第10話

「きつねさん~。いますかぁ~、ごはんですよぉ~。みなさんお待ちですよぉ~」


 真奈美はドンドンと扉を叩きながら大声を上げたが返事はない。


「はぇー、いないんでしょうかぁー」言って扉のノブを回すとガチャっと開いた。


 中を覗くと八畳一間の壁際には天井ぎりぎりまで本棚が設えており、ビッシリと本や漫画、DVDやゲーム等が所狭しと並べられている。


 そして、この部屋の主は更にその奥にあるパソコンの前に座っていた。

 肌は透き通るほどに白く吊り上がった目と眉が特徴的だ。

 が、他は全体的に丸みを帯びた体つきをしており、スマートな狐のイメージとはかけはなれいる。チェックのシャツの下には可愛い女の子のプリントされたTシャツを着こんでいた。


 パソコンモニターには動画配信サービスのアニメが流れており、それをチラ見しながら片手にもったスマホのアプリゲームに興じている。


 そして耳にはヘッドホンをしていた。その為外の音に全く気付かなかったのだ。


 そこへ「きつねさん~、ごはんですよぉ~」


 いきなり肩を叩かれたから、


「うわっだ、誰だ!?」


 当然と言えば当然のことだが飛び上がって驚いた。


「こんにちはぁ~、隣の部屋のぉ~盛狸山ですぅ~」


「な、なんだ。たぬき娘か。驚いた~、勝手に入ってくるなよ」

  

 言いながら、彼はパソコンのモニターに目が行く。

 画面には日常系美少女アニメが流れていた。これならまだ良かった。

 18禁PCゲームなどをやっていたとしたら目も当てられない。


「ごめんなさぃ~。お声かけても返事がなかったものでぇ~」


「だからといって、人の部屋に勝手に入って言い訳ないだろ。何の用なんだ?」


「お昼ご飯の時間ですよぉ~。メッセージ入れてもぉ~返事がないっていってぇ~」


「お昼?ああ、そうか、もうそんな時間だったか」


「はいぃ~、皆さんは気にしないで先に食べちゃえばいいってぇ~いうんですけどぉ~、今日は私も手伝いましたしぃ~、きつねさんが好きなものって聞いてたんでぇ~」


「ボクが好きなもの?」


「はい~。お稲荷様ですぅ~」


「須磨子の稲荷寿司?」


 あゆみの母、須磨子の手作り稲荷寿司。


 それは守の大好物だが、久しく食べていなかった。


 その味を思い出した途端に現金なもので食欲が湧く。それに、食事時間の事ではメアリーを始めみんなに口うるさく言われている。


(みんなで意地悪してボクの好物を平らげちゃうかもしれない)


 その光景を想像するとなんだか寂しくなった。まずい、すぐに向かわねば。と気が逸ったところで、


「きつねさんはぁ~パソコンを使えるんですねぇ~。凄いです」


 ノンビリした声に思わず気が抜ける。


「いや、別に凄いって程じゃないけど。パソコン触ったことないの?」


「学校の授業でぇ~少し使いましたぁ~。でも、お家ではお父様とお兄様がぁ~使ってたんですけど、私にはまだ早いって言ってぇ~」


「そっか。じゃあ、自宅では使ってないんだな」


「はい。でもぉ~中学生の入学祝いにぃ~、買ってくれるって約束なんですぅ~。まだ、届いてないんですけどぉ~、よかったら使い方、教えてくれませんかぁ~」


「使い方ね~」


 ま、初心者に教えることなんて高がしれてる。隣の部屋だ。教えてやってもいいのだが……。


「あとぉ~スマホ?っていう電話もこっちへ来たときに始めてもたされたんです」


「へ~。これまでスマホ持ってなかったんだ」


 お金持ちのお嬢様だって聞いてた。防犯の意味でも持たせておいて不思議じゃないが、


「はい~。学校の行き帰りはぁ~、お迎えがきてましたからぁ~」


「はあ。本当にお嬢様なんだな。それがこんなボロ家に越してきて不満じゃないの?」


「確かにぃ~、お部屋は大分狭いですねぇ~。でも、自由にできてぇ~嬉しいですぅ~」


「ふ~ん。まあ、そういう窮屈さはわからないでもないけどね」


 守はこの百鬼夜荘に来る前、ある稲荷神社に仕えていた。

 その業務量は半端ないもので。今の彼とは比べものにないくらいテキパキと仕事をこなしていたらしい。。


 奉公期間が終わったのが30年くらい前だったか。働きに応じて退職金も出た。暫くのんびり隠居生活を楽しみたいと以来ここに住んであっという間の時間が経った。


「はいぃ~。きつねさんは、パソコンもスマホも同時に使えて凄いですね~。このスマホでは何してるんですかぁ?」


 画面の中では露出高めの際どい恰好をした女の子がバトルに興じている。


「ああ、これは……」言いかけた所でちょっとしたイタズラ心が芽生える。


 わざわざ昼食の時間であることを伝えてきてくれたことはわかった。しかも献立が守の好きなものだと知っているからだという。なかなか健気じゃないか。少し感謝の心ももたげてきていた。


 しかし相手は狸。狐にとってはライバルである。

 その上まだ無断で部屋へ侵入したことへの落とし前を付けてもらってない。


 よし、いっちょ新参者を可愛がってやろうじゃないの。


 そんなイタズラ心を胸に秘めながら言う、


 「どんなものか気になるんだ?じゃあ見てごらんよ」


 「はいぃ~、じゃあ、失礼してぇ~」


 真奈美がスマホを覗き込むと、そこには水着のような肌色が多い恰好をした、様々な美少女達が映し出されている。その顔がだんだん歪んでいき、変容していった。しまいにその顔は全て真奈美そっくりなものに切り替わっていく。


「は、はわわわぁ~。可愛い女の子が私の顔に変わっちゃいました~。なんだか照れちゃいますねぇ~」


 スピードは変わらないものの、その口調には驚きが混じっているのがわかる。

 顔も照れが混じり少し上気しているようだ。


 「くっくっくっくっくっくっ、驚いたか。まあ、先輩住人から珍しい術のプレゼントってことで」


 自分の期待した反応を見て守は満足して気も晴れた。


 「きつねさん素敵な術を使うんですねぇ~」


 真奈美は言いながらパチパチと拍手する、


 「そうだろう、そうだろう。これでも元は稲荷大明神の神使だからね。引退したとはいえ、神力は衰えていないさ。しかも、デジタルに対応した最新能力だ恐れ入ったろ」


 拍手とともに賛辞をうけ、彼はすっかり気を良くした。だからこそ油断してしまった。その時点で、空気が変わっているのに気づけなかったのだ。


 「はいぃ~。感動いたしましたぁ~。見せていただいてありがとうございますぅ~。では……」真奈美は飽くまで変わらない、マイペースな口ぶりを一旦区切った。


 そして、そのまま両手を握ってみせる、


 守もそれに気づき訝し気な顔を見せた。


 「私もお礼にぃ~。お返しさせて頂きますねぇ~」彼女は握ったこぶしを振り上げて腹にぶつけると「ぽんぽこぽんっ」と叫ぶ。


 途端に煙がぶわっと上がった。


 「なにを……」


 守が言い終わる前に、スマホの画面から何かが飛び出した。


 目を向けてみるとそこに、スマホアプリゲームの登場キャラ達が現れたのだ。


 (2次元キャラを3次元に呼び出した?馬鹿な!そんな事実現できる筈が……)


 呆然としながらただ見つめているしかない。すると、そのキャラ達がどんどん膨張拡大していく。


 「な、なんだこりゃ。うわっ」


 それは見る見る内に丸いドットの大軍となり押し寄せる。そして彼を取り囲んで押しつぶそうとして迫ってきた。


「ギャー。やめろ、やめてくれ!」


 たまらず悲鳴を上げうずくまり数秒。


 恐る恐る顔を上げて見回した。すると、何事もなかったかのように戻っていた。


 「ほっ。収まったか」


 胸をなでおろしながら想う、


 (しかしこのボクが簡単に嵌るなんて、信じられない)


 「な、なんだよ。今の術」


 先ほど彼女に施したあの術は今日初めて使ったものだ。

 にも関わらず、このたぬき娘はボクの術を応用して更に上行く仕掛けを返してきたことになる。


 そんな事ありえるか?腐っても元稲荷大明神の神使、序列第一だったこともあるのに。


 「きつねさん~。楽しんでいただけましたかぁ~。お父様からはまだまだ未熟ものって言われてるんでぇ~。恥ずかしいんですけどぉ~」


 あ、あれでまだ完成されてないというのか。本当ならとんでもない妖力だぞ。慄然としながらもどうにか虚勢をはって答える。


 「ふ、ふん。げ、幻術か、中々よくできてたじゃないか。認めてやるよ」


 「幻術~?幻術とはちょっと違うんですよねぇ~」


 「げ、幻術じゃない?そんな馬鹿な。じゃあ、あれはなんだったってんだ」


 虚勢をはるのも忘れて半ば取り乱しながらふと彼はこの騒動の元となったスマホ画面に目をやる。すると、そこには何もなかった。


「あ、あああああああああ、な、えっはあ?」


 画面そのものが空洞のように消えてしまっている。


(ど、どういうことだ?げ、幻術じゃない?スマホに表示された中身をそのまま実体化させた?)


 彼は余りのことに最大限の混乱を表に出した挙句、最後には思考することも忘れフリーズしてしまう。


 そこへ真奈美が声をかける、


 「きつねさん~。ご飯食べに行かないんですか~?」


 「…………。行くよ」


 なんとか我に返り残る気力を振り絞って彼は答える。


 「じゃあ、一緒にいきましょうぅ~」


 「そ、その前に。お願い」


 「なんでしょうかぁ~?」


 「スマホ、元に戻してくんない?」


 ここで第一回百鬼夜荘。狐と狸の化け合戦における勝者は完全に確定したといえよう。


 「はえ~。きつねさんは元に戻せないんですか?」


 「う、ああ。今すぐには無理そうだ。頼む、元に戻してほしい」


 「はい、わかりましたぁ~。その変わり~、私のお願いも聞いてもらえますか」


 「いいよ。何でも聞く。謝れっていうなら謝るし」


 そもそも気遣いで自分を呼びに来れた彼女にいたずらを仕掛けた自分が悪いのだ。

 完全なる自業自得。そう言われても仕方がない。


 「謝ってもらうようなことありましたっけ?」


 しかし、真奈美は思い当たることがないとでいうように不思議そうな顔をみせる。


 「違うのか、じゃあ一体?」


 不思議そうに尋ねる守に真奈美は笑顔でいった。


 「あの~、私ぃ~盛狸山真奈美っていいますぅ~。真奈美って呼んでください~」


 そうだ、数日前。彼女が入居の挨拶に来て以来、彼女の事をたぬき娘としか呼んでいなかった。


 なんだか急に罪悪感がもたげてくる。


「ああ、そっか。わかった。お隣の部屋同士だもんな。真奈美ちゃんだったね、お互い仲良くやろう。改めてよろしく」そこでいったん区切った後彼女に向って右手をさしだして言った「狐宮守だ」


 「はい~、ありがとうございます。守さん~よろしくお願いしますね」


 真奈美は愛嬌のあるその顔に満面の笑みを浮かべたまま、守の手を握る。


 手のぬくもりが伝わるのを感じた途端、彼は不覚にも胸の高まりを感じてしまった。そして自分のそんな様子を戸惑いながらも自覚し自然に顔が赤らむのを感じる。


 (おいおい、相手は狸だぞ。なのに、なんでこんなに胸の鼓動が早くなるんだよ)


 守は食卓に向かう真奈美の後に付き従いながら、自分の気持ちの変化に戸惑いを隠せなかった。

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