでつくった翼には、荷物を運ぶような力強さがない。

 少女とはいえひとひとりを抱えていては、思うように加速できない。


 やばいな、このままだと追いつかれる。


 しゃーない、もう一回、ぽちっとな。

 同時に小規模の魔力弾を発動し、跳躍の方向を変化させる。


 おれの身体が不規則な回転をして、あらぬ方向に向かった。

 ちょっと目がまわる。


 空中でこの不規則軌道は、さすがに想定外だったのだろう、相手が混乱しているのがありありとわかる。

 そうだよな、わかるよ、対人戦闘に優れた奴らほど、こういう理外の動きに弱い。


 すれ違いざま、おれはもうひとりを斬り捨てる。

 敵は残り、ふたり。


「なにが目的か知らないけど、見逃してくれるなら追わないけど?」


 いちおうそう声をかけてくるが、相手は無言だ。

 ちぇっ、やっぱりこいつら、プロだよなあ。



:いま連絡が入ったんだけど、帝国の一部が裏切って魔王軍についたわ

:は? 帝国分裂?

:ちょっとこれ放送で流しちゃ駄目なんじゃ?

:いまさらだよ、いまさら

:公女殿下は裏切りの手土産ってわけか



 ふざけんな、手土産ってなんだよ。

 肩でぐったりとしている少女が、やけに重く感じた。


「あったまにきたーっ! もーっ!」


 残るふたりが、空中のおれに向かって左右から同時に距離を詰めてくる。

 こいつら、木の幹を蹴るだけで、よくもまあ綺麗にタイミングを合わせてくるな……。


 それだけの熟練の暗殺者なのだろう。

 見事な対人連係プレイだ。


 でも、だからこそ読みやすい。

 ぽちっとな。


 おれは左手の人差し指に嵌めた指輪のボタンを親指で押す。

 魔道具だ。


 師匠が開発した、身体を回転させるだけの魔法、回転制御スピンコントロール

 それを発動させる魔道具を、リアリアリアに無理をいって短期間で開発して貰ったのである。


 いやあ、さすがは希代の天才魔術師、たったの十数日でやってくれました。

 おかげで積み上がったタスクがめちゃくちゃ放置状態らしいけど……いやほんとゴメン、でもこれ、マジでいま役に立ってるから。


 おれの身体が不規則に回転して、また相手との軸がずれる。

 一瞬、戸惑う相手の頭上から斬撃を見舞い、ふたりをそれぞれ一太刀で斬り伏せてみせる。


 おれは絶命した男たちから離れた場所に着地。

 ふう、とひと息つく。


「だいじょうぶ、公女殿下?」

「う……っ、き、きぼぢわる……」


 あっ、と思った次の瞬間、殿下は盛大にリバースされた。

 ぎゃあっ、背中にかかったっ。


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