第5話
おれとシェリーの故郷の町の名を、トリアという。
未だに両親が住んでいる町でもある。
人口は五千人程度で、小高いふたつの丘を巡るように建物が建っている。
背が高い丘の頂上には寺院があり、もうひとつの背が低い丘の上には領主の館があった。
町をぐるりと巡る壁は、かつては立派なものだったらしいが、いまは朽ちて、ろくに修理もされていない。
このあたりで最後に争いがあったのは、ずっと昔のことだ。
騎士であるおれたちの父が仕事もろくになく、その腕が錆びつくままに任せていて問題ない程度には、平和な町であった。
父の場合、近くの森で大猪を退治したのが、おれの知る限り最大の武勇伝である。
その大猪、全長五メートルくらいあって、魔物かよってくらいデカかったらしいけど。
今も領主の館には、その大猪の毛皮が飾られている。
幼いころ、領主様に「これがきみのお父さんの仕事だ」と自慢げにいわれたものである。
領主様、伯爵だけど、気さくなひとなんだよなあ。
そんな町に、おれとシェリーは帰ってきた。
おれたちが町を出たのは、三年前、おれが十七歳でシェリーが十二歳のときだ。
それから忙しくて、いちども帰省していなかった。
ふたりして飛行していけば、そう遠くもないんだけど。
単純に、目の前のタスクを片付けることに夢中だったのだ。
なにせ、
おれはそんなシェリーの脇にいつも立っていた。
シェリーが「兄さんがいてくれないと、困る」とねだったからだし、実際に小さな女の子がひとりで強面の鍛冶師や気難しい建築家と渡り合うのは難しい。
おれがいても難しいんだけど。
それでも、まあ、シェリーひとりよりはマシ、というものだった。
どうしても揉めた場合、リアリアリアが出張ってくることになるのだけれど、そうなる前になんとかするのが本来のおれたちの仕事である。
というわけで、ふたりとも、この三年間は激務に次ぐ激務だったのだ。
いざシステムが完成したら、こんどは極秘任務で西方に遠征しての、アリスとしての魔族・魔物狩りがあったし。
ここ半年くらいは、ほとんどヴェルン王国に帰還してすらいなかった。
高速飛行魔法を使っても数日かかるような遠方の地にいたのである。
大陸は広大で、瞬間移動なんて便利なものは今のところ発見されていない。
この先、魔王軍との戦線が拡大すれば、もっと忙しいことになるだろう。
だから、リアリアリアがこのタイミングで帰省を促したのは、彼女なりの精一杯の気遣いだったのだろう。
※※※
シェリーの飛行魔法で草原をかっ飛んできたおれとシェリーは、ふたつの丘を囲む壁の残骸の近くで地上に降り立つ。
時刻は午後を少しまわったころである。
季節は春。
うちの国の場合、もう少しすると蒸し暑い日々が続くようになる。
今は、まだ草原を吹く風も少し肌寒いくらいだ。
おれ自身が飛行する場合、
シェリーの飛行魔法は完璧で、かつ非常に高速だ。
前世でいえば、おれの飛行は各駅停車くらいなのに対して、シェリーの飛行魔法は新幹線くらいの違いがある。
気合いを入れて飛べば音速の近くまでいける。
もっとも、そこまでいく場合は空気抵抗がすごいことになるから魔法で障壁を張る必要もあるし、ふたり分ともなると彼女の消耗も激しい。
今回はそこまで急ぐ旅でもないため、シェリー愛用の箒型の
町の正門から、堂々と入る。
町を巡る壁はあちこち崩れているから、わざわざ門をくぐることはないんだけど、今やおれもシェリーも正式な立場というものがあるのだ。
具体的には、シェリーは王国最高顧問魔術師の弟子として、赤いローブをまとっている。
これは一代限りの男爵に相当する地位で、つまり今のわが妹は、立派なお貴族様なのだ。
もちろん、うちの父より偉い。
おれはシェリーの護衛として、一代騎士の地位を王国から受領している。
これは、永世騎士である父よりちょっと下くらいの地位だ。
ただしおれは、王室の直轄部隊である王国特殊遊撃隊の部隊長である。
任務中はうちの父を顎で使えるくらいの権力を持つ。
なおこの部隊長、というのは便宜上のもので実際には部下はひとりもいない。
アリスという架空の存在を隠すためだからね。
かなしいね。
で、正門には一応、いつも衛兵がふたり立っている。
彼らが町の出入りを監視している、という建前になっている。
実際のところ、外に遊びにいく子どもに「危険なことはするなよ」と声をかけるとか、出入りする商人に「宿はどこそこですよ」と説明するとか、その程度の役割しか果たしていないのだけれど……。
まあ、平和な町だしね。
数年以内に自分たちが魔王軍の手にかかって滅ぶなんて、想像もしていない人々だしね。
その衛兵のひとりが、おれたちの知り合いだった。
というかおれが子ども時代、よく世話になった近所の兄ちゃんだった。
そういえばこの人も騎士の息子だったなあ。
今は、親父さんの騎士位を継ぐための見習い修行中なのだろう。
この町でそういうときにできる仕事の代表が、この門を守ることなのだから。
「アラン! シェリー! 戻ったのか、三年ぶりだな!」
大声で笑いかけてくる。
シェリーが、おれの後ろにこそこそ隠れた。
あ、これ、近所の兄ちゃんのこと忘れてるな……?
小声で教えてやると、慌てた様子でぺこぺこお辞儀するシェリー。
相手は、まあいいさ、と豪快に笑ってくれる。
「シェリーは大魔術師様に弟子入りしてから、ほとんど会えなかったからな。おれを覚えてなくても仕方がないさ。それにしても、赤いローブか……。本当に偉くなったんだな」
しみじみと、そう言われた。
「あとで昔の友人を集めて、飲まないか。声をかけておくよ」
というわけで、俺は夕方、酒場に繰り出す予定となった。
もちろん、その前にまずは、実家に帰って親に挨拶しなければ。
※※※
おれたちの実家は、領主の館が建っている方の丘の中腹にある。
久しぶりに顔を合わせた母は、少し顔の皺が増えて、お腹がおおきくなっていた。
聞けば、二、三ヶ月後には弟か妹が増えるらしい。
母がおれを産んだのは十六歳で、妹が生まれてから十五年経つというのに……まあ、両親の仲がいいのはいいことだ。
「無事に生まれたら、連絡しようと思っていたんだけどね。あんたたちの邪魔にはなりたくないからさ」
そんなことをいわれてしまった。
気を遣われてしまっている。
「兄さん。わたしたち、もう少し親孝行しないとね」
シェリーの言葉にうなずく。
とは、いってもなあ。
いちばんの親孝行は、この国を魔王軍の手から守ること、だろう。
母さんのお腹のなかの子が無事に育つことができるような平和。
それが、いちばん大切なことなのだろう。
「ところで、父さんは?」
「狩人を連れて、森で狩りをね。明日には帰ってくると思うわ」
「相変わらず、騎士というより狩人のボスだなあ」
近くの森は、定期的に間引きしないと動物が巨大化する。
なんか魔力とかの関係らしいけれど、数年から数十年に一度は、巨大な動物が群れのボスになって森を支配するという。
そうなる前に駆除が必要なのだとか。
例の巨大猪も、そうして生まれた群れのボスだったのだろう。
あのときは狩人がだいぶやられた、みたいな話を老人がしていた気がする。
まあ、領主の館でみた剥製の巨大さからして、普通の矢じゃ爪楊枝が突き立った、くらいのものだろうしなあ。
そこまででかい相手となると、対するこちら側にも魔法の心得が必要となる。
うちの父も、
これは王都に行ってから知ったことだが、うちの父は騎士のなかじゃ強い方だ。
王国では
平和ボケのせい、とは一概にはいえなくて、魔法が使える騎士にはさっさと一代限りの男爵位を与えて、貴族としてしまうという方針がこの国にはあるのだった。
魔術師の需要がそれだけおおきい、ともいえる。
ここ数年は
うちの父も、望めば男爵位くらいは得られるのかもしれない。
でも父は、こうして現場で働く方が好きみたいだ。
欲がないというか、もうちょっと稼ぎがよければなあと子ども時代は思ったというか……まあ、今は俺とシェリーが実家に仕送りしているから、家計が火の車ということはないはずだけど。
「そういえば、あんたたちの仕送りで隣家を買い取って、アパートの賃貸を始めたのよ」
「母さん、それ儲かるの?」
「入居率は八割くらいよ。三階が一室開いてるから、あんたたちが使うならメイドに掃除させておくわ」
おれとシェリーは数日、滞在することになっている。
昔、おれたちが使っていた実家の部屋は、赤ちゃん部屋にリフォームしてしまったらしい。
まあ、そうだよな。
三年も帰ってなかったもんな。
ありがたくアパートの一室を使わせてもらうことにした。
それにしても、仕送りでアパートが買えてしまうとは……。
王都の高い物価に慣れてしまって、この町の物価を忘れていた。
「兄さん。わたしたち、少しは親孝行ができたかな」
「できたんじゃないか。あとは、生まれてくる赤ん坊のためにも……」
「うん。魔王軍がこの町に攻めてこないように、がんばらないとね」
そんなことを、ふたりで話した。
※※※
ところで、ひとつここまで、おれたち兄妹がひとつ、目を背けていることがある。
町のあちこちで、ポスターをみた。
旗を掲げている家もあった。
いずれも描かれているのは、アリスの似顔絵だった。
「最近、大人気なのよ、アリス様」
町の人々の噂話を聞いた。
娯楽が少ないこの町で、
で、
先日、アリスが異国で魔王軍と戦う番組を配信したときも、町中が夜通し盛り上がったという。
ちなみに時差の関係で、アリスが深夜に戦っているとき、この国はお昼だった。
町中の人が、領主の屋敷の前と寺院の前に設置された
そーかー、だいにんきかー。
ははは、アリスはにんきものだなあ。
「兄さん、現実逃避しちゃ駄目だよ。わたしは兄さんがすごいこと、ちゃんと知ってるから」
すまん、妹よ。
今だけは、現実逃避させてくれ。
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