第36話

 アリスの握手会があった日、そして会場に襲撃を受けた日。

 夜になった。


 メリルアリルは魔法で治療されたあと、大使館の一室で眠っている。

 命に別状はない。


 おれがプレゼントした青い貝殻のネックレスは凶刃によって破壊された。

 その残骸を、眠るメリルは両手で握りしめたまま離さないのだという。


 セウィチア共和国の諜報部隊が全力で動いて、その日のうちに怪しい連中の潜伏場所を暴いてきた。

 彼らとしても面子を完全に潰されたので、必死である。


 商区のはずれ、貧困層が住むスラムとの境のあたりの、いちばん混沌としたエリアに、それはあった。

 小汚い二階建ての家が狭い範囲に立ち並び、道は大人がギリギリすれ違えるほどの区画の、その一部。


 怪しい者たちが出入りしていて、周囲の住民から、「あそこは出入りする人数が合わない。入った奴の半分が出てこない」という噂が立つあたり。

 そこに、妙に広い屋敷が建っているという。


 あのさあ、そんな区画、どうしてこれまで注目されなかったの……。

 と聞けば、諜報部はこのところ王国放送ヴィジョンシステム受け入れに関するあれこれでてんてこ舞いで、議会場のある商区の中央付近の調査に集中していたとのことである。


 その隙に他国の浸透を受けていたのだから、世話ないよ。

 といまさらツッコミを入れても仕方がない。


 深夜。

 周囲の区画を封鎖して、当たりをつけた建物に襲撃をかけることとなった。


 ガサ入れである。

 ただし、主力はアリスおれだ。


 今回、シェルはシェリーが担当する。

 スタンダードな配置というわけだ。


 メリルの怪我はいちおう治療魔法で完治したけど、おれのときもそうだったように、肉体に受けたダメージが完全に消えたわけじゃない。

 それに、今の彼女は精神的にもダメージがおおきいようだった。


 そもそもシェリーの方が魔術師としては数段格上で、おれとのコンビネーションも熟練の域にある。


 公式には、伯爵令嬢であるメリルこそがシェルの中身である、ということになった、らしい。

 緊急に、伯爵家にはそれまで知られていなかったメリルの姉が存在していることが判明・・した。


 幼いころに出奔し、ずっと消息不明だったその姉がここ一年と少しで戻ってきていた、とのことである。

 もちろん架空の姉だ。


 その架空の人物こそがアリスの正体、というわけである。

 いまごろ、文才に長けた王族の一部が徹夜でカバーストーリーを考えているはずであった。


「ところでシェリー、ためしにメリルの物まね、やってみてくれないか」

「わっ、わたしったらちょっとドジっちゃったわー、でもがんばるわー、わーっ」


 おれとエステル王女は顔を見合わせて「難しいことを考えるのはやめて、インタビューとかがあっても、いつものシェルで」ということになった。


「シェリー、誰にでも苦手なことはある。おまえには魔法の才能があるんだから気にするな」

「そっ、そんなに駄目だったかな!?」


 おれはそっと視線をそらした。

 エステル王女は笑ってごまかした。



        ※※※


 月は半月。

 おれはアリスとなって、建物の屋根から屋根へと忍者のように跳躍する。


 隠密行動優先のため、まだ全体での王国放送ヴィジョンシステムは稼働していないが、ヴェルン王国の王宮とだけは部分的に接続していた。

 最近可能になった部分接続は、こういうとき便利である。



:ところでアリスちゃん、今日のパンツは何色?

:はぁはぁはぁ……おじさんにだけブラの色教えて?

:おっ、さっそく部分接続を効果的に活用しているな?



「ぜんぜん効果的じゃないよっ! いま端末の前にいるひと、みんなアリスの正体知ってるでしょ? なにが楽しいの?」



:楽しい

:すっごい楽しい

:最高のストレス解消

:ほんと育て方を間違えたわ……



 最後のは国王のありがたいコメントである。

 健気に生きて欲しい。


 さて、目当ての建物の近くまできた。

 肉体増強フィジカルエンチャントを視力にまわして、周囲を窺う。


 あー、見張りは四人、かな。

 いっけん、ただの薄汚い住民にみえるけど……。



:騎士だよね、あれ

:たぶん探知魔法使って警戒してる

:やっぱりどこかの国が後ろにいるかー



 コメントの通り、うん、これ地上から接近してたらたちどころにみつかってたわ。



:後ろにいるのはアウエスかね

:たぶん、そう

:でも魔王軍に先に狙われるのってアウエスの方じゃ?

:だから、でしょ。おそらく魔王軍との合意ができてる



 アウエス公国はこのセウィチア共和国の西に位置する国で、セウィチア共和国とは仲が悪い。

 アウエスの方が魔王軍の最前線に近いから、本来ならこっちの方がうちの国に救援を求めるんだろうけど、先にセウィチアが接触してきたんだよね。



:魔族どもとの合意とか、守られるの?

:知らん

:あっさり反故にして、侵攻してきそう

:降伏した国の王家を全員奴隷にしてたよな、たしか

:民も貴族もみんな奴隷に落としてたから……ヒトはみんな平等に奴隷だから……



 そうなんだよなあ。

 魔王軍の奴らが約束を守るとは思えない。


 というか、おれはゲーム知識で知ってるけど、国家との約束なんてまったく守ってないはず。

 圧倒的な力で大陸のほとんどを征服できるんだから、守る意味もないのだ。



:ところで今日のシェルちゃんがメリルって子だったの、マジでびっくりしたんだけど

:うちは知ってた

:うちらは知らなかった。これディラちゃんの策謀でしょ

:ディラちゃんいうな

:そのあたりいろいろあるんだけど、アリスちゃん、ごめんなさいね



 いまのごめんね、はディアスアレス王子の母上、つまり王妃のひとりからだ。


「わかってます。アリスおれの正体を知られる危険を考えたら、むしろ運がよかった」


 思わず素に返って、そう返事をしてしまう。



:そんなこといわないで

:もっとメスガキ風に

:もっとパンツみせて

:サービス頑張って



「無理にそっち方向に戻さないでもいいんじゃないかな、お兄ちゃんたち!?」



:いまのおれたちにできるのは、アリスちゃんを辱めることだけだから……

:しかたないよね……

:こんなことしかできなくてごめんね……



「しなくていいからね! ほんとに!!」



        ※※※



「それじゃ、シェル! プランBでお願いね!」

「了解、アリスお姉ちゃん。囮の人たちを送るよ」


 おれにだけ聞こえる声で、シェルが告げる。

 彼女はいま、空の上から全体を把握して、別動隊にも同じような魔法で指示を伝えているはずだ。


 プランBは、別動隊であるセウィチアの部隊が囮として動き、相手がそちらに気をとられた隙にアリスが強行突破する作戦である。

 できればあそこの騎士たちを捕らえて所属を吐かせたいところだが、今回はあの建物の内部を調べる方が優先だ。


 内部に証拠が残されているなら、証拠の隠滅を防ぐことこそ肝要。

 だからこそ、テロの日の夜という最高速度で、この作戦が実行に移されたのである。


 おれが隠れている一角とは反対の方で、火の手があがった。


 見張りの男たちが緊張して、なにごとかと首を巡らす。

 彼らがおれから背を向けた、その瞬間――。


「行くよっ」


 アリスおれは屋根の上から跳び出した。

 肉体増強フィジカルエンチャントで脚を強化し、一瞬で屋根から屋根へ飛び移ると、見張りたちの頭上から落下する。


 小杖ワンドを剣に変化させ、一閃。

 並んで立っていたふたりの首が宙を舞う。


「うん、なんだ――っ!?」


 残るふたりが振り返ったときには、おれは地面に着地し、全身をバネにしている。

 跳躍し、一気に距離を詰めて剣を振るう。


 残るふたりが腰の剣を抜く前に、その首を刎ねていた。

 四つの首のない身体が地面に倒れる。


「入り口、制圧! フォローよろしくっ」



:よしよし、順調

:暗殺者もやっていける手際

:いまさらだけど王国放送ヴィジョンシステムってやべーな

:いまさらすぎる



 呑気だな、王族しちょうしゃたち。

 おれは背中にくくりつけていた今回の秘密兵器を抜く。


 昼間の敵が使ってきた対魔法剣アンチマジック・ブレードだ。

 扉を前にして、回収したこの対魔法剣アンチマジック・ブレードを一閃する。


 扉に張られていた警報の魔法アラームが解除されて、ついでにドアもまっぷたつになる。

 おれは対魔法剣アンチマジック・ブレードをふたたび背負い、ドアを蹴り開けて踊り込む。


 そして――立ち込める濃厚な臭いに、顔をしかめた。

 玄関にはひと気がないものの、奥への扉は開いていて、廊下には明かりの魔法がついている。


 おれは迷わず床を蹴って、廊下の奥へ駆けた。


 なにごとか、と横の部屋から顔を出した男たち数名を拳で昏倒させ、さくっと奥へ。

 彼らへの対処は、後続の突入隊がやってくれるはずである。


 ちらりと振り向けば、シェルがおれのすぐ後ろで地面すれすれを飛行していた。

 こういう狭い場所だと、さすがに遠隔で螺旋詠唱スパイラルチャントを送るわけにはいかないからね……。


 地下への階段があった。

 階段から顔を出す騎士らしきふたりの男を一撃で昏倒させ、階下へ。


 二十メートルくらい下っただろうか。

 正面に、おおきな両開きの扉があった。


 見張りは――さっきぶちのめしたふたりだったのかな?


 ためらいなく正面の扉をぶち破って、なかへ。

 そこは、明かり魔法のシャンデリアで照らされた、ひときわおおきなフロアだった。


 まず聞こえたのは、喘ぎ声。

 鼻をふさぎたくなるような臭気。


 天井の高さは二十メートルくらいで、ドーム状となっていた。

 そのあちこりで、裸の女たちが、グロテスクな触手に全身を拘束されていた。

 少なくとも二十人以上はいて、それと同数の触手の化け物だ。


 触手たちの奥に、蠢くひときわ巨大なモノがいる。

 巨大なタコに似た魔族……いや、こいつは分類上魔物だったか。


 こいつのことは、ゲームで知っている。

 人類を文字通り餌として魔力を搾り取り、力を蓄える、魔力喰いマギイーターという名の魔物だ。


 触手の使い魔を生み出してるのもこいつである。

 女王蟻と働き蟻みたいなものらしい。


 ちなみにプレイヤーからの呼び名は、エロシーン製造機。

 敗北エンドの汎用絵にも出てくる名選手である。


 こいつで魔力を貯めて、そうして得た魔力で大規模な魔法を行使する、というのが魔王軍の陰謀パターンのひとつであった。

 今回の場合、昨日、今日の洗脳された奴らから考えるに、洗脳の魔法のために魔力が必要だったのかもしれない。



:うわあ、エログロ

:こんな魔物の浸透に気づかなかったのか、セウィチアは

:うちも人のこといえない

:他人ごとじゃないんだよなあ



「あーもーっ、予想はしてたけど強制うまぴょいとかシェルの教育に悪いっ」



:うまぴょ……なに?

:アリスちゃんはたまによくわからないことをいう

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