第14話 あの日
◇◇◇
あいつが初めて学校に来たのは中学二年の冬。
車椅子で押されながら廊下を渡った。
みんなの輪の中にいるあいつはとても嬉しそうな顔をしていた。でもその半面とても悔しそうな、悲しそうな顔をして笑っていた。
「なあ蓮!いつ復帰するんだよ!」
「そうや!はよ一緒にサッカーしたいわ!」
そんな事を誰かが言った。
それは挑発でも何でもない。彼らなりの励ましてきな意味を含めて言ったこと。
分かっているからあいつは笑顔を崩さなかった。
「あんたっ──────」
「いい花蓮、俺が言う」
私が言おうとした時、蓮が間挟まずに口を出した。その空気は全然深刻な事を言う雰囲気じゃなかった。それは蓮が笑顔でいるから。
「おまえ、まさか…」
勘のいい人はそれで気がついたのかもしれない。その笑顔は何かある時の顔で、一部の人しか分からない。
「まあな、俺サッカーやめたんだ。
だからすまん!もうサッカーは一緒にできねーや」
ヘラヘラとしながら、何も悟られないように蓮は言った。その深刻さはとてもこの口調からは想像もできない。それでも前の蓮を知っている人からすると、それは口調などでは誤魔化しきれない。
一瞬にしてその場の空気は重くなった。
『サッカーやりたい』と言った二人は気まずそうに目を伏せている。
蓮はその二人に「別にやめるだけだぜ?辛気臭せーぞおまえら!!」と笑いながら背中を叩いていた。
そんな笑顔は一度も見たことがなかった。
授業が終わって家に帰る。
今日はおばさん達が迎えに来れないから私が押して帰えることになった。
「だから別にいいって言ってんだろー」
さっきからずっとこれだ。
教室や廊下、今は校門でずっと言っている。
「俺は一人で帰れる」と小学生のような我儘を言って聞かない。
元々誰かにめんどうを見てもらうのを嫌う蓮だが、怪我してからは一段とそれに磨きがかかった。
「仕方ないでしょ、おばさんに言われてんだから」
「あの野郎、余計な事を……」
悪態をぼそっと呟く、がそれを言うと黙って花蓮に押されていった。
通る人は好奇の目で二人を見る。
それが悪意のない興味であったとしてもいい気はしない。蓮がどう思っているかは知らないが花蓮はそう思っている。
「この道通るの久しぶりでしょ」
「ああ、久しぶりだわ。まさかあそこに家が建つとはな」
新築の家の場所を指さした。
元々空き地だったその場所はサッカー少年にはもってこいの壁あて場だった。昔は花蓮もここでボールを当てていた。
「ちょっと前まではまだ空き地だったんよ。
んでもいきなり工事の車が来てさ─────」
そんななんの変哲もない話をして帰り道を歩いていった。怪我をする前、こんな話してたっけと思う程に私たちは喋りながら家の前までいった。
「それじゃ私はここで」
蓮を家の前まで押していきドアを開けて玄関に入れた。
「……おー、さんきゅーな」
昔とは少し違うようにも感じたが、花蓮は玄関を出て隣の家へ向かう。
『ガチャ』
後ろからドアの開く音がして反射的に後ろを振り返る。
そこに居たのは立って出てきた蓮がそこにいた。
出てきた蓮は妙に真剣な表情で花蓮を見つめた。
「…なによ」
「花蓮、明日からは俺に気使わなくていいぞ」
「…は?」
唐突のその言葉に拍子抜けた声が蓮に届いた。
花蓮に見える男の目はよく見ると光が入っていない。
それは物理的にと言うんけでは無い。何もないと心から思っているような、そんな目をしている。
「お前は無意識かもしれないけどよ、長い間一緒にいんだ、そのくらい分かる」
「……そんなん違う」
「まあ、だからこれからは俺に気を使うな。なんか虚しくなっちまうだろ?」
悲しく微笑んで蓮は言った。
あの時の蓮とは違う、久しぶりに会う人なら誰か最初は分からない程に衰退していた。
「それじゃあな」
二人を家に返すように少し強めの風がふいた。
奈々姉でも見たことのないであろう顔。
見たくもないそんな顔が目に焼きついた。
外が夜に包まれて太陽が見えなくなった頃、窓の外で身長の小さい人がサッカーボールを持って家を横切った。
花蓮はその光景に目を奪われてじっと見つめた。
なぜ目を奪われたか、そんなものはすぐにわかった。
昔の蓮に似ていたから。昔はこうやって誰もいなくなった時にサッカーの練習をしに行っていた。
奈々姉と蓮が事故にあってからそれを見ることは無くなった。それが今、目の前で起こっている。
花蓮は階段を誰にも気づかれないように静かに下りて外に出た。
小走りであの少年が行きそうな場所に向かった。
あの子に何故か蓮を重ねていた。だから行き着く場所はひとつ、あいつがよく練習をしていた河川敷のグラウンド。
いくら走ってもさっきの子は見えない。
もうすぐ河川敷に着くにも関わらず一度も人にすれ違わない。
「やっぱりここには来ないか……」
もうボロボロになったそのグラウンドは蓮だけが使っていた。それももう二年前、今はもっとボロボロになっている。
多分会わないだろうな、と思いながらも歩いてグラウンドに向かう。風が少し強くなり、階段を下ろうとした。
「…まさか」
階段の端っこに乗り捨てられた車椅子がある。こんなところに車椅子を乗り捨てるやつが他に誰がいる。
あいつしかいない。そう思って花蓮は急いで階段を下っていった。
暗いグラウンドに浮かぶのは一人の影と見にくいボール。
その人はふるふるとした足取りでボールから離れる。助走をつけてボールにゆっくりと向かう。
全くと言っていい程様にならないフォームが目に映る。
『ポン』
音と言っていいのか分からない、その人の足がボールに当たった時に鳴ったそれは空気を絶望に変えた。
ボールは少ししか動いていない。
蹴った本人は地面に突っ伏して膝をついる。
もうあの頃のあいつはどこにもいない。
花蓮は駆け寄った。
無意識下にその場に駆け寄った。
多分、さっき蓮の言っていた通りだと思う。
少しだけ、期待していた。
復帰するんじゃないかって、期待していた。
蓮ならできるとそう思っていた。
「……花、蓮?」
その場にしゃがみこんで蓮を見る。
「…こんなところで何してんだよ」
少し怒気の含まれた声が夜に響く。
「蓮…ならまだ出来るよ。だって今だって…!今だって微かだけどボールを蹴れたでしょ!」
これは気を使ってると言うんだろうか。
多分、言うのかもしれない。
こんな励ましみたいな言葉、一番嫌いな事くらいわかってるのに。それでも言わずにはいられなかった…。
「分かるか…俺は事故に会ってからもう二年ちょい経ってんだよ。普通ならもう車椅子で移動なんてことはねーし、もう少し足が動く。なのに…なのに、なんだよこのざま!!」
地面に叫ぶように蓮は吐いていく。
「もうリハビリして何年経つんだよ…!
聞いたんだよ、先生に。あとどんくらいでサッカー出来ますかって」
『もう元の生活には戻れない。
君がやってきたサッカーも出来ないだろう』
「奈々も失ってサッカーを出来なくて………………。
俺は一体………………なんのために、生きてんだよ」
聞いたこともない声で弱音を吐いた。
病院にいる時もこんな事は言わなかった。
奈々姉に助けてもらったくせに…!!なんてそんな事は言えなかった。
言えるはずもなかった。こんな蓮にそんな言葉をかけれなかった。
『元の生活には戻れない』
いいや
『元の蓮には戻れない』
地に膝をつく彼は昔の少年のようにはもうなれないのだと改めて自覚してしまった。
この絶望した顔は見たことがあった。
はっきりとしたものではないけれど似ている顔を見たことがあった。
あの病室で似たような表情を私は見た。
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