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「でも、まあ、僕も君に対して言いたいことは言わないといけない。じゃないと、僕の芸術観が汚されるからね。だから、君は今からそれを耐えてもらわなきゃいけないんだ」
けれど、この人は止まらない。
溢れ出る創造力と、抑圧から自らを解放する意思は誰にも止められない。
証拠に、叶さんは凛とした表情で、万象に含まれている美しさを捉える瞳をもってして前を見つめている。
自分の愚かさに嫌悪して、自分を見つめてくれる美しい人の天才ゆえの冷たさを備えた澄ました表情に安堵しながら、鷹揚に僕は頷く。
「まず、構図が駄目だ。こんな普遍的な構図は何の芸術的な価値も生まない。大体、これじゃ何をモチーフにしたのかが分からない。道路か、田んぼか、高架か、鉛色の空か、何もかもが中途半端に強調されていて全く印象に残らないよ。いいかい、印象に残る芸術、つまり芸術的って言うのは強烈なモチーフが必要なんだ。そして、そのためには自分が抱く鮮烈な思想が必要なんだよ。だから、君はまず自分の内面に潜む思想を見つけ出すところから始めなきゃならない」
叶さんは鉛筆の角ばった尻で、僕の描いた風景画を構成する要素の一つ一つを刺しながら、僕の絵がどうして駄目なのかを伝え始めた。
垂れる髪を耳にかけ、真摯な瞳で絵を見つめ、無駄一つない言葉で叶さんは僕に教える。
言葉一つ一つは、僕の胸に突き刺さる。
人間、図星を突かれたときが一番参ってしまうのだから、それは仕方がないことだ。こういうのを必要な痛みと呼ぶんだろう。
ただ、取り繕わず、忌憚なく思ったことを教えようとする叶さんの言葉は痛みの中にも心地よさが含まれている。だからか、僕は叶さんの言葉からさっきみたいに逃げ出そうとは思わない。芸術に対する知識を貪欲に得たい知識欲の方が勝る。
「もっとも、それは個人の主観的な思想だ。だから、僕が介入することは出来ない。というか、この根底の部分は、僕は知らず知らずのうちに手にしていたから何にも教えてあげられないんだけどね」
叶さんは舌をぺろりとし出して、拳を自らの頭にこつんと当てる。
無邪気な子供のような行動に、ついつい笑みが零れる。
「なんで笑うんだい?」
そして、拗ねた子供のような問いかけもまた僕の笑いのツボをくすぐる。
「ふふ、すいません、叶さんがあんまりにも子供っぽくて」
「子供? 誉め言葉だ。嬉しく受け取っておくよ。こいつは冗談じゃないよ、マジで嬉しいからこう言ってるのさ。芸術家にとって子供っぽいに匹敵するほどの誉め言葉は無いからね」
若干不服気に、叶さんは眉間に皴寄せると本当は思っていないことを自分の中で本当にしようとしている風に、顔を逸らす。そして、視線を再び僕の描いた風景画に向ける。
「それは……」
「口答えしないでくれよ。時間は有限だ」
少しからかってやろうとボソッと声を発そうとすると、叶さんは髪を耳にかけて、ギラリと冷たく光る双眸を向けてくる。
月の光よりも、街灯よりも冷たい光は小さな僕の心を脅かした。
「それじゃ、次は色だね」
叶さんが冷たい光の中に、微かに悲しい雰囲気を宿した言葉を発したことに僕の胸は縮こまる。
「君の色の塗り方は、アカデミックすぎる。あまりも現実に忠実なんだよ。いいかい、僕ら芸術家は写実的な絵を描いたって仕方が無いんだよ。写真が発明されて以来、僕らの仕事は普遍的な自然のありのままを描画するだけじゃいけないんだ。リアリティなんて捨て去った方が良い。それよりも、自分が見ている自然の中にどういった情緒が含まれているのか、そして自然を見ていた時の自分の感情を落とし込むことの方が大切なんだよ。自分の個性、自分の感性を色に込めるんだ。今更、フェルメールのような絵を描いたって誰も見ないんだよ」
青白い光に照らされる僕の絵を力強く指さしながら、叶さんは鬼気迫る勢いで僕を睨みつける。
教えている間に、自分が欲しくても手に入らないかつてはあったものを渇望する欲求が煽られた結果だと思う。
自分よりも遥かに才能が劣る人間が、今は塗ることすらできない色を安々と塗って、凡作を生み出したことが無意識的にこの人の激情を駆り立てたんだ。けれど、叶さんは自らの激情を理性で抑えている。初めて叶さんのアトリエに入った時、僕に向けてきた発作的暴力衝動を叶さんは必死に抑え込んでいる。
「だから、君は君自身の色遣いを、かつて君が描いた絵のように、思いつかなきゃいけない。アカデミックな色じゃダメなんだ。個性を、感性を、美しさを全て落とし込んだ調和のとれた色を君は使うべきなんだよ」
奥歯をギリギリと鳴らしながら、叶さんは手を握りしめる。
どこからこみ上げてくるのか、叶さんが手を握り込む力は非常に強く、青い血管が細い骨と共にありありと浮かび上がる。
目は血走っており、逃れることの出来ない怒りの感情に必死に耐えていることがひしひしと伝わってくる。
「いいかい? 人の絵を真似ることや学校で教わったことを自らの中に落とし込んで、技術として扱うことは決して間違っていないよ。それどころか、真似る作業は全ての技術の起源だから素晴らしいことだ。けどね、それで満足しちゃだめだ。それだからいつまでたっても、絵に魂が籠らず、量産的な絵にしかならないんだよ。大切なことは技術を使って、その技術よりも一歩先のところに行くことなんだ。それは君が初めて見つけた新境地で、そこにある芸術的表現は全て君のものとなるからね。だから、新大陸を見つけたコロンブスとまではいかないけど、強欲に芸術に取り組んだ方が良い。まだ、君には色が見えるんだからさ」
最後に一言、寂しい言葉を紡ぐと体を蝕んでいた怒りは叶さんの体から煙となって消え去った。
同時に、その寂しさに伴って僕は叶さんに儚い美しさを見出した。
抱いてはいけない。
懊悩している人に、生きるすべをすっかり奪われたしまった人に向けてはいけない感覚が僕の中に宿る。同時にその美しさを、小さな僕だけの箱に閉じ込めたいとも思う。誰にも触れられないように、誰もに知られないように、僕だけの赤珊瑚で出来た鳥籠に閉じ込めておきたい。
「君、聞いているのかい?」
汚らわしい独占欲に一瞬にして襲われ、意識が内側に向いていた僕の頬に叶さんはほんのり暖かい手をあてがう。
瞬間、僕は胸の高鳴りを覚える。
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