第7話 それは突然

何度も通った道を歩いた。

引っ張っられていたはずの手はいつの間にか解けていて、何となく行き先が分かり始めた。


「…やっぱりここか」


「好きでしょ?ここ」


何故か誇らしげに言う奈々が連れてきた場所は蓮の練習場所。

何度か奈々も来たことがある。


河川敷の広い芝で造られたサッカーグラウンドは、いつ誰が整備しているのかと分からない少し伸びた雑草がちらほら生えている。


チームの練習場所ではなく、蓮がよく一人で使っている場所。元々使っていたチームがいつの間にかいなくなり、使う人が消えたのだ。


大人用のゴールが二つ揃っている。

片方はネットに穴が空いていたり、バーやポストがび付いて染色が剥がれていて、ほぼ使えない状態のもの。


もう片方はバーやポストのボロさは一緒だが、ネットにはまだ小さな穴が一つ空いているだけ。

連はよくこっちの方を使っている。


「早くいこ!」


「…って、おい!」


手を引っ張って細かく長い階段を降りていく。


後ろからは奈々の顔が見えない。

しかし蓮にはとても笑顔の奈々が頭の中をいっぱいにした。手を握られるといつもそうだった。


階段を降りきると奈々は手を離し、ゴールに何球も入っているボールを一つ取って蓮の方に蹴った。


ほぼ未経験と言ってもいい奈々のボールは届く前に芝に落下し、バウンドのリズムを早くして時間をかけて蓮に到達した。


「へいぱーす!」


片手を空高く上げて奈々がボールを呼んだ。

足を軽く当て、バックスピンのかかったボールがもう一度奈々のもとに帰って行った。


少し高く上がったそのボールを見て


「ないすぼーる!」といっちょ前に言った奈々は見事トラップをミスり、あらぬ方向にボールが飛んでいった。


そんな似たようなやり取りが何度か続いた。


全然上手くないのに、楽しそうだった。

全然蹴れてないのに俺より楽しそうだった。

全然サッカーやった事ないのに、その時は俺よりサッカーをやっていた気がした。


ずっとニコニコしていて、ずっと笑っていて。

遠くでも分かるその顔に思わず見とれて、一度だけ蓮はトラップをミスった。


「蓮しっかりー!」


笑いながら叫ぶ彼女に蓮は「うるせー!」と同じ様に叫び返した。




デート、と言う割にはかなりボールを蹴った二人は端っこにある木製のベンチに座った。


「蓮、最後の方ボール飛ばしすぎー」


「奈々がもっと飛ばせって言うから…」


思った以上に疲れた蓮は、少し猫背気味で苦笑しながら言った。


そんな蓮を見て隣で奈々は笑っている。


「ここで一緒に蹴ったのいつぶりだっけ?」


足裏でボールを転がしながら奈々が聞いた。


「言われれば結構久しぶりだな、一緒に蹴んの」


「だよねー。たまに来る時は花蓮が蹴ってるから」


「俺とは蹴ってないけどな」


そう蓮が冗談混じりで言うと、奈々がクスクスと笑って肩を揺らした。


…ちなみに言うと花蓮は本当に俺とは蹴らない。だから決して冗談ではない…。


「花蓮はツンデレだからね」


奈々が花蓮の事を頭に浮かべているのが目に見える。


「で、デレ…?」


花蓮デレるなんて聞いた事ないぞ…。


「そう!ツンデレなのよあの子は。ちょっと素直になれないだけ」


「本当にそうなのか…??」


訝しげに蓮は奈々を見た。

花蓮は奈々が好きだけど、そんなにデレる所は見た事ない。


「蓮はまだ見れないかもな〜」


曇り空を見上げた。


「なんでだよ」


奈々を追うように見上げた。


「花蓮は蓮がサッカーしてる時は素直になるんだよ。だから見れないの、蓮はいつでもプレイヤー側だから」


◇◇◇


『ポツ ポツポツ』と雨が音を鳴らし始めた。

二階の窓から見えるどんよりとした雲はさっき見た時よりも黒くなっている。


音はどんどん増えていき、アスファルトの色を変えていった。


窓を開けると、雨の時独特の匂いが部屋の中に入ってきた。花蓮は嫌いじゃないこの匂いを部屋に充満させるため少しの間開けっぱにした。


「奈々姉まだかなぁ…」


椅子に座って帰りを待った。

一体あんな男の何処がいいんだ。

バカで適当、その上に普段はぶっきらぼうときた。


「花蓮ちゃーん」


蓮の悪いところばっか考えていると美波がドアを開けて入ってきた。


「どーしたの」


窓の外に向いていた体を開いたドアの方に向けた。


「今日ご飯あっちで食べるってー」


『あっち』と言うのは食事処九条の事。

葉月夫婦はこのまま蓮が帰ってくるのを待って祝勝会をやる予定らしい。


「んー、すぐいくわ」


美波は「わかったー」とすぐに階段を降りていった。


窓を閉めよう外を見ると、もう水溜まりができるほど雨は強くなっていた。


「傘、持ってったのかな…」



◇◇◇


少し大きめの一つの傘に二人の子供が入っている。紺色で中からは周りが見にくそうな傘をさして歩いていた。


「…おい奈々、絶対二本のが良くないか」


「いいのいいの。これもまた思い出よ」


天気とは真逆のような笑顔で傘に入る奈々に蓮は少し感心していた。


(こいつ、人生楽しいだろうな…)と。


「にしても本当に大きいねこの傘」


奈々たちを覆っている紺色の傘を指さした。


「まあ、親父のお下がりだしな」


「やっぱりかー。どおりで大きすぎるわけかー」


なるほどーと少し大袈裟にリアクションを取る奈々が何故かツボに入り、蓮は転げそうなくらい笑った。


最初は「そんなに面白い?」と聞いていた奈々もいつの間にか笑いにつられてお腹を抱えていた。


しばらくの間、道で立ち止まり二人して大笑いをしていた。


薄暗くなった空は決して晴れることは無かった。だけど二人の心はずっと同じ晴れだった。二人が一緒にいれば曇ることはないと思うほどに、二人は楽しそうに笑っていた。


───その瞬間までは。


二人がさす傘を光が照らした。

最初は全く気にとめなかった。

しかし光はどんどんどんどん大きく変わる。

次第に二人の笑いは収まり、後ろを振り返った────


◇◇◇


店の中は主役がいない中でも大盛り上がりだった。扉の外には『貸し切り』という札が貼られている。


今日は蓮の祝勝会。

九条夫婦、葉月家、常連さんが来ている

しかし蓮と奈々ちゃんの帰りを待たずしてご飯は進んでいた。


そんな大盛り上がりの中『プルルルルル プルルルルル』

と店の電話がなった。


全員がシーンと静まり返り、蓮の母さんが取った。


「はい、食事処九条です」


『────』


「はい、蓮がいつもお世話になっております」


『────────

───────────

─────────────』


受話器を戻した。

席に座っている全員が息を飲んだ。


「今、監督さんから電話があって……蓮、グラン○スのJrユースから誘いが来てるって」


「「「…………」」」


沈黙は一瞬で、敗れられた。


『うおぉぉぉぉぉぉおおおお!!!!』


「凄すぎるぜ蓮ちゃん」

「まさか蓮坊がここまでとは」

「くぅ〜さすが我が息子!!」


全員が円陣を組む形で輪になって騒ぎ始めた。一体本人が来たらどんな反応をするのやら…。蓮の母は少し心配しながらも喜んだ。


『プルルルルル 』


店の電話は鳴っていない。

家の電話が今度は鳴り始めた。

母さんはいそいそと家に戻って行った。


『プルルルルル プルルルルル』


今度は誰も騒ぎをやめようとしなかった。

何の電話なんて誰も気にとめなかった。

Jrユースの事で頭がいっぱいになっていた。

そんな事、何でもないことなのに…。


「はい、もしもし───」





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