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 二十二時を回ったころ、僕らは光さんの家族の家に着いた。

 そこは世評通り、閑静な高級住宅街だ。コンビニだとかチェーン店だとかの俗っぽい店は一切なく、道路を照らす街灯と、明らかに高そうな一軒家が連なる住宅に、自分の生活を馬鹿にされたような印象を受ける。


「さてさて、着いたよ。ほらほら」


「ちょっと待ってくださいよ」


 一足先に料金を払ってタクシーから降りた光さんに手を引かれ、僕は引きずられるように車外に導かれる。

 危うく転びかける僕を他所にタクシーは、再び客を捕まえるために来た道を帰っていった。

 けれど、個人的な不満は住宅街の冷たい風に攫われる。あの繁華街よりもはるかに過ごしやすく、心に安らぎを与えてくれる風は不満と抱えていたあの不快感を消してくれた。息苦しさはもう感じられない。


「それじゃあ、行こうか」


「どこにですか?」


「目の前の家だよ。ここが私の家族の家。兄弟であり姉妹的な立ち位置の社会不適合者が一人で住んでいる高級住宅だよ」


 言葉の裏に恨みを縫い込んだようなことを意気揚々と紡ぎながら、光さんは僕らの真正面に鎮座するコンクリート造りの一軒家に指をさす。全体的に四角くて、冷たくて、大きい。そんな家を前に、僕は呆然と立ち尽くす。


「ここに一人で住んでいるんですか?」


 見事なこの家は、見た目からして一人暮らしの身にとって身に余るサイズだ。


「そうだよ。一人でここに住んでるの。まあ、都内でアトリエ付きの物件がここくらいしか無かったって言うのが大きな理由だけどね」


「アトリエ?」


「あ、そうそう、あいつ芸術家なんだよ。君と同じね。ただ相違点があるとすれば、大成しているか否かっていうところだね」


 光さんの言葉に僕はチクリと痛みを覚える。

 嫉妬の痛みは分不相応だ。自分自身を表現できていない僕が感じてはいけない痛みが、この痛みだ。

 でも、それでも、光さんの親族が手に入れた栄光が妬ましい。


「とりあえずこんな場所で突っ立ってないで早いとこご対面しようか。あいつとは長い付き合いになるんだからさ」


 妬みを抱えた僕を知ってか知らずか、光さんは羨望の象徴へと手を引っ張って僕を導く。動的な引力に抗えない僕は、本来芸術は乖離してなければいけないはずの妬みを抱えたままその人の家に誘われる。

 門をくぐってしまえば、そこは別世界だ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 玄関を開けるとそこにはだだっ広い空間が広がっていた。

 上にも、横にも、奥にも、広い冷たい玄関だ。

 打ちっぱなしのコンクリートと真新しいフローリング、人が使ってない印象を覚える。というより、ここに人が住んでいるっていうことが嘘なんじゃないかと思うほど新しさが残っている。

 床のりの匂いというか、新しい壁に匂いというか、そんなものを感じられる。その上で殺風景だ。

 広い玄関なんだから靴箱の上に花瓶だとか香料だとかが置いてても良いはずだ。けれも、何も乗っていない。それどころか開けっぱなしの靴箱の中には、ローファーとスニーカーしか入っていない。何十足と入りそうな靴箱なのにもかかわらず、吐きすぎてボロボロになった二足の靴しか入っていないなんて寂しすぎる。

 物質的に少なく、寂しさが全体に広がる異質な玄関だ。

 けれど、光さんに導かれて入ったリビングの方が玄関よりもよっぽど異質だ。あまりに物が無かったからだ。

 いや、物が無いっていうより、物があるけれどそれを収めるべき物が無いっていう方が合ってる。本棚もなく、シェルフもなく、食器入れもなく、タンスもない何もない部屋だ。その代わり、本来収めるべき本だとか、何かの書類だとか、文房具だとか、食器類だとかは唯一の家具であるローテーブルの上に、そして身に余る雑貨類は天板からはみ出して床の上に散らばっている。


「汚いですね……」


「そうね。あいつ、片付けができないからさ。というより、絵を描く以外まともに出来ることがないんだよね。家事全般から料理までね」


 床に散乱した書類を十数枚手に取った光さんは、それを申し訳程度に整えながら自分の肉親に対する文句を紡ぐ。その恨み節から僕はなんとなく光さんが、その人から被った苦悩を感じる。


「どうやって一人で生きてるんですか?」


「多分、宅配だよ。ほら、最近はやりの配達サービスあるでしょ? きっとそれで食事を済ませてると思うよ」


「三食全部をですか?」


「いや、あいつ少食だから一食で済ませていると思うよ。一緒に暮らしてた時も、ご飯なんて夕食しか食べなかったしさ」


 愚痴をこぼしながらテキパキと書類をまとめる光さんを他所に、僕は僕が今後付き合ってゆく人に想いを巡らせる。

 そして、酷くめんどくさい奴なんだっていう漠然とした印象を覚える。というか、その人が男なのか女なのか、年上なのか年下なのか、どんな人かすら分からない。

 考えても仕方が無いし、気にしても仕方がないことだし、これ以上考えたところで意味が無いことは分かっている。けれど、漠然とした不安感から考えざる負えない。


「あ、そうだ。どうせだから、アトリエに籠ってるあいつに会ってきなよ」


 立ち尽くして悩む僕に光さんは、僕に引導を渡してくる。


「どこにあるんですか? そのアトリエっていうのは?」


「リビング出てから、右手の階段を上がった先だよ」


「分かりました」


 僕は二つ返事で答える。

 けれど、極力その人と会いたくないと思っている僕の足取りは重い。

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