第18話


 おれとシェリーは、ついこの間まで大陸西側に遠征していて、そこでの魔王軍の侵攻を観察していた。

 各国軍と魔王軍の壮絶なぶつかり合い、凄惨な虐殺と悲惨な避難民をみてきた。


 だから、というのもあるけれど。

 この大陸中央少し南側に位置するヴェルン王国の雰囲気は、全体的に極めて呑気なものだ。


 王都をみていると、つくづくそう思う。

 特に商区の民はのんびりしている。


 カフェでアリスちゃんコラボメニューに若い男女の人気が集まるくらいなのだ。


 ところで、このヴェルン王国。

 というかこの世界の文明レベルは、前世のそれと比べると、デコボコしている。


 市井の民でも、魔力がある程度ある者なら魔法を使えるからだろう。


 具体的に一例をあげれば、火薬兵器はまったく発達していないが、戦に使う魔法に関しては大規模な爆発をもたらすものまで存在する。

 内燃機関も航空機も、気球すら影も形もないが、高速飛行の魔法は存在する。


 騎士以上の魔力を持つ者たちは、小杖ワンドを魔法で剣や槍や弓に変形させ、それを用いる。

 おれの使う特別性の小杖ワンドのように、強力なものは大型の魔物の鱗すら苦も無く切り裂く。


 活版印刷に近いことが版画の魔法プリントによって可能となっている。

 そこそこ質のいい紙が出まわり、羊皮紙は辺境の一部以外では駆逐されていた。


 停滞の魔法ステイシスによって保存された食品は鮮度を保ったまま遠隔地から運ばれてくるため、王都では金さえ出せば多種多様な料理が楽しめる。

 この王都の商区においては、かまどの火や街灯、トイレにすら魔法が使われている。


 商区のメインストリートには街路樹が立ち並び、馬車が行き交う中央部とその左右の歩道が綺麗に掃除され、恋人たちが手を繋いで歩いている。

 豊かで、平和な光景だ。


 もっとも、それはあくまでおれの目の届く範囲だけの話かもしれないし、貧民区を訪れれば事情はだいぶ異なるだろう。

 西からの難民も、とりあえずこのヴェルン王国の王都を目指すというしね。


 頼る当てのない難民たちが、数千人という規模で貧民区に押しかけて、だいぶたいへんなことになっている、という話は聞いたことがある。

 そういった人々を救済する施策も、聖教寺院と共同で行われているとか。


 ただ、そのあたりはおれたちの上司であるディアスアレス王子やマエリエル王女とは別の王族の管轄なので、おれにはあまり情報が降りてこない。


 おれはなにもかもを知りたいというわけではないし、アリスがすべてを救えるわけでもない。


 おれが本当に守りたいものなんて、妹と両親、それからあとはこんど生まれてくる弟か妹か……その程度にすぎない。

 あとはまあ、友人とか師匠とか、リアリアリアとか、そういったアリスおれの手が掴める範囲くらいである。


 問題は、おれがなにもしないと、その手で掴める範囲すらも危ういということで……。

 大陸の状況、つくづくハードすぎるんだよなあ。


 五年後の原作開始時、この国はとっくに滅びていて、それどころか人類国家はもはや大陸の東端部だけで。

 そのあと、勇者の加護を得た人類が巻き返しても、最終的に大陸は沈没する。


 大陸沈没の鍵は魔王軍が握っているけど、そっちについてはいま考えても仕方がないだろう。

 ひとまずはこの国を守るため、なにができるか、それについて考える必要がある。


 一昨日の王子と王女との会話でも、他国との連携、それから王国放送ヴィジョンシステムの拡充が課題としてあがっていた。

 アリスの後輩となる特殊遊撃隊所属候補生についても、進捗は把握できた。


 でも、いまのペースじゃ、きっと足りない。

 魔王軍が本気を出してきたら、その物量に押しつぶされてしまうだろう。


 リアリアリアにはなにか考えがあるらしいが……あのひとも忙しすぎるからなあ。

 大魔術師である彼女にしかできないことが山ほどあるのだ。


 シェリーだって天才だけど、リアリアリアにいわせれば「経験が二百年ほど足りない」とのことである。

 魔法の実践と違って、研究は才能と積み重ねが両方必要だからね、仕方がないね。


 そんなわけで、おれとシェリーはカフェでアリスティーこうちゃを飲んだあと、商区をぶらぶらした。

 天気のいい、晩春の午後である。


 この王都は、人口百万人を数える大陸でも有数の大都市だ。


 おおむね四つの区画に分かれている。

 公式には南の貴族区、西の商区、東の工区、北の旧区だ。


 このうち旧区は、一般的には貧民区と呼ばれている。

 王都を囲む壁はとっくに取り崩されているから外側に拡大し放題で、旧区のある北方は、周囲の草原に粗末な家屋が次々と増える事態となっていた。


 商区がある西方もけっこう西側に拡大して、商店と家屋が増え続けることが問題になっているんだけど……まあそちらについては一定の規制があるのでなんとかなっているみたいだ。


 ちなみにおれとシェリーは貴族区のはずれ、リアリアリアの屋敷に間借りしている。

 これは公式には、シェリーがリアリアリアの住み込みの弟子であり、おれはその護衛の騎士見習いだからである。


 もちろん本来の理由は、セキュリティのためだ。

 万一にも、おれの正体がバレるのはまずいからね。


 そもそもシェリーがリアリアリアの弟子という時点で、接触して情報を抜こうとする他国のスパイがいるとのこと。

 おれに関してもそのあたりは懸念されていて、美人局に引っかからないように、とリアリアリアや王子たちから再三、注意を受けていた。


 でも、まあ。

 商区の広い通りを兄妹で並んで歩く限りは、そんなに危険もないだろう。


「ねえ、兄さん」


 カフェから出て、しばし。

 隣を歩くシェリーがおれをみあげる。


「わたしたち、恋人同士にみえるかな?」

「似合いの兄妹にはみえるんじゃないか」

「むう」


 なぜか頬を膨らませるシェリー。

 恋人ごっこがしたいお年頃なのだろう。


 でもお兄ちゃん、シェリーが本物の恋人を連れてきたらちょっと泣いちゃうな。

 おれの方が妹離れできていない気がする。


 シェリーの手を握った。

 昔、トリアで外を歩くときは、シェリーが迷子にならないようにこうして歩いたものだ。


「恋人繋ぎじゃない」

「兄妹だからなあ。そういうのは、将来の恋人との間にとっておけ」

「兄さんは、わたしに恋人ができたら嬉しいの?」

「悲しくなるけど頑張って喜ぶことにする」


 シェリーは、くすくす笑った。


「できないけどね、恋人なんて」

「人見知りするからなあ」

「そういうことじゃないもん」


 そもそも最近は、おれとふたりでずっと出張だった。

 いくら支援部隊があちこちでサポートしてくれたとはいえ、十五歳の少女にはだいぶ過酷な旅だったと思う。


「シェリーはもう貴族だからな。そのうち、お城の方から縁談も来るんじゃないか」

「もう来てる。師匠には、断っておいてっていってる」

「そ、そうなのか」


 お兄ちゃんなにも知らなかったぞ?


「兄さんにも来てるでしょ」

「けっこう、いいところからな。裏を知らなくたって、将来有望にみえるんだろうさ。妹が出世する、ってな」

「結婚……するの?」

「いつかはしなきゃいけないんだろうな」


 シェリーが手に力を込める。

 離れていかないで、といっているかのようだった。


「心配しなくても、すぐじゃない。それに、シェリーが嫌な相手ならやめる」

「う、うん」

「でもいつかは、子孫を……家を残さないとな」


 苗字もない騎士家だが、家を継ぐという概念はある。

 それに、おれは遠からず一代貴族に、そしてすぐ領地持ちの男爵以上になるだろう、とディアスアレス王子にいわれていた。


 アリスおれの実績が明らかになれば、これまでの実績から鑑みてそうせざるを得ないという。

 そりゃ、普通の騎士が何十人、何百人集まっても不可能なくらいの手柄を立てているからなあ。


 でもそういったことは、魔王軍との戦いがひと段落してからだ。

 第一、魔王軍との最前線の土地なんて貰ったところで身動きがとれなくなるだけで、なにひとつ嬉しくない。


 そもそも、五年後にこの国があるかどうかも怪しいわけで……。


「結婚しないと、子ども残せないかな」

「いやまあ、養子という手もあるっちゃあるが……」

「わたし思ったんだけどね。兄さんが女性になって子どもを産むことって、魔法でなんとかできないかな」


 真面目な顔してなにいってるんですかね、わが妹よ。


「だって、そうすれば、いつまでも兄さん、いっしょにいてくれる」

「心配しなくても、シェリーから離れたりしないよ」


 おれは笑って、不安そうなシェリーの頭を撫でた。

 愛しの妹は、んっ、と目をつぶって、少し嬉しそうに首を振る。


「むしろ、おれがシェリーに愛想つかされないか心配だな」

「それはないから」


 なぜか早口でそういわれた。


「絶対にないからね」

「お、おう」


 そりゃ、よかった。

 シェリーに見捨てられたら、おれなんてちょっと未来の知識があるだけの、魔力も少ない、どこにでもいる平凡な騎士だからな。


「兄さん、自分は平凡な騎士だと思っているかもしれないけど、たぶん平凡な騎士はグリード・クロウラーを倒せないよ」

「武器がよかった。あと師匠の手助けもあった」

「それでもだよ」


 あとはまあ、おれは魔族や魔物を倒すための訓練をしてきたからな。

 後先考えずに、損耗を無視して戦うなら、あれくらいの戦果は当然のことだ。


 この国の騎士にとっては、当然、にならなくちゃいけない。

 そうでなければ、きっと魔王軍を相手にすることなんて不可能だろう。


「兄さん、また難しいことを考えてる」

「どうすればこの国を守れるか、って考えだすと、どうしてもな」

「そういうのは師匠とか王子様が考えればいいよ」


 そうもいかないんだよなあ。

 リアリアリアとかディアスアレス王子とかマエリエル王女とは、危機感を共有できているんだけど。


 でもそれより下の人たちが、どれだけ魔王軍に危機感を持っているかといえば……。

 その脅威のほどだけは、実際にあれに相対してみないと、なかなかわからないものだろう。


 いくら王国放送ヴィジョンシステムによるアリスの生放送があったとしても、である。

 いや、なまじアリスが魔族や魔物を相手に無双しちゃってるだけに、アリスがいれば大丈夫、ってなっている可能性すらある。


 絶対的なエースが必要なのは当然だけど、現状、そのエースしかいないんだからさあ。

 今後、魔王軍がエースの情報を集めて組織的にエースを封じてくれば、どうなることやら。


「やっぱり、アリスと同等の戦力が必要なんだよな」

「それってすごく難しいことだよね?」


 昨日の特殊遊撃隊所属候補生の様子から、シェリーもそれがわかっているのだろう。


 彼らもいずれ、戦力として投入される。

 でもその扱いは、おれとシェリーの補助、ちょっとしたサポートがせいぜいとなる。


 それ以上を期待すれば、たちまち全滅するだろう。

 とうてい、アリスと同等の戦力とはなり得ない。


「やっぱり、いまからでも外の人材を求めてもらうよう、王子に頼んで……」


 おれがそう呟いたときだった。

 轟音が響き、少し遅れて爆風が近くの通りから噴き出てくる。


 おれはとっさにシェリーをかばった。

 あちこちで悲鳴があがる。


 どうやら、ひとつ隣の区画で爆発が起きたようだった。


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