pride

 愚か者は二人、月光の下、重なり合うようにして互いの罰を分かち合う。

 詩的に表現すれば、それは美しい一枚の人物画になるのかもしれない。

 ただ、その実態は愚かにも人を無自覚に傷つけてきた来た者たちが、互いの傷を舐め合うという醜い光景だ。こんな光景、誰にも見られたくない。僕も見たくない。

 醜さと愚かさが、胸の内を侵食してゆき、僕の体は病魔に侵されたように弱々しくなる。そして、その現実を見たくないがために、自然と他人を見下していた目を瞑る。理解者だと思いたくなかった人の体温が、ひしひしと伝わってくる。それはまるで体が一体になったように、絵の具が混じり合って、調和のとれた色彩が生まれるかのように感じられる。

 僕はこの人と同化したいのか?

 違う。それは断じて違う。

 僕はただ自分の罪の意識から逃れたいだけなんだ。僕が今まで外村に犯してきた罪のすべてを叶さんに擦り付けて、罪を認識しないがための感覚なんだ。だから、叶さんと混じり合って、一つの調和をどこか夢見ている今の心持は、醜い逃避行でしかない。僕が僕自身の十字架を背負いたくないだけだ。

 忌々しいほど他人任せの自分が恥ずかしくなって、馬鹿らしくなって、手で顔を覆う。


「君はすぐ逃げるんだね」


「……」


 見放すような叶さんの言葉に、僕は何も返せない。

 無遠慮な言葉が、叶さんを傷つけてしまうかもしれないから。

 いや、本当は傷つけてしまうなんて言うのは立派な建前に過ぎない。僕は単純に、叶さんの言葉を肯定したくないだけなんだ。無意識的に逃げ癖を肯定していながらも、意識的に言語としてこれを肯定することを僕は拒絶しているんだ。だから、僕は何も言い返せない。プライドという名の堰が、僕自身の本音の流れを途絶えさせる。赤裸々に自らのことを語ってくれている叶さんを前にしても、僕のプライドは崩れてくれない。だから、スピーカーの壊れた玩具のように、目を閉じて、顔を隠して、口を閉ざす。

 もの言えぬ人形を、叶さんがどのように見ているのかは分からない。

 暗闇に閉ざされた中で、僕はジッとしているだけだから。

 冷たい沈黙が、僕と叶さんの間に満ちる。


「沈黙は肯定だよ」


 けれど、痺れを切らした叶さんが沈黙を破った。

 感情の一切籠っていない端的な言葉は、暗がりの中の僕に強く響く。

 だけど、僕は何も言い出せない。プライドの塀に囲まれて、自分自身の弱さを吐露し、楽になることの出来ない僕の弱々しい精神は、自らの情けなさに蝕まれる。どうして、僕はこんなにも駄目なんだろう。ああ、バベルの塔を破壊した雷霆が欲しい。


「案外、プライドが高いんだね」


「……」


「けど、分かるよ。僕もプライドが高いからね。けど、君とは違うプライドだよ」


「……」


「僕は対外的なプライドが高いんだよ。僕の作品にケチをつけるような奴らは全員くたばった方が良いと思うし、僕と同じ視線に立てない奴らは全員筆を折って、芸術の道から退場した方が良いと思ってる。本当だよ。嘘じゃない。姉ちゃんや潮みたいな人たちで、この世が満ちればいいと、僕は切に願っているよ」


 冷たい沈黙は、赤い驕慢を再び叶さんに宿した。

 叶さんの言葉は全て本音で、虚飾の一切は排除されている。

 けれど、僕はその言葉に叶さんの悲しみを見出す。叶さんが紡ぎ出している言葉は、間違いなく今の叶さんが芸術に持つ価値観だ。歪み切った価値観だけれど、叶さんはこれを基に自らの芸術を手にした。ありとあらゆる人とのかかわりを断絶して、自らの内的な価値観だけでこの人は生きている。誰とも組せず、自分だけの特異な視点でこの人は物事を、人を、芸術を判断している。

 だから、この人は孤独だ。

 それは天才の美談かもしれない。

 だけど、天才だって一人の人間だ。

 人間は誰かが居ないと生きてゆくことは出来ない。孤独の穴倉で狢のように丸まって、自分のことばかりを考えながら生きることは無理だ。人はどこかで人を求めているし、誰かに共感されたいと思っている。

 けれど、叶さんはその欲求を抑圧し続けている。承認欲求を極限まで抑え込んで、驕慢に生きている。しかも、それは意識的な驕慢だと思う。天から与えられた役割ではないはずだ。傲岸不遜なペルソナを身に着け、叶さんは自らの言葉で、誰も傷つけないようにしているんだろう。過去に自らが最も大切に想っている人を傷つけてしまったことを負い目に感じて。

 もしも、この都合の良すぎる解釈があっているとしたのなら、それは悲劇だ。


「君の前に、この家に来た外村のような凡才も居なくなった方が良い。あいつのような八方美人で、古典的な表現技法を少し捩じっただけの表現しかできない画家は、芸術の進歩を停滞させるだけなんだからさ」


 そして今も、自らの言葉で傷つけてしまった僕を、これ以上傷つけないようにするために虚飾の言葉を紡いでいる。

 もう、そんな自らを痛めつけるような言葉は要らないんだ。

 この人に、この孤独な人に必要な言葉は他人と分かり合うための言葉だ。


「芸術は僕のような天才と、天才たちを純粋に認めることの出来る素直な者たちによって進められるべきだよ。だから、僕は対外的なプライドを持っているんだよ。全ての芸術のためだよ」


 違う。

 あなたは芸術を盾にして、自らの感情を抑え込んでいるだけに過ぎない。


「どれだけ努力しても才を発揮できない月並みな連中を、諦めさせるための善良なプライドだよ。きっと、世の天才たちもそう思ってるはずだ。いや、天才のたちのプライドは許されているんだ。居るかもわからない神から与えられし、称号の一つなんだよ。だから、天才である君のそれも善良なプライドのはずだ」


 違う。

 すべての天才は人間だ。人間だからこそ、権利は平等だ。


「だから、そう……」


 僕のプライドと自分の偽りのプライドを、肯定しようとする叶さんが新しい言葉を吐き出す前に、僕は勢いを付けて体を起こす。そして、僕を見下ろしていた叶さんの華奢な体を抱きしめる。男性とは思えないほど柔らかく、良い香りがする。


「もう、止めましょう。もう、良いんです。自分を偽らなくて」


 けれど、肉欲なんてどうでも良い。

 ただ、僕は叶さんが描き続けてきた悲劇に終止符を打つための言葉を紡ぐ。

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