第56話

「ん……。んんん」


 あゆみはうめきながらゆっくりと目を開ける。起き抜けの視界はぼやけている上に辺りは真っ白く彩られている為、彼は一瞬自分がどこにいるかを把握できないでいた。が、次第に意識がはっきりするにつれて自分の顔を誰かが覗き込んでいる事に気づく。


 「ひみか?」


 そうだ。自分は能力を暴走させた彼女を連れ戻すためにヘビの腹に侵入したのだ。それから……。


 「あ、あゆみ? 気、気づいたかい?」


 彼女に近寄ろうとして吹雪に巻かれたのだった。そこから先は記憶が無い。でも、今、目の前に彼女がいる。それだけは確かな事の様だった。


 「ひ、ひみか。良かった、無事だったんだね」


 ほっとしたように言って彼はそのまま半身を起こす。


 「うん。私は大丈夫だよ。それより、あゆみは……」


 言いかけて彼女は気づいた。彼の身体のあちこちに擦り傷や切り傷が付いている。


「うん、僕も全然大丈夫だよ」


「大丈夫じゃないよ、全然大丈夫そうじゃないじゃないよ。いっぱい怪我してるじゃないか。それ、私のせいだろう?」


 一度引っ込ませた涙を再び流しながら彼女は心配そうに、そして申し訳なさそうな顔を向ける。


「そんな事はないよ。ひみかがしたくてした訳じゃないだろう?」


 そんな彼女を安心させるように彼は笑顔を向けて言った。実際、彼女の顔を見た安心感もあるのだろうか、痛みはほとんど感じない。


「そうじゃないけど、でも、やったのは私。またやってしまった。もう、二度と能力を暴走させて周りに迷惑かけるような事はしたくなかったのに。なってないね」


「違うって、そもそも、ひみかがあんな風になっちゃったのは……」


そこまで言ってあゆみの言葉は澱んでしまう。そもそもここに至った原因はメアリーが彼女の暴走を画策した為だ。そして、その方法とはあゆみに女の子をぶつけさせてひみかの嫉妬心を煽るという手段だった。結果、ひみかはまんまと能力を暴走させた訳だ。


「あゆみに対してあさかちゃんが好きだって告白して、美奈穂と真奈美もそれに続くのを見たら、急に意識が遠のいて気づいたら、あんな事になっちゃった」


悄然と答えるひみか。それに対してあゆみは、真面目な顔をして尋ねる。


「ど、どうして、それで暴走しちゃったんだと想う? それも分からない?」


 それに対して、ひみかは消え入りそうな声で答えた。


「……られたくないって想っちゃった」


「え? な、なんて?」


 その言葉の頭の部分、恐らく肝心な部分が上手く聞き取れずにあゆみは重ねて問い返す。


「あ、あゆみの事、取られたくないって想っちゃったの!」


 いつもクールであゆみに対して余裕な態度をとっていた彼女に似つかわしくないような口調で彼女は答えた。


「ほ、本当に?」


 その答えにあゆみは前のめりになる。そう、その言葉の意味。それは彼女が彼に執着心を持っているという事の現れだ。彼女にしてみればそんな言葉を表に出すことは恥ずかしいことかもしれない。でも、その真意を探らずにはいられなかったのだ。


「でも、勝手な話だよね。あゆみは魅力的だもの。あさかちゃんも言ってた。可愛くて恰好良くて、優しくて。モテるのが当たり前だよ。それでもし、あゆみに相応しい相手が見つかったら邪魔しちゃいけないって想う反面、嫌だっていう気持ちが溢れちゃったのさ」


「なんだよそれ。そもそも相応しい相手ってなにさ」


 帰ってきた答えは彼が期待したようなストレートなものではない。それでも、あゆみにとってはこの内容が聞けるだけでも嬉しかった。


「あゆみがお付き合いして幸せな気分にしてくれる女の子だよ。あゆみだってあさかちゃんみたいな子が好きだろ」


 拗ねたような顔をしてそんな事をいう彼女を彼は可愛いとすら感じて、あゆみは一瞬頬が緩みそうになる。でも、まだだ。その表情をするのはまだ相応しいシーンではない。彼は精一杯真面目な顔を浮かべ目を見据えて言う

 

「そんな事勝手に決めないで欲しいな。今、僕が傍にいて欲しいって想う女の子は一人しかいない。それを伝えるためにひみか、君をここまで迎えにきたんだよ」


 あゆみはここへ来て、かなり踏み込んだセリフをぶつける。それに対してひみかも真っ向から受け止めて答えた。


「嬉しい、そう言ってもらえてとても嬉しいよ。でもね、あゆみ。私は、私が怖い。さっきやったような暴走もそうだし、ひょっとしたら、自分の中にある雪女の血が誰かの心を自然に縛っているのかもしれないっていう恐れをずっとぬぐえない。その為に君の想いに向かい合う事もしてこなかった。自信がないんだ。やっぱり、私は君に相応しくないんじゃないだろうかって想ってしまうんだよ」


「相応しいか、相応しくないかなんて、考えてもしようがないよ。そんな事よりひみか、君の気持ちを聞きたい。僕の事が嫌い?」


「そんな筈ないじゃないか。いつでも誰よりも君の事を想っているよ」


 漸くだ、漸くここまで話ができるようになった。こんな状況にならなければ彼女の真意を探れなかったのかと想うとメアリーに感謝すると同時に自分の不甲斐なさも感じてしまうが、ここまできたら突き進むまでだ。



「僕は好きだよ。ひみか、君の事が好きだ。姉弟としてじゃなくてね。こんな場所でこんな状況で言うのはとても恰好悪い事かもしれないけど、僕こそ自信が無くなっていた。君よりも背が小さいし、皆から好かれているし、いつも助けられてばかりだし。頼りないって想われているんじゃないかって。だから、想いをぶつけてもはぐらさせれてるんじゃないかって不安だった。それこそこんな僕じゃひみかには相応しくないんじゃないかって気持ちにも押しつぶされそうだった」


 彼だって彼女の想いを疑ったことはない。それでも一歩踏み込めなかった理由は彼女が原因ではない。自分の自信がなかったからだ。そして自分が成長して自分に自信が持てたら彼女への気持ちをぶつければ彼女も受け入れてくれるに違いないと思い込んでいた。でも、


「そ、そんな……。違うよ、そんな事想う訳ないじゃないか。でも、ごめん。君にそんな想いをさせてしまっているって事に想い至らなかった。やっぱり、なっちゃいないね」


 そもそも普段クールに振舞っているが、彼女だってまだ中学を卒業間近の女の子だ。

 幼い頃に父を亡くし、親元を離れて百鬼夜荘にやってきた。引き取ってくれた金鞠多津乃も亡くなってしまった。その間に能力暴走という経験もしている。そんな彼女が自分の境遇に想い悩むのは当たり前だ。本当なら自分の事で一杯一杯なのだ。そんな中でも彼女は自分より他人に想いを寄せる事ができる人だということは彼は誰よりも分かっていた筈なのだ。


「いいんだよ、ひみかの気持ちも分かるから。でも、言葉に出さなきゃ伝わらないことはあるし、察していてもはっきり伝えて欲しい言葉もあるんだよね。だから……」


 そこまで言って一旦彼は言葉を区切ると、半身を起こしたまま彼女に手を差し伸べた。


「だから?」


 言って彼女もその手を握るとそのまま彼はグイッと手に力を込めてゆっくり引き寄せる。


「うわっ……。あ、あゆみ?」


ひみかは引き寄せられる力に任せて彼の身体に身を任せる形になった。のしかかられるような形になるがあゆみは慌てず優しく抱きとめ背中に腕を回す。


ひみかも一瞬驚いた様子を見せたが背中に彼の手の温もりを感じた途端、おずおずと彼の背中に腕を回す。


「もっと、お互いに伝え合おう。もっとお互いの気持ちをぶつけあおう。遠慮してため込んでたっていい事なんかありゃしないよ」


「うん……。うん、そうだね。そうだ、ね」


 お互いの身体が密着する。彼と彼女が何度も経験してきたお馴染みの行為。寧ろあゆみの身体も冷えている為いつもより温もりは感じにくかったかもしれない。


 でも、それはいつも以上に熱い抱擁。心と心が溶けあう様な錯覚に陥る魂と魂の触れ合いであるかの様に感じた。


 ひみかはこのまま時間が止まればいいのにとすら思う程の多幸感につつまれていた。が、


「ひみか……」


 あゆみは背中に回していた両手を彼女の両肩に置き換える。


「うん?」


 彼女は身体を重ねて密着していた部分が少しでも離れてしまったことに名残惜しそうな様子を見せた。そんな彼女に向かってあゆみが顔を寄せる。


「愛しているよ。ずっと傍にいて欲しいな」


 言って彼は彼女にキスをした。

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