敗北、損壊、『猫の庭』

 目が覚めた。

 もう目覚めることはないと思っていたが、生きては……いる。らしい。


「ほう」

 いつもと見え方が違うものの、宿舎の屋根に違いない。


「ほう、ほう、ほう……」

 紙を、指先でなぞる音が、……ベッド脇から聞こえる。


 唸りながら読み込む男のほか、心配するような、女性の、息遣いがひとつ。


「喉は生きているらしいな。ふふ」

 この無駄にいい声が、こんなに恨めしく聞こえることになるとは。


「是非、きみの口から、その英雄譚を聞きたい……」

「……ふざけるな」

「ふざけるな、か。半死半生のきみを治療し、今日まで半月の宿代を払った雇い主に」


「――注釈しますが、治療代などはパルマさんの依頼報酬から賄われています」

 ジュリー姉ちゃんの、冷たい声。


「パルマさんは可能な限りの報告を。ゲゴさまも、あまり刺激なさらぬよう……」

「…………」


 ほら穴に生息していたアルキケダマは、社会性のようなものを構築し、さらには打撃武器を扱う訓練がされていたように見えた。


 そもそもボクの攻撃は毛と肉のせいでろくすっぽだったのだが、それでもこの特異性がなければ無傷で敗走できただろう。


 後頭部を強打。意識を失うことはなかったが、そのまま巣穴に連れ帰られ、

「左眼球の喪失。両アキレス腱の切断。右手首挫滅粉砕……これは壊死しかけていたので、こちらで切断したよ。命に関わるからね。きみを送り出した責任として、戒めとして、私の屋敷に飾ってある」

「……あ…………?」

 思わず体を起こした。突然の運動に、全身が悲鳴をあげる。


 まだ残っている右目でゲゴを睨みつける。

 こいつ、なんて言った?

 飾る?

 ボクの、潰された……手首、を?


「おま、お前、なんて……?」

「つい、ついな。口が滑ってしまった。しかし……これでよく生きて帰ってきたな」


「パルマさんは近くで『庭』を調査していたパーティが発見し、回収しました」

「へぇ。だが悪運の説明には足らんな。殺して捨てるよう育てさせたはずだが……何があった?」


 腐りきった興味の視線がボクに投げかけられる。

 今にも掴みかかり噛みつきたい衝動に駆られているが、全身の怪我とそれを覆う包帯、半月だという昏睡で弱りきった体では、それもかなわない。


「聞かせてくれ。そうでないと私は……あぁ、気が変われば、報酬から足が出た分の治療費を請求してしまうかもしれないな」


 ■■■■■。

 背に腹は代えられない。言葉を飲み込み、深呼吸。


 ……よし。よくない。


「一匹、助けてくれたのがいたんだよ」

 右手首は、そいつが無理やり連れ出すため掴んだときに潰れたものだ。


「……パルマさんが発見されたとき、アルキケダマに覆い被さられる格好だったと報告されています。このアルキケダマはすでに死亡しており、死因は……複数の殴打痕から、撲殺だろう、とのことです」


「…………そっか……」

 あいつは、死んだのか。


 見分けがつくわけではないだろうけど、それでもこれは、きっと寂しさだろう。


「そうか。そうか、そうか……。ははっ。他にはないのかな? とても気分がいいからね、謝礼など弾んでしまうやもしれん!」

 ゲゴはそう言って、自分の懐を漁る仕草をしてみせた。


「ない。失せろ。殺すぞ。……です」

「ンン……♪ では、私はこれで。ゆめゆめ、大切な依頼内容をお忘れなきよう……」

 唇の前に指を立て、緘口のジェスチャーをして、ゲゴは部屋をあとにした。二度とくるな。


「……あの、パルマちゃん……」

「ジュリー姉さんは、さ」

「うん……」

 いつもの柔和な雰囲気に戻ったジュリー姉さんは、とても居心地が悪そうに、それでも部屋を出ようとしない。


「知ってたんでしょ、これ」

 手首から先がない右手を振ってみせる。


 目でも逸らしてくれたらかえって楽だったけど、ジュリー姉さんはボクの目を見たままだった。


「あのね、パルマちゃん……!」

「いいよ。いいよ、ジュリー姉さん。わかったから。それで、ボクはこれからどうなるの?」

「それはですね――違うの! 違う……待って……うん。それはね、パルマちゃん」


◆◆◆


 三ヶ月だった。


 なまりくさった全身が動けるようになるまで、というのもあるけれど。

 傷跡が落ち着くまで、不自由に慣れるまで、というのもあったけれど。

 

 その日が来るまで、食堂の隅で安い酒とつまみで空腹と気を紛らわせる。


 ここでこうして時間を潰すのは、誰も彼もゲゴに生殺与奪権を握られている敗者ばかりだ。ボクみたいに大怪我をしていてクエストもロクにこなせそうにないヤツ、多額の借金を背負わされたらしいヤツ、などなど。


 ボクの他にも数人……十二人ほどが、ここでその日を待っている。

 そして、今日こそその日だ。


 ダイニングで腐っている連中ひとりひとりに、北部統括地区の重役らしき礼服の男たちが声をかける。


「パルマさま」

「……あいよ」

 ずるずると足を引きずって、北部統括ギルドの正門を出て、四台ある三頭建の馬車のうち、最後尾の荷台に乗せられた。


 ボクのあとにも何人か乗ってきて、礼服の男の一人が頭数を数えたあと、御者……馬車の手綱を握る人……に合図をした。

 出発、である。


◆◆◆


 荷台は厚い幌で覆われていて、外の様子はよくわからない。


 それでもにおいとか空気とかで、北部統括地区を出たのはわかった。

 小石で車輪が跳ねるたび、押し殺していた不安が噴き出そうになる。


「やだなぁ」

 出た。


 言葉は堰のようなもので、開いてしまえばもうだめだった。涙は出てくるし鼻水は出るし、塞がったはずの断面とかがジンジンして痛くてまた涙が溢れる。最悪だ。


「お嬢ちゃん、よかったら……」

 横に座っていたお兄さんがハンカチを差し出してくれた。


「ありがとうございます……洗って返します……」

 細やかで華やかな刺繍が施された、立派なハンカチだった。涙だけ拭って……刺繍がデコボコして使いにくいなコレ……鼻をかむのはさすがのボクでも気が引けたので、シャツの裾で処理。


「いいよ、返さなくて。君はおれに返せなくなるし、おれは君から受け取れなくなる……」

「あ、そっか……」

 これからボクたちは、北部統括地区――ひいては北の大国ゲニヴ・ジースの物流を支えるキャラバンの、その生贄になるらしい。


「お兄さんはどうしてこんなことに? 見たとこめっちゃ元気そうじゃん」

「はは。お嬢さんは……すごい怪我をしたんだろうね。つらかっただろう」

「また泣くからやめてよ」


「あはは、すまない。……おれは家に借金があってね。参加と引き換えに、少し減らしてもらうことになったんだ」

「立派な鎧着てるのに? ハンカチだってこんなに。使いにくかったけど」


「それは失礼をした。君も大概失礼だな。気にいったよ」

「ごめん。つい」

「いや、いいんだ。こんなとこで会わなきゃ、いい友達になれただろうに……。

 そう、この鎧は餞(はなむけ)として父様からいただいたものなんだ。ウチが誇れた、最後の財産だったそうだ。そのハンカチは母様から。兄様からは、……あぁ、今日までたくさんの思い出をもらったよ。これからのことが、怖いけれど逃げ出さないくらいには、ね」


 キャラバンが目指すのは、東の大国のセグイ・ラムルだ。


 北部統括地区、それからゲニヴ・ジースとセグイの間には、『猫の庭』が横たわっている。


 数百年ろくすっぽ攻略されなかったこの『庭』は、木々が鬱蒼と生い茂る森の姿をしている。


「キャラバンが無事に『庭』を抜けるのに、十五人くらいだそうだ。魔物に遭遇して、生贄を差し出して、食らいつかれてる間に馬車が走り抜ける。そうだ。おれたちは北部統括地区のために死ねるんだ――」


 お兄さんは上をぼんやりと見つめて、うわ言を呟くようになってしまった。


 ……だめだ。この人は使命感に酔っちゃってる。

 ボクも最後にお酒くらい飲みたかったけれど、あまり飲み過ぎると傷が開いて酔いが醒めるからダメだ。


「……はぁ……」

 それから。


 御者が「『庭』に入る」って叫んで、しばらく馬車が走って、にゃあ、と聞きなれない音がして、にわかにざわめきたち、音のたび、一人、また一人と荷台から放り出された。


 ボクはというと、どうやっても勝手に逃げ出したり、キャラバンに反抗できそうにもないので、一番最後になった。

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