tired
微睡から目覚めて、自分の身に何かしらの危険が迫っていると感じたらしいアトリエの主は犯罪者を見るような目で睨みつけてくる。
当たり前のことだ。僕だって自分の部屋に、顔も何も知らない人が居たら犯罪者と断定して速攻で警察を呼ぶ。
考えれば分かることだ。そして、今の自分の立場がどういうものかも。
「あ、あれです。貴女のお姉さんに貴女の看病を頼まれてきた松野潮と申します」
今更弁明したところで信用されるかどうかは分からないけれど、僕はとにかく早く口を回して、僕の存在の潔白を証明する。
「ああ、また姉さんが連れてきたんだ」
アトリエの主はあくび混じりのぼやけた声を上げる。その時、グッと腕を天井に向けてあげる動作によってその人が纏っていた白い布が、はらりとその人の体から落ちた。
白色の布を無意識に身から離したその人から僕は咄嗟に目を逸らす。
「なんだよ、急に目を逸らしてさ……。いや、違うか。君の反応が正しいか。人の裸体なんて見苦しいだけだしね」
僕の咄嗟の行動を歪んだ意味で理解したその人は、落ちた布を拾ってふわりと広げて、再び裸体の上に纏ったらしい。音だけの認識だから確証はない。
羞恥心と未確定な罪悪感を抱きながら僕は恐る恐る視線を再びその人に向ける。
その人は僕の認識通り、白い布を纏って片膝を立てながら僕を値踏みするように睨みつけている。僕は何か言おうとしたけれど、その人が放つ威光染みた雰囲気に何も言えなくなる。口は自然に閉じるし、思考も一時的にストップする。
「ふーん。君、今までの人よりはマシっぽいね」
つまらなそうにその人は呟くと僕から目を逸らして、ある一点、僕が見とれていた下書きのキャンバスを見つめる。
その人のキャンバスを見つめる瞳には、僕が見とれていた時の美しさは籠っていない。代わりに澱みが込められている。光は無く、絶望しているような澱みだ。それは大学生だったころの僕の瞳と全く同じものだ。
僕にはそれがどうしてか分からない。どうしてこんなに、下書きだけでも美しい絵が描けるのに、絶望しているのかが理解できない。僕が足掻いて必死に手に入れようとしている芸術を持っているのにもかかわらず、どうして、どうしてそんなにもつまらなそうな顔をするのかが分からない。
「あの絵、色を塗ったらさらに美しくなるんでしょうね」
嫉妬からか僕の口からは、その人の絵を純粋に褒める言葉漏れた。
意識なんて全くしていない。僕の頭は、僕の舌は、僕の唇はその人の絵に対する賞賛の言葉を漏らした。
「……黙れ」
ただ、僕の純粋な賞賛はその人の逆鱗に触れたらしい。
その人は唇をかみしめて、布の上からも分かる細い体をわなわなと震わせて、怒りの体裁を纏う。そして、怒りに従った重い声を漏らす。つまらないという平坦な意思ではなく、苛烈な激情が込められた声色が僕の耳に入る。
「どうしたんですか?」
「姉さんから聞いていないのか? ああ、そうか、そうだ! 違う! 君は僕を貶めるために知っていながらも、僕にそんなことを言っているんだ! 間違いない。間違いない。そうだ、そうに違いない! そうだろ!?」
おどおどとした僕の問いかけに、その人は凄い剣幕で酷く断定的な言葉をぶつけてくる。血走った目、骨が浮き出る力の入った手、嚙みしめた歯、全体的な敵意が僕に向けられる。
「違います! 僕は、ただ純粋にそう思ったんですよ」
けれど、どうしてか、僕はその人の怒りに臆することは無い。
その人の怒りは、弱々しく見える。自分自身の弱い部分を何とか守ろうとするために、自分の弱さを他の人に理解されないように、わざと自分自身の価値を下げるように思える。
「うるさい! 黙れ! お前はただ僕を馬鹿にするためにここに居るんだ!」
怒りで我を忘れたその人は、いや、怒りで自分を守ろうとする人は嘆きの声を怒号として漏らす。
「出ていけ! 今すぐ出ていけ! この部屋から、僕の王国から! 僕だけの世界から出て行ってくれ!」
激情を込めたその人は、ほっそりとした腕で床に散らばる画材を勢いよく僕に向けて投げつける。絵の具、絵筆、くしゃくしゃの画用紙、極めつけはパレットナイフが僕の頬をかすめた。
流石に命の危機を感じる。僕はその人から離れたくない、いいや、離れちゃいけないと思いながらも渋々激情が発散される部屋から脱兎のように出る。勢いよく占めた扉は大きな金属音を立てる。そして、閉ざされた扉には痛々しく物がぶつかり、悲しい金属音を鳴らす。
僕はそんな扉に背を向けて、へたりと座り込んで、溜息を吐く。
今後の憂いが胸に満ちる。
これと同時にどうしてか、あの人を放っておけない気分になる。あれだけ拒絶されても、あれだけ存在を決めつけられても、僕はあの人に関わりたい。
「どうしてなんだろう……」
妙な哀愁と懐古を覚えながら、天井に向かって気だるい言葉を吐き出す。
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