百鬼夜荘 妖怪たちの住むところ

第52話

「イッくん！　目が覚めたんだね」

　あゆみが嬉しそうに声を上げた。

「はいっす。なんだか記憶が無い部分のあるんすが、身体はこの通りピンピンっす！」

　ヘビの洗脳はすっかり解けているらしく、また、身体に異常もみられないようだった。

「とりあえず、ここにいる連中はみんな無事って訳だ。心配はないよ、お行き」

　それを確認して、メアリーも安堵したらしい。あゆみに向かってひみかの元へ向かうように促した。

「うん。わかった。みんな後は頼むね、ひみかを助けに行ってくるよ」

　他の皆の送る声援を背中に受けてあゆみは氷ついた沼地へ向けて走り出す。

「さて、こちらはとりあえずここに陣取ってりゃいいっすかね……わっぷ」

　あゆみの方に目を向けながら、そう呟いたイノリだが、そこへ突然胸の辺りに軽い衝撃を感じた。彼は一瞬目をシロクロさせて「な、なんすかー」と驚きの声を上げたが、その相手はあさかだった。

「……かった」

　あさかは自分の身体を彼の胸に預けたままとても小さな声で短く呟く。対してイノリは吹雪が吹き荒れているような状態であった為、上手く聞き取ることができず、

「え……っと。な、なんすか」と問い返した。それに対して彼女は言葉を途切れながらも返事を返そうとするが、

「よ、良かった。イノリ、ぶ、無事で、ほ、本当に……ひっくっ、んっふわああああああん」

　と、結局言い終わる前に泣き出してしまう。

「あ、あさか。な、なんっすか。ひょ、ひょっとしてどこかぶつけたりしたんですか」

　突然泣き始めたあさかに驚きつつイノリも言葉を返す。

「ち、違う。そうじゃない。私の事じゃなくってあんたの事！　わ、私のせいで連れてかれちゃったんでしょ。ぶ、無事で……よ、良かったって……うっ、くっ、んんっうううううううう」

　そもそも、イノリが連れ去られた経緯には彼女自身も大いに関わっていた訳で、ヘビに拐かされ、更に洗脳までされてしまった幼馴染の身を案じなかった訳がない。申し訳なさと安堵が一気に襲ったのだろう。言いながら彼女は泣き崩れてしまう。

「あ、あさか。な、泣くのは止めるっす。べ、別にあさかのせいじゃないっすよ。悪いのはヘビの奴で……」

　そう返しながらもどうしていいか分からない様子でオロオロとするイノリ。とそこへ、

「全く、私の周りの男達は甲斐性無しばかりなんだから。そこはどっしり受け止めてあげなさいよ」

　不意に聞こえてきたいまりの声。

　いつの間にやら彼女も祠から出てきたかと想うと、あさかの背中にぴったりと身を寄せると両手を延ばしそのままイノリの腕をあさかの背中に回させる。

「へ、へ？　いまりちゃん？」

「ちょ、ちょっとっ……。姉ちゃん、な、何をするんだよ」

　慌てた様子で声を上げる二人にいまりは力強く答えた。

「こういう場面で男はこうするのが正しいのよ。恋愛百戦錬磨のお姉さまが善導してあげてるんだから有難く受け止めなさい」

　まるで、イノリといまりの姉弟にサンドイッチされるかのような不自然な態勢ながら、イノリがあさかを抱きしめるような形が出来上がった。

「そんな！　勝手な事しちゃだめだよ。あさかだって困るだろうに」

　そういいながらも、不自然な状態の為か身体を離すこともできず、腕の力加減も上手くいかないらしく、結果彼はあさかを強く抱きしめていた。

「ちょっと痛い。痛いよ」

　不自然な恰好に不自然な力が加わる事であさかは少し苦しそうに声を上げてしまう。

「ほ、ほら。姉ちゃん。やっぱり駄目だよ。あさか、今離すから……」

　イノリ自身もこの状況に軽く混乱しているようで困惑しながらあさかに言うが、

「べ、別に離さなくてもいいけど。もうちょっと優しくしてよ」

　彼としては意外な言葉が彼女から返ってきて固まってしまう。

「え？　だ、だって……」

「こんな陽気になっちゃってるし、外に出ていてイノリは寒かったでしょ。だ、だから、あ、温めてあげるっていってるの」

　いつの間にかいまりは彼らから身を離していた。でも、彼は改めて彼女を優しく抱きすくめた。冷えた外気温と比べてお互いの身体の温もりが強く感じられる。

「い、いいんすか？」

　長い付き合いの幼馴染同士。近い距離で接することは数知れずあったかもしれない。でも、この大寒波の中で抱き合う二人の現在の距離はお互いに今までと違う意味を感じさせてくれる。

「あ、あさか」

　抱きしめながらイノリはこれを告げるのが今相応しいかと想いながらも、意を決したように彼女の耳元に口を寄せる」

「な、なーに？」

　返す彼女の目に涙は残っていない。しかし、その目が潤んだままの様に見えるのは泣いていたことの名残だけではなさそうだった。

「オ、オレ……、あさかの事が……」

　イノリにとって何より大事な彼女への心情吐露を行おうとしたその時、美奈穂の声が突然辺りに響く。

「お邪魔してごめんあそばせ！　お二人共、上をごらんなさいな」

　まるで二人だけの世界にいるかの様な錯覚に陥っていた彼等の耳に飛び込んできた声に顔を上げると、大きな氷玉が飛んできている事に気づく。腕自慢のイノリでもこれに反撃することは難しそうだ。が、その真ん前に飛び上がった美奈穂が自らの手を鎌に変えて切り刻む。

　ズガシャッ！

「すっすごーい！　氷の玉が粉々になっちゃった」

「ふん。これくらいの事なんでもないですわ。まあ、これ以上は人間には身に余るでしょう。危ないですわよ。二人共祠の中に身を隠していなさいな。守ってあげてよろしくてよ」

　氷の破片が空に舞い散り、煌めく星の光を写し出した。それはこの上無く美しく、今の状況を一瞬忘れて見惚れてしまう光景だった。

　あさかはそれを目にして矯正をあげる。

　「きゃ～、す、素敵～。ね、ねえ。あの人って美奈穂さんっていうんだよね。格好いい～。私、好きになっちゃったかもしれない」

　顔を赤く染め、目をキラキラさせながらそんなことを言う彼女をイノリが窘めるように言った。

「そういう言葉を気軽に口にするもんじゃねえっすよ」

　実はあさかがあゆみとひみかの二人に同じ告白をしたということは既に彼も知らされて

いた。それが実の姉による計略だということを聞いて呆れもした。

　が、この歪んだ状況に更に他人が口を挟むとこじれてしまいかねないと想ったので黙っていたのだ。

　でも、この計略が成立させたのは姉の考えだけでは成し得ない。あさかが実行したからこそ起きた事だ。彼には彼女が自分のそうした気持ちに対して余りも軽く扱っているのではないかという不満があったのだ。すなわち、

「なんで？　別にいいじゃん」

「なんでって、誰彼構わず好きだなんて言うもんねえっすよ」

「確かにあゆみちゃんとかひみかさんにしたことは良くなかったけどさ。でも、私は二人の

ことも好きよ、そこに嘘はないもん。何が問題なの？」

「な、なにが問題って……」

　それを突き詰めると、答えは簡単だった。彼女が自分以外に好意をぶつける事が嫌だと想

っているのだ。彼はそこで自分の気持ちに気づき、その自分勝手さを認識した途端に言葉に詰まってしまう。

「……ライクだよ」

　そんな彼の気持ちを知ってか知らずか彼女は穏やかな口調で言葉を返す。

「へ？　な、なんすか」

「ライクとラブで言えばライクだよ。あゆみちゃんも、ひみかさんも、美奈穂さんもライクの好き。それでもダメなの？」

「いや、ダメじゃないっすけど」

「イノリも好きだよ」

　その言葉は余りにもあっけなく彼女の口から放たれた。

「え？　それって」

　突然の告白。イノリは聞きたい言葉が聞けたという事を認識したので一瞬嬉しい気持ちになった。が、すぐに直前の会話を思い出した。

　ライクとラブ、自分はどっちか。深く追求したいと想った所で、

「寒いっ。ねえ、一旦祠の中入ろうよ。少しはあったかいからさ」

「あ、ああ。わかったっす」

と答えた彼の表情は今の状況をどう捉えていいか分からないという微妙なものだった。