第26話
いさましいちびのエリカ。
すなわちおれの師匠が、トリアの道場を畳み、王都にやってきた。
特殊遊撃隊候補生の教官、という立場で王家から招聘されたのである。
娘と夫はトリアに置いてきての、単身赴任であった。
あの町にはせっかく彼女の夫が開いたお店があるわけで、いかに王家から招かれたとはいえ、生活基盤を手放すわけにはいかないだろうしなあ。
強制的に休暇をとらされて暇を持て余していたおれとシェリーは、さっそく師匠の歓迎会を開いた。
師匠も、まずは顔見知りだけの方がいいだろう。
そういうわけで、おれ、シェリー、師匠の三人で、そこそこ高級な料理店の個室をとる。
貴族も予約するようなところだが、服装のコードも行儀作法もいらない、気安く使えるお店である。
お値段は、正直いってかなりお高い。
でも、しっかり盗聴対策の魔法が使われているお店じゃないと、安心して特殊遊撃隊の話なんてできないからなあ。
先日の大闘技場への襲撃で、人に変身した魔族が何体も王都に入り込んでいることは確定してしまった。
かなりの数を始末したものの、あれですべてとは限らない。
おれが諜報組織の長なら、ひとつの作戦に全員を投入するなんてこと、絶対にしない。
下手したら、あの襲撃に加わった魔族のスパイは、この王都に潜伏する魔族の一割以下という可能性も……いや、王都に魔族が百体以上も潜んでいるなんて考えたくないし、ヴェルン王国たった一国にそれだけの量のスパイを投入しているとはちょっと思えないけども。
捕虜をとれればよかったのだが、人に変身していた魔族は、その全員が激しく抵抗し、殺すしかなかったとのことであった。
魔族と近衛騎士団の戦力差を鑑みれば、仕方のないところである。
脳筋のアリスがいても捕虜にできたとは限らないけどね!
なんせ、アリスが使える魔法は相手を殺すためのものだけだ。
あー、でもムルフィなら禁術で捕虜をとれたかもなあ。
今後の彼女の活躍に期待である。
と、そんなことを考えながら、店員に案内されて、料理店の二階の個室の扉を開けてみれば。
八人用の少し広い個室では、先客がふたり、テーブルの向こう側に座っていた。
金髪碧眼の青年と、その妹と思われる少女。
どちらも整った容姿と地味ながら質のいい生地の服をまとい、自然にそれを着こなしている。
洗練された所作で、ふたりが立ち上がる。
青年の方が、にこりとして手を差し出した。
「やあ、遅かったね」
いや、予約の時間通りですが?
「お待ちしておりましたわーっ」
いや、おまえら呼んでないからね?
ディアスアレス王子とマエリエル王女であった。
っていうか王族がなんでこんな場末(貴族にとっては)の料理店に来るのさ!
「きみの師に、いちど会ってみたかったのさ」
「わたくしもお会いしてみたかったのですわーっ」
師匠は、気安く手を振る明らかに貴族っぽいふたりを前に、目を白黒させている。
あ、怯えた子犬のように、おれの後ろに隠れた。
はっはっは、人見知りな師匠だなあ。
でも気持ちはわかるよ。
「な、なあ、アラン。この方々って、お貴族様か?」
「ええ、まあ。とりあえず入りましょう」
慌てている師匠の背を押してシェリーと共に入室し、扉を閉じる。
シェリーが魔法で、軽く周囲の状態をたしかめた。
「うん、大丈夫。外に声、漏れないよ。……です」
「はっはっは、シェリー、わたしたちに対して無理にかしこまる必要はないよ。今日は非公式だし、そもそもきみはアリア婆様のお弟子さんだ、わたしたちにとって、兄弟姉妹と同じさ」
「に、兄さん!?」
「公式な場で挨拶はしていたけど、非公式な場でこの方々と会うの、シェリーは初めてだったな。こういってくれているし、適当でいいと思うぞ。あとで打ち首とかはないから」
縮こまってしまったシェリーと師匠を、テーブルを囲む椅子に座らせる。
テーブルの真ん中が開いて、食前酒がせり上がってきた。
この部屋には店員も入ってこない。
料理のやりとりは、すべてこうしてエレベーターで行われる。
これが、いまの王都における貴族社会の流行であった。
ちなみにエレベーターは魔法で動いていたりする。
店員に用があるときは壁にある金属の札に触って、魔法通信を行使すればいい。
魔力が低すぎてその手の魔法を使えないような人は、ほとんどこの部屋を利用しないから問題ない、という話である。
おれは不器用すぎて、使えないんだが。
ちなみに師匠は、こういった基礎魔法ならそこそこ使えたりする。
「アラン、きみから彼女に、わたしたちを紹介してもらえるかい?」
白い歯をきらりと光らせて、ディアスアレス王子がいう。
おれはため息をついて、かちこちになっている師匠をみた。
「そもそも師匠、これから指導する候補生も貴族の師弟ですよ?」
「それとこれとは話が違うだろう。この方々、明らかに高位のお貴族様じゃん」
「まあ、そうですね。こちら、ディアスアレス王子とマエリエル王女、師匠を招聘した張本人です」
あ、師匠、白目を剥いて気絶しちゃった。
※※※
師匠を椅子に座らせてしばらく王子たちと談笑していると、師匠がはっと目を醒ます。
自分がテーブルを囲む椅子のひとつに腰かけていることに気づき、周囲をきょろきょろした。
おれとシェリーが左右に座っていることに安堵した様子で、テーブル上の果実水を掴むと一気に飲み干す。
師匠は、ふう、とおおきく息を吐いた。
それからもういちど、対面に座る王子と王女をみる。
王子が、また白い歯をきらんっ、とさせた。
あんたそれ気に入ってるのかよ。
「な、なあ、アラン。あたしの耳がおかしいのか? おまえの口から王子とか王女とか聞こえた気がしたんだが……」
「はい、こちら、ディアスアレス王子とマエリエル王女です」
「そっかぁ、空耳じゃなかったか……」
師匠は白目を剥いて、しばし天井をみつめる。
そのあと、ぷるぷる首を振って、もう一回、果実水に口をつけた。
一気に杯を煽る。
少し顔が赤い。
「ふう、落ち着いたぜ。このジュース、マジでうめーな」
「かわいらしい方だね。お酒が駄目と聞いたから、南の島からとり寄せたオレンジを用意させたんだ」
「ひゃ、ひゃいっ、こ、こここここっ」
「師匠、鶏じゃないんですから」
「こっ、光栄です、王子! あとアラン、てめぇはあとで絞める」
緊張をほぐしてあげただけなのに。
「いずれにしろ、あなたにはわたしたちの存在に馴れて貰わないといけないね」
王子は、ぱちりとウインクしてみせる。
うちの師匠、人妻だからね、わかってるよね?
「アランのお師匠様には、わたくしにじかに定期的な報告をしていただく予定ですわ。先日、現場のことに目が届かないという失態をいたしたばかりですの。なんども同じ失敗をいたすわけには参りません」
ちらり、とこちらをみるマエリエル王女。
ご自身も忙しいだろうにわざわざ足を運んだのは、それをいうためか。
やっぱり優秀なんだよな、このひとたち。
頻繁に悪ノリするだけで。
でも師匠ったら、口をぱくぱくさせてうなずくマシーンになってしまっている。
これまで師匠が武術を教えていたのって、おれ以外はせいぜい騎士の娘さんとかだから、無理もないけど。
「おい、アラン……。あたしこんなの、困るよう」
「そんな情けない声、出さないでくださいよ」
「だってさぁ」
しまいには、涙目になっておれにすがりつく始末である。
まるで、みんなよってたかってちいさな子をいじめているみたいじゃないか。
王子と王女は、はっはっは、ほっほっほ、と笑っているだけだしさあ。
うちの妹は、知らぬ存ぜぬで勝手に果実ジュースを頼んで飲んでるし。
「マエリエル王女のおっしゃる通り、こればかりは仕方がないんですよ。密な情報共有と同時に、機密扱いの話になってきちゃいますから。師匠が教える相手は、王家直属の部隊ですからね」
「やっぱり断って、このまま帰っちゃ駄目か?」
「師匠、もういろいろ秘密を知っちゃってますからね。アリスのこととか」
「あんなの、みるやつがみればわかるだろ」
「おれの型がわかるの、師匠だけですって」
そもそも無名の流派だからな。
ちゃんとそれを修めているのが師匠とおれだけだし。
「しかも先日、アリスちゃんが大闘技場の観衆の前で堂々と公言しちゃいましたわ。『アリスの師匠はアリスと同じくらいの背丈』と」
マエリエル王女がトドメを刺す。
あーそういえばいった、いった。
「条件に合致する武芸の達人、王国中を探しても該当するのはエリカ導師だけですわー」
「なんでそんなこといった! アラン、おまえっ」
「いやなんかあそこはノリで……ぐええっ」
師匠に首を絞められた。
タップ、タップ。
「結果的に、逃げ道を完全に塞ぐことになったね。いいことだ」
ディアスアレス王子が追い打ちをかける。
師匠が、どよんと肩を落とす。
「信じていた弟子に裏切られるなんて……」
「どうせ逃げ道なんて、最初からなかったんですよ。諦めましょう。世の中、諦めが肝心です」
「ノリノリで女の子になって媚び売るやつはいうことが違うよなあ!」
ノリノリジャナイヨ?
こら、そこの王子と王女、けらけら笑ってるんじゃない。
「大切なのは、能力のある者が能力にふさわしい場所に立っていることだ」
ディアスアレス王子がいう。
「わたしとマエリエルは、エリカ導師、あなたが今回の任務にふさわしいと思った。失礼ながら経歴は調べさせてもらったし、評判も集めた。そのうえで、あなたならいける、と判断したのだ。もし失敗しても、あなたにはなんの責任もない。責任をとるのは、わたしたちの仕事だよ。だから存分に、好き勝手に振る舞って欲しい。必要なものはすべて用意させる。教官として、あなたがやるべきだと思ったことは、なにをしてもいい。結果的に候補生たちが死んだとしても、それは仕方のないことだ。皆、それくらいは覚悟している」
王子の声には力がこもっていた。
師匠も、黙って王子の話を聞いている。
うん、この王子、生まれつきなのか訓練の結果なのか、ほんと口が上手いうえに説得力のある演説するんだ。
それでなんど、丸め込まれたことか。
今回の場合、丸め込まれる相手はおれじゃないのでいいんだけど。
「わ、わかりました。あたしなんかでよければ……」
あ、師匠、丸め込まれたね。
うん、王子が出てきた段階でこうなるとはわかってたよ。
もともと師匠、教官をすることに関してはやる気まんまんだったしね。
武芸を多くの者に伝える、というのが師匠の望みだったわけだし。
「さて、それじゃわたしたちはこれで失礼させてもらうよ」
「お会計はこちらでもっておきますわー。ゆっくりしていってくださいな」
王子と王女が退室する。
やれやれ、とおれはため息をついた。
「なあ、アラン」
「なんです、師匠」
「この国の王族って、もしかしてヤバいやつらなのか?」
ヤバいやつらだよ。
たぶん師匠が思う以上にいろいろとヤバいよ。
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