第27話
師匠ことエリカは、たしか今年で三十七歳。
二児の母である。
息子が九歳、娘が七歳だが、自分の武術はいっさい教えていないという。
「あいつらには、あいつらの人生があるさ。もしあたしの剣を習いたい、っていうなら鍛えてやるけど、あいつらにはそんな気がさっぱりないみたいでさ。これからは剣より算術だって、毎日熱心に寺院に通ってやがる」
聖教の寺院は、前世における学校のようなこともやっている。
無料で、読み書き算術を聖教の教えや歴史と共に教えてくれるのだ。
もっとも、この世界、子どもも貴重な労働力である。
ある程度理解のある親でなければ、我が子を何年も寺院に通わせるような
「ま、あの子らはたいして魔力がないからな。アラン、おまえ以下だ」
おれの魔力量は騎士の平均くらいである。
師匠は、おれの倍以上。
ちなみに天才魔術師たる我が最愛の妹シェリーは二十倍以上。
ディラーチャとムリムラーチャはシェリーより少し下だ。
で、シェリーの師匠であるリアリアリアは、長命種ということもあっておれの三十倍以上の魔力を持っている。
でもおれは、
そりゃ強いよ、このシステム。
閑話休題。
師匠の背丈はアリスくらいで、それくらいの身長の者が戦うための武術こそ、彼女が一代で築き上げた流派であった。
ちなみに天駆一閃流という流派名を道場の門に掲げていたものの、師匠は自分でつけた流派名をちょくちょく忘れていた。
「どうせあたしの一代で滅ぶ剣、名前に凝っても仕方ねーだろ」
とのことである。
そんな適当なことだから王都でも名を上げることができなかったのでは?
いや、この話はやめよう。
で、アリスは正式に、その天駆一閃流の使い手として発表されることになっていた。
これから特殊遊撃隊候補生の教官となる師匠に箔づけするためである。
魔族や魔物を相手にするための剣を教えるには、師匠が最適の人材であると、アリスがそう推薦した、という経緯になる予定であった。
師匠の過去は改変され、時折、トリアの町から旅に出て、そのときアリスに天駆一閃流を教えていた、ということになった。
いちおう、師匠がときどきふらりと旅に出ていたのは事実なんだ。
商人である旦那さんといっしょに、商品の買いつけにいったりしていただけで。
そのあたりは旦那さんにも話を通して、いろいろとつじつまを合わせてもらうことになっている。
これで、トリアの町の人々も、アリスの正体を邪推することはないだろう。
このへんのつじつまをきっちり合わせておかないと、どこからアリスの正体が露呈するか、わかったもんじゃないからな。
先日の大闘技場での一件で、魔族のスパイだけじゃなく、予想以上にこの国に各国のスパイが入り込んでいたことが判明している。
アリス関係には、探られて痛い腹しかない。
おれと師匠の繋がりなんてトリアの町で探れば一発でわかってしまう以上、対策は急務であったのだ。
で、王子たちが退室した料理店の二階の一室では、おれと師匠とシェリーによって、そのあたりの話し合いが行われていた。
豪勢な料理を突っつきながら。
「やべーな、この肉めちゃくちゃうまいぞ。旦那と子どもたちも連れてきたかったぜ」
とかいいながら、師匠はそのちいさな身体にどれだけ入るのだという量の熟成肉をもしゃもしゃ貪っている。
もちろんおれとシェリーだって相応に食べているけど、七割くらいの肉は師匠の腹のなかだ。
うーん、この肉だとワインが欲しいけど、師匠が酒を嫌がるからなあ。
酒の匂いも駄目、というタイプなので同席するならアルコールなしが前提となる。
いまおれたちが食べている牛の魔物の熟成肉は高位の魔術師がわざわざ魔法で加工したものだ。
普段はこの店程度じゃ出せない高級品で、たぶんディアスアレス王子の差し金だろう。
「おまえら、いつもこんなもの食ってるのか?」
「まさか。リアリアリア様のお屋敷でも、普通の料理しか出ないですよ」
「わたしの師匠、あんまり食べ物に興味ないから……」
シェリーが肩をすくめてみせる。
まあ、普通の料理、といってもパンは焼きたてだし野菜も果物も新鮮だけど。
なにせおれたちが住んでいるリアリアリアの屋敷には、食材を入れておくと勝手に
加えて魔法の薬品を作るための大型の釜や炉なんかもあって、それらも普段は料理に使われている。
そのあたりは大魔術師の屋敷ならでは、だ。
そんな話を師匠にすると、口のなかで肉をもごもごさせながら「へえ、あのリアリアリア様がねえ」と呟く。
「そういえば、師匠ってリアリアリア様と面識があったんですっけ」
「うちの旦那が、あのかたのお屋敷にいろいろ搬入していたからな。っていっても、向こうは商人の妻としか思ってなかっただろ」
「あー、下手すると、『アリスの師のエリカ』と『商人の妻エリカ』が同一人物だって気づいてないかもしれませんね」
「あはは、うちの師匠、興味のないことには全然だから……」
シェリーが苦笑いしている通り、リアリアリアは多忙で、しかも自分の興味がないことには記憶力を使わないタイプだ。
おれだって、最初、弟子の兄として会ったときは顔を覚えて貰えなかったしな。
今回の師匠関係のあれこれも、主に動いているのはおれとディアスアレス王子、マエリエル王女のラインで、リアリアリアは事後報告を受けているだけである。
そもそも大魔術師であるリアリアリアが関わらなければいけない事業は、いまの王都では山ほど存在する。
その大半が、将来の、そして現在の魔王軍への対策であって、とにかくそちらを彼女がこなして貰わなければならないのだ。
ことがことだけに機密事項が多く、あまり他人に振れる仕事がない、とよくぼやいている。
なまじ事務処理能力も高いせいで、自分でやった方が楽、ってタイプの人だしね……。
シェリーが弟子となるまで、百年単位で弟子をとっていなかっただけのことはある。
いまは何十人も弟子がいて、その大半が工房にこもって各種魔道具の研究と生産に励んでいるのだけど……おかげで現在の一番弟子がシェリーなんだよな、十五歳なのに。
「んじゃおれたちといっしょにリアリアリア様の屋敷に住んでも平気ですね、師匠」
「ん、んん? んんんんんんん?」
「安全面でもその方がいいですし、リアリアリア様もOKを出してくれていますから」
「い、いや待て、ちょっと待て、お貴族様のお屋敷だろ? しかも貴族区だろ?」
「別に隣近所に挨拶する必要はないですし、移動は基本的に馬車ですから通りすがりの貴族と談笑、なんてこともないですよ」
「うええ、馬車ってなんだよ……おまえらも武人なら二本の足で歩けよ……」
シェリーは魔術師だし、そもそもあの街区の出入りは身元確認もあるから馬車の方が便利なのだ、みたいなことを師匠に説明する。
めちゃくちゃ嫌な顔をされた。
王都にいたころはずっと商区で暮らしていたらしいし、トリアの町では領主も気さくな人だったからなあ。
「はああああ。憂鬱だぜ……」
「あ、デザートでアイスとショートケーキを選べるって。エリカさん、どっちにします?」
「両方……」
師匠はどんよりと肩を落としながら、シェリーに対してそう返事をする。
どれだけ憂鬱でも食欲は衰えないとか、さすが師匠だなあ。
※※※
結果からいうと、リアリアリアは師匠のことをぜんぜんまったく、これっぽっちも覚えていなかった。
「大丈夫、もう覚えました。エリカ導師、これからはわが屋敷を自分の家のように使ってください」
三日、徹夜したあとの眠そうな顔で、大魔術師はそう告げる。
ちなみに長命種はもともと睡眠が短いうえ、魔法の薬とかあれこれでドーピングして、十日徹夜まではイケる、と以前いっていた。
「詳しいことはメイド長に。わたしは寝ます」
といって、さっさと自室に戻っていく。
魔道具の開発がひと段落したらしいから、まあなによりであった。
屋敷では男女合わせて二十人以上の使用人が働いている。
彼らにお世話されているのは、いまのところおれとシェリー、リアリアリア、そしていまは遠征していて不在だが、ディラーチャとムリムラーチャの五人。
これに師匠が加わるわけだ。
部屋は、弟子が泊まるとき用のものがたくさん空いてるから余裕である。
そう、もともと王都に引っ越してきた際、この屋敷に何人も弟子を住まわせる予定だったのだ。
しかし工房ができあがると、シェリー以外の弟子たちは、嬉々としてそちらに泊まり込むようになってしまった。
なるべく多くの時間を実験と制作にあてたい、と弟子たちたっての希望である。
リアリアリアはそういう職人系の奴らばっかりを弟子にしたから、当然のなりゆきではあった。
で、工房にリアリアリアが赴き弟子たちがそれを出迎えるという、普通の師弟関係とはちょっと逆な形ができあがったのである。
リアリアリア本人は、「まあ、長く生きていればそういうこともあるでしょう」とあまり気にしている風はない。
彼女の工房は王都のはずれにあるため普通なら馬車で二度ほど門をくぐるため、行き来の手続きやらなにやらが面倒ではあった。
そう、普通なら。
「
リアリアリアは堂々とそううそぶき、勝手にこの屋敷から空を飛んで工房に赴くのである。
王宮は現状、これを黙認していた。
警備上の手続きとしては非常にマズいのだが、リアリアリアを害するような無謀な輩はいまのところ現れていないし、彼女の機嫌を損ねたくもない、というところである。
念のためにつけ加えておくと、王都での飛行魔法の使用は普段、禁止されている。
あたりまえだ。
しかも魔法的な警備システムによって、王都上空での飛行魔法の行使は瞬時に感知されるはずである。
なぜかリアリアリアのそれは引っかからないらしいが、この原因はいまのところ不明、どうも彼女だけが知る古代の魔法が関係しているとか。
先日の
なお感知した数秒後に大闘技場の上空に出現してしまったから、迎撃できなかったとのこと。
さては王都の既存の迎撃システム、魔族相手には毛ほどの役にも立たないな?
そんなことを話しながら、師匠とふたりで木刀を持って屋敷の中庭に赴き、軽く剣を合わせる。
師匠は身体を動かせてご満悦であった。
とはいえ、おれの剣の上達具合はさほどでもない。
対人剣術、それもアランの状態で、背の低い師匠を相手するとなると厳しいんだよなあ。
結局、ぼこぼこにされた。
「まー、結構いいんじゃないか。昔より身体はキレてるぞ」
「そうですかねえ。昔より師匠に当てられなくなってる気が……」
「そりゃ、あたしの腕が上がったんだよ」
むふん、と胸を張る師匠。
かわいい生き物だなあ。
「師匠、まだ伸びしろあったんですか」
「めちゃくちゃ失礼な弟子だな、おまえ! そりゃあるよ! アリスちゃんの剣をみて、あたしなりにいろいろやってみたんだからな!」
あー、なるほど。
いまのおれをみてたんじゃなくて、アリスをみてたのか。
そりゃ、魔力のブーストがないおれじゃ敵わないはずである。
元の魔力は師匠の方が倍以上だからなあ。
はたして師匠は、にやりとしてみせる。
「そういうわけで、いくつか型を考えてきたぜ。アリスの状態で使える、でかい魔族に対抗するための剣だ」
「ひょっとして、わざわざおれのために?」
「ばーか、おまえのため以外に、なにがあるってんだよ!」
うわあ。
そりゃ、嬉しい。
「いいんですか」
「いいもなにも、おまえはあたしの一番弟子だろう」
「二番以降、真面目な弟子いませんでしたもんね」
「うるせえ」
ま、ともあれ。
そういうことなら幸いだ。
アリスはもっと強くなれる、ということなのだから。
「いまからお願いしてもいいですか」
「おう!」
おれと師匠は、日が暮れるまでずっと、剣を打ち合わせた。
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