smells

「まあ、なんだ、色々とごめんね」


 寂しい電子音が空に吸われ、僕の記憶に刻まれた頃、光さんは神妙な声色で謝ってくる。謝らないでほしいと思っていても、僕はどうしてか光さんの声に満足感を覚える。

 醜い。

 僕は自分自身に自己嫌悪を覚える。自ら納得して引き受けた仕事を放棄したのにもかかわらず、才能が無いことを理解していながらこれを拒絶する哀れな人間なのにもかかわらず、天才に勝手に期待して勝手に失望した大馬鹿者なのにもかかわらず、人間として真っ当な道を歩んでいる人の謝罪をほくそ笑んでいるなんて醜い。


「そんなこと、言わないでください……」


 自身の醜悪さに耐え切れず、さっと吹く風にかき消されそうな頼りない言葉を漏らす。


「いや、言わせてもらうよ。ことの発端は全部私だし、潮の期待を壊したのも私だよ。壊した人間には、責任が伴うんだよ。だから少年、例え君が私の言葉を拒絶しようとも私は自分自身のツケを払うために言わせてもらうよ」


「独善じゃないですか」


「独善だよ。でも、許してよ」


 横暴を自ら認める光さんの声色は芯が通っている。けれど、傲慢な精神を僕に認めてもらおうとする声色は儚い。

 恩人が持つ二面性に、僕は得も言えない感覚を覚える。玄武岩のような硬い精神と、しなびれた朝顔のような脆い精神をさっきからずっと行き来する光さんは、僕の嗜虐的な悪徳を刺激する。


「許すも何にも、僕はそれを判断する立場に居ません。僕は、ただ僕は光さん、あなたを今生の恩人として見ているんです。挫折と絶望の淵から僕に手を伸ばしてくれた唯一の人として、僕はあなたを見ているんです。そんな人間が恩人を許すだとか、許さないだとかを決めるなんて言うのは傲慢が過ぎます。僕はあなたのことを肯定します。いや、肯定しなければいけないんです」


 だからこそ、醜い本能に忠実な僕は光さんの望む方向とは真逆の言葉を返す。


「そっか……。それじゃ、少年、君は私を肯定してくれるんだね?」


「ええ、何があっても、人を殺したとしても僕はあなたを肯定します」


「良い忠誠心だね」


 期待を裏切られたであろう光さんは、ぼそっと呟く。

 これに僕の善良な一面は深く傷つく。

 騙そうと思って意識的なやっていない行動は、ほんの些細な生理的衝動による言動は、光さんに普遍的な僕に対する印象を刻み付ける。きっと、もう、今更弁明したところで、光さんが僕に抱いた善良な従僕という印象は解けないと思う。

 嘘を真実として騙ってしまったんだ。


「うん、そうだ。それじゃあ、私の従順あるしもべこと潮。今日の夜は奢るから、また紫に来てよ。よろしく頼むぜ」


 取り返しのつかないことに罪悪感を抱いていると、光さんは僕の了解を取らずに一方的に電話を切った。そして僕は、最後に聞こえた光さんの冗談に微かな安堵を覚える。真実になってしまった嘘は、ほんの少しでも役に立ったんだ。


「ええ、分かりました」


 自分勝手な満足感の中で、僕は言葉を返す。

 

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