division
その後、僕らは品評会の準備に取り掛かった。
朝早くからやったおかげで、準備は午後に入る前に終わった。それでも照り付ける太陽光は、午前十時を回ったあたりで強まった。ただでさえ暑い大気は、強まった太陽光に熱せられてさらに暑くなった。
普段と比べて異常な暑さの中、僕らの作品は教室に並べられた。部員の大多数が作品を出品していた。長机の上には胸像や陶製の置物、ブロンズ像が等間隔で並べられ、壁には多くの絵が飾られた。
壮観だった。
どれもこれもが、僕の表現を上回っていた。僕が持ち出した停滞の象徴は、常に進歩し続ける人たちの中では一層劣って見えた。そして、劣った風景画は僕に恥を与えた。恥辱だった。
ただ僕の恥は、僕の罰だ。甘い誘いに乗って、停滞に進んだ者の罰だった。だからその場では、品評会の場では恥を飲み込むことが出来た。顔を上げて、真っすぐと僕は恥を受け入れることが出来た。
受け入れる?
いや、あれは直視しなかっただけに過ぎない。どうにかして現実から逃げたかったんだ。
現を見ることなく、僕は蜃気楼のように品評会会場を歩き回った。傍らに僕を誘った人はいなかった。その人は「下らない」と一言残して、颯爽と去って行った。僕は会場に一人残されて、酷い孤独を感じ得ながら単純に作品を見て回った。先輩、後輩、同輩、全ての作品をじっくり見て行った。思ったことは全て芸術だということだ。
誰も彼も、皆の作品は輝いて見えた。心のどこかで貶していた抽象画や現代彫刻も、進歩的で、美しい作品に見えた。ただそれは作品としての美しさではなかった。芸術に対して奉仕するための美しさがキラリと作品の中で輝き、精神のきらめきが一条の光として僕の心を貫いただけの美しさだ。つまり、あれらそのものに美しさは無かった。あれらが美しいのではなく、あれらの中に含まれていた芸術に対して奉仕する精神が美しく、きらめいていた。
本心から芸術を愛し、進歩に努めようとする精神の輝きは、夏の日差しが差し込む教室の中で何よりも輝いていた。全ての作品から発せられる一条の光は互いに作用しあって、物理的な光を超越していた。
ただそうした中で、一つだけ仲間外れの作品があった。いわば死んだ絵がそこに立て掛けられていた。
死んだ絵の前では、誰も立ち止まらなかった。
誰もが真剣に自身の芸術を、そして仲間の芸術を評価する神妙な場に死んだ絵は場違いだった。美しくもなく、進歩性も感じない埃まみれの風景画は、評価の対象にすらならなかった。通り過ぎる人はその隣の、暗い中でうねる森を大胆な色彩で表現した先輩の油画を見ていた。
分かっていたはずなのに、僕の絵が死んだ絵だとして見られることは酷くショックだった。何か僕の中で滅茶苦茶に壊されたようなことを感じた。壊れた音は心の空洞の中で反響して、僕自身を揺るがした。現存在と言えばいいんだろう。その根本が揺るがされた。
胸が痛くなった。
動悸がした。
眩暈が生じた。
壁に掛けられた絵、長机に置かれた彫刻、陶製の置物、全てが混じり合って滅茶苦茶な一つの芸術の塊として見えた。感じることを拒む鋭い痛みが、こめかみを襲った。
僕は踵を返して会場から立ち去ろうとした。
自分自身で死んだ絵と認めた絵を前にして、僕は逃げ出そうとした。
ただ、僕は逃げ出すことすら許されなかった。
「……なんだよ、あいつ」
勇気を踏み出して、かろうじて残っていた気力を振り絞って僕は次の絵を見に行った。うねる森の中でさまようような僕の足取りは、僕を認識していた人からは酷く奇妙に見えたと思う。七面鳥のようにあほらしく見えたはずだ。
阿保で、間抜けで、弱虫な存在は次の絵を見て打ちのめされた。
「……」
言葉が出なかった。
僕はその一枚の静物画、いわゆるヴァニタス画は僕を全て飲み込んだ。
下部が小さく、上部は極端大きい木製の砂時計が、鉄条網がらせん状にねじれて固まった台座の上に置かれていた。皿のような砂時計の上部には、埃かぶった頭蓋骨がこちらを見るように置かれていた。そしてその視線はモナ・リザのように、あらゆる方向から鑑賞者の視線を奪う。ただそれらが真っ黒な背景を前に描かれていた。
狂気的な絵だった。
僕が望む芸術に最も近いものだった。人間の深層心理を抽出して、蒸留して濃度を高め、さらに蒸留して濃度を高めたような芸術家個人の価値観を込めたヴァニタス画は、僕が望んだそれだった。
自然と僕の右手は震えながらその絵に伸びていた。何も成せず、停滞の道に走った僕の手は、望む芸術を前にして酷く弱々しく見えた。
「あ、松野」
「……」
弱り切って停滞する者の耳に、進歩する者の声は良く響いた。
友人でありながら天才で、羨望と尊敬を向けていたそいつは、いつの間にか僕の隣にいた。そして嬉しそうな笑みを浮かべていた。
自分の中で壊した貴い関係の破片が刃となって、僕の現存在に突き刺さった。
傷は深く無数に及んだ。
「どう、松野。俺の絵は」
「お前の絵?」
「うん、このヴァニタス画だよ」
深い傷は外村の言葉によって、より深く僕に突き刺さった。僕の目の前でにこりと笑って、自分の芸術を友人と共有したいという柔和な態度をとるやつが描いた絵が、僕の胸を打った芸術だと思いたくなかった。けれど、現実はそうだった。僕のあこがれは、僕の希望、僕が求めたのは、外村仁というたった一人の友達だった。
この現実を前にして僕は何も言い出せなかった。期待に満ちた目で僕を見てくるあいつの表情に、申し訳が立たなくて僕は震えるだけだった。混沌とした芸術の塊が、僕の視界を支配した。酷い痛みが僕を襲った。
「松野?」
「ごめん。僕はもう……」
そして僕は友達に、たった一つの別れ文句すら言えずにその場から立ち去った。
裏切りに覚悟を決めていたのにもかかわらず、僕は口を閉じることしかできなかった。
後悔は残り、僕はあいつとの友好を断った。
残ったのは光さんだけだった……。
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