第13.5話


 わたしはシェリー。

 五つ年上の兄の名はアラン。


 わたしたちは、代々、トリアで騎士をしている家系に生まれた。

 父の自慢は、わたしたちが生まれる前、近くの森で大猪を狩猟したことだ。


 わたしたちが生まれた町トリアは、王都から馬車で七日のところにある。

 森で野生動物に襲われるくらいがせいぜいの、平和な町だ。


 世間は、そして兄さんは、わたしのことを魔法の天才だという。

 でも本当の天才は兄さんだと、わたしは思う。


 兄さんは、十歳となった日から、熱心に魔法の修行を始めた。

 当時五歳のわたしは、そんな兄さんに構って欲しくて、自分も魔法を習い始めた。


 幸いにして父は騎士で、基礎的な魔法と狩りに使う魔法については熟練者だった。

 兄さんは、なぜかひたすらに肉体増強フィジカルエンチャント自己変化の魔法セルフポリモーフだけを磨いていたけれど、わたしはいろいろな魔法を幅広く使えるように勉強した。


 魔法を覚えるのは難しくない。

 いわれた通りにすればいいだけだから。


 むしろ、たったふたつの魔法の可能性を追求するように、ひたすら習熟を深めていく……探求していく兄さんの方が、よほどすごいとわたしは思う。


 どうしてそこまで、と思ったことはあったけれど、なにかにとりつかれたように、焦った様子で魔法と剣の修行に打ち込む兄さんをみていたら、余計な声はかけられなかった。

 

 だからわたしは、剣と魔法の修行をする兄さんの隣で、魔法の腕だけを磨くことにした。

 そうすれば、ずっと兄さんといっしょにいられるだろうから。


 そう、ずっと。

 ずっと、いつまでも。


 同年代の子たちと遊ぶことには興味がなかった。

 彼ら、彼女らは、わたしが誰でも別にいいみたいだったから。


 兄さんだけは、わたしのことをほかの誰でもなく、ひとりの妹、ひとりのシェリーとしてみてくれた。

 外で走りまわるより花を眺めたり本を読む方が好きなわたしを、「それもいいんじゃないか」と受け入れてくれた。


 兄さんといれば、ほかのひとにうるさいことをいわれない。

 最初は、それだけの理由で、外に出るときずっと兄さんのそばにいた。


 そのうち、兄さんのそばにいることが理由になった。


「シェリー、おれは魔族や魔物と戦う」


 兄さんが十二歳、わたしが七歳のころ。

 ある日、兄さんは唐突にそういった。


 いや、いまから考えると、ずっと前からそう決めていたのかもしれない。


 じゃないと、わざわざ肉体増強フィジカルエンチャント自己変化の魔法セルフポリモーフに絞って訓練していた意味がわからない。

 父のあとを継いで騎士になるなら自己変化の魔法セルフポリモーフはいらないし、大猪を退治するならもっと弓の腕を磨くべきだ。


 でも兄さんは剣や斧、槍といった武器ばかり学んだ。

 自己変化の魔法セルフポリモーフで背に翼を生やすことにこだわった。


 それは、兄さんがずっと以前から魔族や魔物と戦うことを想定していたからにほかならない。


 魔族や魔物、魔王、魔王軍。

 そういった存在について、幼いながら本をよく読むわたしは、それがどういうものか知っていた。


 恐ろしいものたち。

 人類の敵。


 五百年前に退治されたものたち。

 いまはもう存在しないものたち。


 魔物は人里離れた秘境のような地に棲んでいて、ときどき人の生存圏の近くまで降りてくるという噂があった。

 そういうことが描かれた物語を読んだこともあったし、そういった魔物を退治する英雄の物語は心が躍った。


 でも大人たちは、それは絵空事で、本当のことではないのだという。

 もう魔族も魔物もいないのだと語る。


 だから兄さんがわたしにだけ語った決意は、わたしがまわりにそれを話せば、きっと馬鹿にされたり諫められたりするものであっただろう。


 もちろん、そんなことはしなかったけれど。

 誰にも話さなかったけれど。


 わたしはただ、兄さんの決意を肯定した。

 当然、わたしも手伝うと告げた。


 兄さんが魔力リンクのことを思いついたのは、その少しあとのことである。


 魔力に乏しい兄さんに、わたしが魔力を送る。

 そうすれば、兄さんはもっと戦える。


 そんなアイデアだった。

 兄妹なら魔力の融通がしやすいのだと、兄さんは語った。


 つまり、わたしにしかできないことだ。

 とても嬉しかった。


 最初は全然上手くいかなかったけれど、兄さんは、「これは絶対に必要だ」と訓練を続けることを主張したから、わたしは根気よくつきあった。


 ううん、嘘。

 この訓練をしていれば、ずっと兄さんのそばにいられる。


 いつも兄さんを感じられる。

 だから、もっとこの可能性を追求したかった。


 リアリアリア師匠に出会ったのはこの頃だ。

 弟子にならないか、という誘いに対して、わたしは少し迷ったすえ、彼女の差し出した手をとることにした。


 大魔術師である師匠に教えてもらえば、上手く魔力のリンクができるようになるかもしれないから。

 もっと兄さんの役に立てるかもしれないから。


 その程度の動機だった。

 実際は、もっとすごいことになったのだけれど。


 最初の三年は、地道な下積みが続いた。


 でも、ある日。

 わたしが兄さんに師匠の研究のひとつ、螺旋詠唱スパイラルチャントについて話した、少しあとのこと。


 兄さんが師匠とふたりきりで話し合ってからしばらくして、すべてが変わった。


「これからは螺旋詠唱スパイラルチャントの研究に集中します。シェリー、あなたも手伝いなさい」


 師匠は、なぜかとてもうきうきとして部屋を出てくると、そういった。

 その後ろで、兄さんがげっそりとしていた。


 ちょっとちょっと、本当になにがあったの!?

 ねえ、兄さん!?


        ※※※


 それからはめまぐるしい日々が続いた。

 師匠は王都に居を移し、わたしと兄さんも師匠に従って親もとを離れた。


 リアリアリア師匠は国を巻き込んで螺旋詠唱スパイラルチャントの研究を発展させ、それは王国放送ヴィジョンシステムとなって結実した。


 たったの五年で、わたしたちはここまできた。


 王国放送ヴィジョンシステムで大人気の、アリスとシェル。

 そんなとびきりの、正体を隠した英雄に。


 兄さんは二十歳、わたしは十五歳になった。


 兄さんは、あの日の決意の通り、魔族や魔物と戦っていた。

 わたしはそのサポートをしていた。


 ただし兄さんは、アリスとして。

 わたしはアリスの妹のシェルとして。


 兄さんが変身したアリスはとてもかわいらしくって、みているとついよだれが垂れそうになる。

 違う、ううん、ええと、目が離せなくなる。


 数年前から侵略を開始した魔王軍は、ふたつの大国を陥落させて、わたしたちのヴェルン王国に迫りつつあった。

 みっつ目の大国も、ほどなく陥落するだろうと思われた。


 大国と大国の間にある無数の小国が、魔王軍の支隊によって、片手間のように踏みつぶされた。

 おびただしい数の難民がこの国にも押し寄せてきて、貴族や民は、ようやく事態の深刻さを認識しつつあった。


 それ以前から、アリスはたくさんの魔物を叩き潰していたのに。

 その様子を王国放送ヴィジョンシステムで放送していたのに。


 彼らはそれを、娯楽として消費するだけだった。

 ただの、遠い国の出来事、まるで物語のように思っているようだった。


 でも。

 わたしたちの故郷、トリアを魔族と魔物が奇襲したあの日から。


 すべてが、変わる。

 この国の民も、戦争が遠い地で行われている無関係の物語ではなく、いましも自分たちに迫りつつある身近な出来事なのだと、そう認識したのである。


 それをやってのけたのもまた、兄さんだった。


 町を蹂躙する、あまりにも巨大な魔物。

 それに対して無力な騎士と、僧騎士。


 魔族の幹部とおぼしき個体との交戦。

 一流の騎士でも目で追えないほどの攻防。


 王国放送ヴィジョン端末を通して、おそるべき敵が迫っていることを、人々は目の当たりにしたのである。


 吟遊詩人の弾き語りを、師匠が教えてくれた。

 こんな一節だ。


 そこに映っていたものの、九割九分までが、ただ絶望だった。

 ただひとつ、希望の光があった。

 その少女は、銀の髪と純白の翼をなびかせ、地獄のような戦場に舞い降りた。


 ――と。


 そのアリスの活躍をサポートしていたのがわたしであることを知る者は少ない。

 アリスは賞賛されても、サポーターのシェルのことを褒める者はあんまりいない。


 それで、よかった。

 わたしは、兄さんの影でいい。


 だから、兄さん。

 死なないで。


 お願い。

 どうか、目を醒まして。


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