第19話


 爆風で吹き飛ばされた人々が道に倒れている。

 若い男女もいれば、老人もいた。


 顔から血を流すもの、痛みに悲鳴をあげているもの、折れた腕を抱えて泣き叫んでいる者もいる。

 先ほどまでは平和そのものだった街路は、いまや阿鼻叫喚の地獄絵図であった。


「シェリー」

「うん、師匠には報告した」


 さっそく、遠話の魔法マインドボンドでリアリアリアに状況を伝えたようだ。


 あらかじめ互いにリンクした札を持っていなければ使えないとはいえ、大陸の端と端でも通信できるという、王国放送ヴィジョンシステムの応用で開発された魔法である。


 リアリアリアは、遠話の魔法マインドボンドで王族を呼び出すこともできる。

 すぐに近衛騎士団が駆けつけるだろう。


 負傷した人々のことは大丈夫だ。

 おれたちがやるべきは、この爆発の原因を探り、これ以上の被害を及ぼさないようにすることだろう。


 と、シェリーがおれの服の裾を引く。

 心配そうにおれをみあげていた。


「兄さんは休養中なんだよ」


 おれは彼女の兄だ。

 なにをいいたいのかくらい、とうに理解している。


 ここで騒ぎの中心に飛び込んで万一のことがあれば、と心配してくれているのだ。

 おれだって別に自分から命を捨てにいくつもりはさらさらないのだが……。


「なにが起こっているのか、知らない方が怖い」


 おれは、きっぱりとそういった。


「ついてきてくれるか、シェリー」

「う、うん!」


 我が妹は、なぜか、とても嬉しそうにうなずく。

 おれが愛しの妹を放っておくと思ったのだろうか?


 実際のところ、ちょっとどんくさいところのある彼女を危険な場所に連れていきたくはない。

 アリスとして戦っているとき、いつも隠れて貰っているくらいには、過保護な自覚がある。


 だからといって、おれひとりでできることなんて、たかが知れているのだ。


 爆発が起きたのは、建物を隔てたひとつ隣の通りのようだった。

 曲がり角から顔を覗かせれば、土煙に包まれて向こう側がなにもみえない。


 シェリーが小杖ワンドを振って、魔法で風を起こす。

 煙が吹き飛ばされて、道の先がクリアになった。


 おれはシェリーの腕を引いて駆け出す。


「あっ」


 と声をあげて、シェリーが転びかけた。

 おれは慌てて彼女を抱きとめる。


「ご、ごめん、兄さん」

「仕方がない」

「わっ」


 おれはシェリーをお姫様抱っこして、ふたたび駆けだした。


「ちょ、ちょっと兄さんっ、むぐっ」

「黙ってろ、舌を噛むぞ」


        ※※※


 奥の路地から剣戟の音が聞こえてくる。

 誰かが戦っているのか?


 でも剣と剣がぶつかりあっているなら、相手が魔物の線は薄いか。

 いきなり派手な爆発があったから、先日のように地中から魔物が現れたのかと思ったのだが……。


 いや、あれへの対策として王都のまわりの地中に結界盤を埋めた、みたいな話をリアリアリアから聞いた気がするな。

 ひとまず、地下から王都に接近することはできないだろう、と。


 地上や空中からの侵入なら、しっかり警備していれば感知できる。

 少なくとも奇襲を受けることはない、はずだ。


 地中に結界盤を埋める作業には王都の有力な魔術師が軒並み動員されて、めちゃくちゃデスマーチだったとかで……。


 貴族たちも王族も、王国放送ヴィジョンシステムであの惨劇をみせられている。

 そりゃ、王都で同じことが起きないよう、必死にもなるか。


 逆にいえば、魔王軍はそんな一回限りの手札を切ってでも、あの地に眠っていた聖遺物を奪取したかったということだ。

 おれがたまたま里帰りしていなければ、彼らのたくらみは成功していただろうか。


 リアリアリアがあの町の屋敷に警報を用意していたというし、襲撃にすぐ気づいて、おれとシェリーを派遣しただろう。

 全力で夜空を飛んで、間に合うか間に合わないか、ギリギリだろうな。


 しかしその場合、マリシャス・ペインを倒すことはできても、町を破壊するほかの魔族や魔物たちは放置せざるを得なかっただろう。

 おれの知り合いは、きっともっとたくさん亡くなったに違いない。


 下手をしたら、母さんも。


 今回、こうして危険に飛び込んだ理由もそんなところだ。

 見知らぬ誰かを、そしてもちろん見知った誰かを、守れるなら守りたいと思うのである。


 そして、騒ぎの中心に辿り着いたおれたち兄妹がみたものは……。


 数人の男たちが倒れ伏していた。

 そのうえでなお、十人以上の男たちが剣を抜いて、互いに斬り合う光景だった。


「こんちくしょう、怪物!」

「死ね、死ね、死んでしまえ!」

「痛ぇっ、くそっ、抵抗するな!」

「うわあっ、化け物、化け物、化け物ぉっ」


 皆、決死の形相であった。

 互いに容赦なく剣を振るうから、深手を負っている者もいる。


 攻撃魔法を放つ者もいた。

 さっきの爆発は、こいつらの誰かがやったのか……?


 全員が互いを化け物、怪物などと呼び合っているが、皆、いっけん普通の人類にしかみえない。

 そんな彼らが、赤い血を流して斬り合っている。


 凄惨な光景だが、あまりにも違和感がおおきい。


「いったいなにが起きているんだ」


 おれは思わず、そう呟く。

 周囲を見渡す。


 男たちから少し離れて、奇妙にたたずむふたつの人影に気づいた。


 貧民区の住人だろうか、ぼろぼろの服を着た、ふたりの少女だった。

 ひとりはシェリーと同じくらいの背丈の子で、もうひとりはそれより少し大人びている。


 つまり十五歳くらいの少女と、それより二、三歳くらい上の女性。

 どちらも髪の色は黒で、茶色い瞳。


 姉妹だろうか、顔立ちも似ている。


 ふたりとも、黙って男たちが斬り合う光景を眺めていた。

 まるで、自分たちにはいっさい危害が及ばないと知っているかのように。


 そのふたりが、こちらに気づく。


「新手ね、ムリム。こいつらもわたしたちのことを攫う気に違いないわ!」


 姉とおぼしき方が、こちらを睨んでそういった。


「ん、わかった、ディラ姉」


 妹とおぼしき方が、すっ、とおれたちの方に右手の指を向ける。


「もう、誰もディラ姉を傷つけさせないから」

「兄さんっ、目をつぶって!」

「わかった」


 お姫様抱っこされたままのシェリーが右手に握った小杖ワンドを少女たちの方に向ける。

 おれは妹に指示に従って、ぎゅっと目をつぶる。


 理由の説明なんて必要がない。

 シェリーがこの口調でいうなら、それは正しいのだ。


「兄さん、そのままじっとしてて」


 おれは目をつぶったまま、シェリーを抱いてその場に立ち尽くす。


 数秒して、剣戟の音が止んだ。

 ばたばたと人が倒れる音がする。


「いいよ、目を開けて」

「おう」


 まぶたを持ち上げる。

 男たちが全員、地面に倒れていた。


 そしてふたりの少女は、地面から二メートルほど宙に浮いて、呆然としていた。


「な、なにこれ。あの女の子の魔法、長老並じゃない」


 姉とおぼしき方が呟く。

 妹とおぼしき方は、こくこくとうなずいていた。


「長老級の魔術師が誘拐犯にいたなんて……」

「待て待て待て、あんだけの騒ぎを起こしておいてその言い草はなんだよ!」


 思わずおれは突っ込みを入れる。


「シェリー、おまえがこいつらを片づけたんだよな」

「うん、暴れていた人たちは眠らせて、そこの子たちは結界で包んでる。もうなにもできないよ」


 忘れがちだが、シェリーは大魔術師のリアリアリアが弟子にするほどの天才魔術師である。

 姉とおぼしき方が「長老並」といっていたのは、実際にそうなのだろう。


 おれのサポートに徹していなければ、これくらいのことは苦も無くやってのけるのだ。


 兄として、鼻が高い。

 えっへん。


 ただ、ちょっとばかり運動の才がからっきしなだけで。


「そっちの子たちは……」

「彼女たちが、その人たちを操って殺し合いをさせていたの。催眠の魔法ヒュプノティズムだね。禁術だよ」

「禁術……」


 リアリアリアがおれに使った読心の魔法テレパシーのようなものだ。

 教えることすら禁じられているものらしいが……。


 こんな子たちが?

 それも、さっきおれたちに指を伸ばした……魔法を使おうとしたのは、十五歳くらいの方だ。


「どうする、兄さん」

「どう、っていわれてもな……。こういうのは街警の仕事だろう」

「禁術を使った以上、国に連れていかれたら、そのまま処分されるよ」


 処分。

 この場合、殺されるということだ。


 身元不詳な禁術の使い手なんて、危なくて管理することも難しいから当然だろう。

 この世界に、おれの前世のような人権という概念はない。


 おれはシェリーを地面に下ろして、宙に浮く少女たちに近づく。


「おまえたち、なんで、そこの奴らを禁術で操った?」

「………」

「悪いようにはしない。返事をしてくれないか」

「攫われそうになったからよ!」


 姉とおぼしき方が、険しい顔でいう。

 おれは倒れている男たちをみる。


 いずれも荒くれ者とおぼしき、粗野な印象の者たちであった。

 メインの通りからひとつはずれたこちらの通りは地面が薄汚く汚れていて、商区でもかなり貧民区に近い。


 人攫い、か。

 そういう奴らもいると、知ってはいた。


「ねえ、あなたたちは本当に、そこの一味の仲間じゃないの?」

「身なりで判断して欲しいな。おれと妹の格好は、貴族区に出入りできるくらいには綺麗だろう?」


 姉の方は、おれとシェリーをじろじろみたあと、「そう、ね。ごめんなさい、目に雲がかかっていたみたい」といった。


 目が曇っていた、という意味だろう。


 このあたりでは聞かない、変わったいいまわしだ。

 だいぶ遠くから来たのだろうか。


「さっきの爆発は?」

「そこに倒れているひとりの使った魔法が暴発したの」


 指差されたあたりに倒れる男は、おれたちが来る前にもう倒れていたうちのひとりだ。


 チンピラのくせに、魔力の量がおれの倍以上はあったに違いない。

 宝の持ち腐れとは、まさにこのことだろう。


「どこの出身だ」

「ミドーラ。魔王軍から逃げてきたわ」


 思った通り、ずっと西の小国だ。

 とうの昔に魔王軍によって滅ぼされた。


 なるほど遠方の難民、しかも禁術の使い手か。

 こりゃたしかに、最近、流民の増加による治安悪化で気が立っている街警に捕まったら、速攻で処分されそうだ。


「保護者は」

「いない」

「わかった」


 おれはシェリーの方を向く。


「連れて帰るぞ」

「うん」


 それでいいのかどうか、なんてシェリーは聞かない。

 彼女だって気づいていて、そしてだからこそ、なのだろう。


 この姉妹がさっき使っていた技術・・について、である。


 おれは姉妹に訊ねた。


「もうひとつ、教えてくれ。魔力リンクを始めてから何年だ」

「五年」


 また、姉の方が返事をする。


「ねえ、あなた。なにがいいたいの? 殺すなら、殺せばいい。でも命令したのはわたし。できれば妹は……」

「殺さない。たいしたものだ、と思っただけだ」


 よし、魔力リンクができたうえであれだけの魔法を使えるなら充分だ。

 彼女たちはきっと、戦力になる。


 特殊遊撃隊として。

 そう、アリスの後輩として。


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