第6話

 その日の夕方、おれはひとりで酒場に赴いた。

 いちおうシェリーに「行くか」と聞いてみたのだが、彼女は首を横に振ったのである。


「わたし、あまりこの町の人たちのこと、覚えてないし」


 シェリーは七歳のとき、リアリアリアの弟子となった。

 以後、この町のはずれにあったリアリアリアの屋敷に毎日通い、懸命に魔法を習った。

 おれと共に町を離れたのが、十二歳のときである。


 おれと違って、同世代の友人はほとんどいなかった。

 いや、もっといえば、この町で彼女に友人と呼べるような者はまったくいなかった。


 幼いころは内気な性格で、いつもおれの後ろをちょこちょこついて歩くような子であった。


 王都に移り住んでからは、そこそこ社交的になったのだが……そのあたりはリアリアリアが「魔術師が人づきあいを避けては大成できません」という信念のもと、スパルタ教育でシェリーを鍛えたからでもある。


 余談だがそのリアリアリアは各国王家とのつきあいが嫌で百年くらいこの町の屋敷に引きこもっていた。

 そんな彼女だからこそ、本当に社交の重要性を認識しているということかもしれない。


 話を戻す。

 だから、シェリーは町に帰っても、再会するような旧友はいなかった。


 正直、彼女を家に残しておれひとりが旧交を温めることにためらいはあったが……「兄さんには、兄さんのつきあいがあるんだから」と妹に背中を押されて、酒場に赴く。


 酒場いっぱいになるほど、人が詰めかけていた。


 おれと共に剣を学んだ友人、おれと共に悪戯をして大人に殴られた友人、おれと毎日挨拶を交わしていた人々、町を出る前に告白してくれた女の子。

 いろいろな人が、おれの帰省を歓迎してくれた。


 あ、ちなみに告白は断った。

 正直、目の前に迫る危機のことで頭がいっぱいだったのである。


 その子は現在、別の男を捕まえて、無事に一児の母となったとのことである。

 よかったよかった。


「ところでアラン、王都でも王国放送ヴィジョン端末ってあるんだろう?」


 なんども祝杯をあげていると、旧友のひとりにそんなことを訊ねられた。

 おれとシェリーが王国放送ヴィジョンシステムに関わっていることは極秘事項である。


 リアリアリアの名前も、今のところ表に出ていない。

 だから地元の彼らがなにも知らなくても、まったく不思議はないのだった。


「おれ、アリスちゃんの大ファンなんだよね! 王都ってアリスちゃんが住んでるんだろ? 会ったことないのか?」

「ないよ」


 おれは平静を装って返事をする。


「王都っていったって広いからな。そもそもアリスは貴族だろう?」

「そっかあ。彼女、いいよなあ。特にスカートのひらひらからみえそうでみえないパンツとかさぁ」


 聞きたくなかった。

 共に剣で競い合った友人の、おれの変装に対して萌え語りなんて。


「あとアリスちゃん、『王国のみなさーん』っていうとき、おれの方をみるんだよな。絶対、おれに気があるって」


 カメラ目線っていうんだよそれ。


「この前、町に巡礼の劇団がきたんだけどさ。演目がアリスちゃんの魔物討伐物語だったんだ。あれは本当に素晴らしかったなあ」


 くそっ、なんて時代だ。


 いや、最後のやつは王国が王国放送ヴィジョンシステムを広めるための仕込みかな?

 なんかそういう計画を聞いた気がする。


 おれの帰還を祝う会は日が落ちても盛り上がった。

 魔法で酒場の天井に明かりが灯され、酒宴が続く。


「アランは一代騎士になったそうだけど、嫁は貰わないのか」

「あー、そのうち斡旋してもらうことになっているよ」


 斡旋してくれるのは王国だ。

 ぶっちゃけ、今のおれの立場で一番怖いのはハニートラップだから、とのこと。


 リアリアリアが王国放送ヴィジョンシステムの開発に深くかかわっていることは他国も承知している。


 で、シェリーはその一番弟子だ。

 おれはそのシェリーの兄なわけで……いっけん、手頃なハニトラ対象にみえるわけだな。


 おれを篭絡させて、誰がアリスなのかとか、王国放送ヴィジョンシステムの機密部分とか、いろいろと情報を引き出そうとするに違いない、と。


 実際はおれこそがアリスなわけだけど。

 この秘密を知っているのはリアリアリアとシェリーを除けば、王家の一部だけなのだ。


 もう少しおれの地位が高ければ王女を降嫁させた、とは第一王子殿下のお言葉である。

 こわっ。


 王女とか絶対勘弁でしょ。

 どう考えても尻に敷かれる。


 まあ、そういうわけで、おれの結婚については、下手なところから受けるわけにはいかないのだ。

 加えて、魔王軍には人の姿に化けてスパイ活動に従事するやつらもいると、おれは知っている。


 たぶん王都にも、人に化けた魔族のスパイがいるに違いない。

 迂闊なことはできなかった。


「そうか。実はおまえが帰ってきたことを寺院に知らせたら、神官様が娘を、みたいな話も出てさ」

「神官様が?」


 この国では、一般に聖教と呼ばれる宗教を信仰している。

 このへんは王権神授説とかも関わってくるので、国家宗教として国と寺院が不可分であったりするのだが、それはそれとして寺院は寺院、民の救済を掲げて独自の活動をしたり独自の権力を持ったりしている。


 なにがいいたいかというと。

 この町についての説明を思い出して欲しい。


 トリア。

 そう呼ばれるこの町は、ふたつの丘を囲むようにして町並みが広がっている。


 で、高い方の丘に寺院が、低い方の丘に領主の館がある。


 おわかりいただけただろうか。

 寺院が、領主の館を見下ろすつくりになっているのだ。


 これは、そのまま町における権力構造にも関わってくる。

 結論をいえば、トリアでは領主である伯爵様より神官様の方が偉い。


 なぜそうなったのか、みたいな話はおれもよく知らないが、とにかく昔から、この町ではなにかにつけ領主様が神官様にお伺いを立てると、町に生まれた者は誰でも知っていた。


 今の神官様はもう七十歳を過ぎたハゲの老人で、人のいい、説法の上手い、それでいて世渡りは下手そうな人物であった。

 リアリアリアとの繋がりでおれもなんどか伝書鳩みたいなことをしたのだけれど、あまり権力欲がない人だな、という印象が強い。


 そんな人物が、おれに娘をやる、なんて政治的なことを?


 おれは首をかしげた。

 ちょっとよくわからない。


 彼は、おれが王国放送ヴィジョンシステムの関係者だと知っているのだろうか。

 寺院独自の諜報網に引っかかった、とかならわからない話でもないのだが、それを言い出すのがあのじいさんというのは……。


 ここに滞在している間に、一度、会って話をしてみた方がいいかもしれない。

 おれは心のメモにそう記す。


 そうこうしながらも。

 さんざんに、飲んで、食べて、騒いで。


 半分くらいがぐでんぐでんになったところで、宴はお開きとなった。

 最後にもういちど、皆で祝いの言葉を述べたあと、数人ずつ連れだって酒場を出ていく。


 魔法のランタンを持っている者、自分で魔法の灯を使える者が中心になって、酔っ払いどもを家に送り届けるのである。


 外は真っ暗で、足下もおぼつかないからね。

 おれの場合は肉体増強フィジカルエンチャントで視力を強化すればなんとでもなるけど。


 おれは最後まで残って、酒場の店主と給仕の娘に、今日、店を貸してくれたことに対して礼をいった。


 酒場の店主は豪快に笑って、「こんどはシェリーちゃんも連れてこい」という。


「おやじさん、シェリーと面識ありましたっけ?」

「そりゃ、もちろんさ」


 店主は上を向いた。

 照明の魔導具が、天井に設置されている。


 ランタンより明るい橙色の光が、四つ。

 それぞれで酒場全体をくまなく照らしていた。


 この照明の魔道具は、前世における蛍光灯のようなかたちをしていて、蓄積した魔力で動く。

 どこにでも設置できるほど安くはない代物だが……。


「リアリアリア様は、うちの常連だったからな。おれの祖父の代に、あの方にお願いして、こいつをつけてもらったらしい」

「道理で、立派なものがあると」

「シェリーちゃんは、よくこいつの点検と修理をしてくれた。これも弟子の仕事だ、ってな」


 そうだったのか。


「リアリアリア様は、その……」

「あー、忙しくなるからしばらく戻ってこれない、って聞いてるよ」


 そういえばあの人、百年くらいここに住んでたんだった。

 今もリアリアリアの屋敷は町はずれに残っている。


 屋敷を管理しているのは王家に雇われた信頼のおける人で、いつでも戻ってこられるよう維持しているとは聞いていた。

 なんなら帰省の際、屋敷を自由に使ってもいいとも。


 とはいえ、今のリアリアリアの屋敷には過日の魔導具なんてひとつも残っていない。

 防衛設備も大半は外されて、王都に持っていってしまった。


 それなら、実家の方が居心地はいい……とその提案は断ってしまったのである。

 まさか実家の部屋が赤ん坊部屋に改造されているとは夢にも思わず……。


 店主からリアリアリアへの言づてを貰ったあと、おれはひとり、夜道に出る。

 空を雲が覆っていて、星明かりすら届かぬ暗闇だった。


 小杖ワンドをとり出し、肉体増強フィジカルエンチャントで視力強化を行う。

 小杖ワンドは魔法の行使を補助する魔導具で、これはリアリアリアお手製の逸品である。


「よう」


 暗がりから、軽く声をかけてくる人物がいた。

 そちらに明かりを向ける。


 小柄な人物が、片手をあげて、小道から出てきた。


 黒髪で童顔の女だが、一般的なスカートではなく職人の男性が着るような作業衣をまとっている。

 黒曜石の瞳が、まっすぐおれを射抜く。


 いっけん、こんな夜に不用心なことだと思える。

 こんな町でだって、女性がひとりで夜、うろついたりはしないものだ。


 でも彼女のことをよく知るおれとしては、もし不埒な真似をたくらむ男が彼女に狙いをつけたら……それは、ご愁傷様だな、と思う。

 なにせ、彼女は……。


「師匠」


 おれはいった。

 そう、彼女はおれの剣の師なのである。


 腰に下げた小杖ワンドを剣に変換させれば、この町で敵う者は誰もいない。

 そんな人物であった。


「わざわざ酒場の外で待ってたんですか」

「あたしが酒嫌いなこと、知ってるだろ」


 ぶっきらぼうに、彼女はいう。

 ちなみに彼女の背丈はアリスと同じくらいであるが、今年で三十六か七くらいのはずだ。

 二児の母でもある。


「匂いも駄目なんですっけ」

「そうだよ。近寄るなよ、酒くせーぞ」


 鼻を押さえて、しっしっ、と手を振るわが師匠。

 傷つくなあ。


「ったく、酒を呑む前に弟子から挨拶に来るのがスジだろうにさ」

「ぐうの音も出ない正論ですね」


 彼女から習った剣術は、小さな者が大柄な者に対してどう戦うか、というものである。

 そう、おれが魔族や魔物と戦う際、必要になるであろうものを、彼女の剣に見出したのだ。


 いくら感謝してもし切れない。

 たしかに、町に帰ってからすぐ、おれの方から挨拶に行くべきであった。


 だが、師匠はそんなに怒ってはいないようだ。

 にやにやしながら、鼻を押さえて近づいてくる。


「がんばってるじゃねえか、アリスちゃんよぉ」


 小声で、しかしはっきりと、師匠はそういった。

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