talent

「いや、恥ずかしいところを見せてしまったね」


「いいえ、恥ずかしくはありませんよ」


「君は一々キザなセリフを言うね。外村が聞いたら呆れるぜ?」


「良いんですよ。今しかこんなクサいセリフ言えないんですから」


 泣き終えた叶さんは華奢な背を僕に向けて、窓辺に立つ。

 きっと泣き腫らした赤い目元をしているはずだ。そして、その泣き跡を叶さんは恥じらっているはずだ。そう思うと、叶さんがあどけなくて、どうしようもなく愛くるしい。目に入れても痛くないくらい愛おしい。

 月光に叶さんの細身を照らされ、薄黒く細長い影がリビングに伸びる。

 それは美しく、ついさっきまで抱いていたあどけない可愛らしさとは相反する印象を僕に抱かせる。同時に叶さんが持ち合わせる二面性に、僕の心は魅かれる。胸が高鳴り、クサいセリフが次々と思い浮かんでくる。これを小説や詩で表すことが出来たのなら、きっと後世まで残る芸術となり得るんだろう。

 未だに涙を含む声音で言葉を紡ぐ叶さんに、痛々しいロマンチストのような言葉が思い浮かんでくる。手を伸ばしたところで届かないところに居る純粋無垢な天才はそこに存在するだけで、凡庸な才しか持たない人間の感性に影響を与えるらしい。


「ふふ、そうかい。それじゃあ、君のそんなクサいセリフを聞けるのは僕だけなんだね」


 クスクスと叶さんは微笑をこぼす。


「今のところは叶さんだけですよ」


「それは嬉しい限りだよ。姉ちゃんにも聞かせたことのないセリフを貰えるなんてね」


 軽快にくるりと身をひるがえすと、叶さんは僕に向かって満面の笑みを浮かべる。そこには自身が最も尊敬する人に対する優越感と、僕の恥ずかしい秘密を握ったことの優位的な立場が含まれている。

 ただ、意地の悪い子供のような無垢な笑みを前にそれらの打算的な感情は廃している。節々に感じる大人びた思慮は、僕にも、そしてきっと光さんにも意味を成していない。むしろ、叶さんが他人に対して心を開いてくれたことに対する喜びの方が勝る。ほんのさっきまで人のことを信じられず、高慢で傲慢な態度で人を拒絶してきた叶さんが、僕という他人を信頼して心の底から感じ得ているであろう感情を発露してくれているのだから。


「ええ、光栄に思ってください。大恩人にすら聞かせたことのないセリフを言ってあげてることに」


 得意げな雰囲気で僕を見下ろしながら笑う叶さんに、僕も微笑みながら同じ目線で言葉を返す。


「言うようになったね。まあ、かしこまって、頭を垂れて、僕を神様のように崇めてくれるよりかは、同年代の同じ芸術家として対等に話し合える方が僕としては嬉しいから良いんだけどね。もっとも、才能がある人間、限定だけどさ」


「才能……。叶さんはさっきから僕に才能があると言ってますけど、僕は僕に才能があるとは思えないんです。僕は凡庸な人間です。絶対にそうです。違いないと思います」


 無自覚に僕は外村を傷つけていた。

 きっと、僕はそうしていたんだ。

 だけど、当時の僕が外村のヴァニタス画以上の絵を描けたとは思えない。それに光さんは今の僕の絵を下らないと評した。叶さんは今になって、過去の僕の絵が素晴らしいと教えてくれたけれど、それは当時の評価とは異なる。その上、今の僕の絵に叶さんは全く才能が無いと言っていた。だから、例え僕に才能があったとしても、その才能は過去の僕にあって、今の僕には無い。それはつまり、僕には才能が無いということだ。

 僕は凡庸な一人の絵描きに過ぎない。

 特異な才能は何もない。

 例えあったとしてもそれは過去の僕だ。今の僕には何もない。

 けれど、叶さんは僕の考えに反するように、僕の言葉に呆れかえった表情を向け、大きなため息を吐く。


「本当に言ってるのかい?」


 腕を組んで窓ガラスに背中を預けながら叶さんは冷たく疑問を紡ぐ。


「はい。少なくとも今の僕に才能は有りません」


「はあ、君の才能は今でもあるよ。ただ、君がその才能を発揮する方法を知らないだけだよ。才能を発揮するには、絶え間ない努力が必要だよ。世の中に努力せずに、才を発揮できる人間はいないからね。もっとも、才能を持っている人間が才能を発揮するために努力していると自覚しているかどうかはまた別の話だけどさ。だから、今の君に足りないのは努力だよ。君は姉ちゃんのところに居ながら、努力を怠ったから才を発揮できないなんだ。昔みたいに、それこそこの歪んだ人物画を描いた時みたいにひたむきな努力をすれば、君は君自身の才能を発揮できるよ」


 髪をかき上げて、時折見せるあどけなさとはかけ離れた表情を叶さんは見せる。

 イコンの聖母のような笑みを、叶さんは僕に向ける。


「だからさ、そんなことを言うなよ。腐っても僕が認めた才なんだから」


 そして、叶さんは僕に手を差し伸べる。

 にじみ出る優しさは酷く眩しい。

 例え、冷たい月光に照らされていても、今の叶さんは太陽のような温もりを纏っている。

 それは僕に自信を付けてくれる温もりだ。

 それは光さんが僕にずっと向けてくれていた優しさだ。

 そして、それは僕が扱いきれなかった太陽だ。

 だけど、今度は何とかして見せよう。叶さんの言う通り、一所懸命な努力をもってして、僕だけの芸術をこの痩せっぽちの手に宿して見せよう。そして、僕自身の芸術を大成させて見せよう。

 僕は叶さんの小さな手を取る。その手は冷たく、僕と同じように痩せている。けれど、硬く、これまで稀代の天才と讃えられた人が積み上げてきた努力の証を垣間見ることが出来る。


「ありがとうございます」


 叶さんの手に従って、僕は立ち上がり、仮面を外した自然な笑みを浮かべる。


「どうってことは無いよ。これもまた僕の使命だからさ」


 叶さんはにこりと微笑んで、僕の手をぎゅっと握る。


「よし、それじゃあ早速、絵を描いてみようか。大丈夫、僕が補佐してあげるからさ。だから、ほら、座ろうじゃないか」


「了解です」


 そして、また叶さんの手に導かれて、僕らは鉛筆とクレヨンと紙に満ちたローテーブルに向かう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る