moon
少し引いた声と表情で、一番らしくない言葉を光さんは紡ぐ。
冗談めいた光さんの言葉に僕らしくない苛立ちを覚える。
ただ光さんの目を見た瞬間、僕の苛立ちは同情へと変わった。同時に燦然と僕を照らしてくれていた太陽は、青白い光を放つ月に替わった。
寂し気で、弱々しく、脆い印象を覚える光さんの涙ぐむ目に僕を衝動的にさせる作用は無かった。代わりに僕の自立を促してくれた。光源を失った温室は、もはや心地の良い場所じゃない。暗くて、狭い、不自由で不快な空間に過ぎない。
伸び伸びとした自由を求め、光さんから視線を外村に向ける。
「僕はお前みたいに自分の芸術を追いかけるよ。五年前、お前が連れ出そうとしてくれたところに僕は戻るよ」
そして、言いたかったことを、外村に伝えたかったことを紡ぐ。
外村は唐突な僕の宣言に目を丸くして驚いた。ただ一瞬間後には、あの懐っこい微笑みを浮かべる。
「前みたいに逃げ出さないんだな」
「ああ、今度は自分に向き合うよ。だから、そのためにお前が味わってきたものを今から経験してくるよ」
「今から?」
「そうだよ。ついさっき逃げ出したことがあるんだ。だから、辛くともそれくらいはやって見せるよ」
「それが良い」
ニカッとさっぱりとした笑みを浮かべながら、外村は僕の覚悟を受け入れてくれた。
これが逃げ出した過去の清算になるはずがないことは分かっている。あの時、外村が一人で不得意な分野に挑戦させられた孤独と不安は想像もつかない。だから、これは僕の宣誓だ。今度こそ自分から逃げずに、自分を磨くという親友に対する約束だ。
自己満足に付き合わせることは、迷惑かもしれない。けれど、僕は人を巻き込んでも挑戦するんだ。かつて出来なかったことを、出来るようにするために。そして停滞を抱える自分を打ち破るために。
この約束のサインのために、僕は立ち上がって外村に手を伸ばした。
「だから、昔みたいに、見守っててくれよ」
独りよがりな言葉だ。
けど、外村は僕の手を取ってくれた。
「もちろん。友人の努力を見捨てるほど、俺は薄情な人間じゃないよ」
「そうだな。お前はそうだ」
自分で差し出したのに、僕は照れ臭くて仕方が無かった。
これに外村は無邪気な笑みを見せる。
「ふふ、あっ、そうだ。連絡先、新しくしたから交換しよう」
僕らはスマホを取り出して、五年ぶりに青春の一幕やって見せる。
どうして外村が、逃げ去った僕を許してくれているのかは分からない。けれど、今は分からないままにしておこう。いや、分かろうとしない方が良いのかもしれない。どれだけ勘ぐろうと、こいつの善意であることには変わりないのだから。
電話番号とSNSを好感し終えると、僕と外村はもう一度、硬く手を握った。
これだけで大いに勇気がもらえる。
だから、もう、ここに居る必要はない。これ以上、こいつから勇気をもらう必要はない。
「それじゃあ、また連絡してくれよ」
外村はニコッと爽やかな笑みを浮かべながら、さっぱりとした言葉を僕に告げる。
「分かってるよ」
そして僕も同じように返す。
これで別れの挨拶は終わりだ。いいや、僕はもう一人、僕を今日まで誘ってくれた女神のような人にも別れを告げなければいけない。これは一種の決別だ。けれど、関係を断絶させる訳じゃない。かつてのように、そして今日のように、関係を一度壊すだけなんだから。
「光さん。もう一度、叶さんの家に行ってきます」
今にも壊れそうな光さんに、僕は告げる。
「……本当に行くのかい。あの人格破綻者のところに」
「ええ、行きます」
はかなげな光さんは目を伏せて、小さな言葉で僕を問う。
僕は簡潔に答える。
ほんの一瞬、口を開いた光さんは、僕らに表情を隠すためか、僕らに背中を向ける。
「行って来なよ。きっと、潮の成長につながるだろうからさ」
「はい」
僕はたった一言、乾いた光さんの言葉を最後に、店を出る。
からんころんと鈴が鳴る。
夜道は人で溢れている。
けれど、不思議なことに深いじゃない。今なら成長できる気がする。
「マスター、飛び切り強い酒を一杯」
「分かりました」
「俺にも同じのを一つ」
「当てつけ?」
「違いますよ。ただ、光さんに付き合ってあげようとしてるだけです」
「うざ」
「言われたくありませんよ」
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