impression

 レンガ造りのように見えるビルの中の店は、外見通りおしゃれな内装だ。モダンな木造建築のようで、天井にはシャンデリアがぶら下がっており、カウンターの奥には無数の酒瓶が整然と並べられている。また、壁には人物画から風景画、抽象画、現代画まで様々絵画が飾られている。

 美術的な空間と酒。

 確かに光さんが好きそうな店だ。それに光さんには、騒々しい居酒屋よりもこういう落ち着いた居酒屋が良く似合う。美しい容姿と格調高い空間は良く似合う。それこそ飾られている絵画と同じくらい。

 ただ、こう店内を見まわしてみると入り口で騒いでいたことが場違いに感じてならない。けど、幸いなことにまだお客さんは誰もいない。だから僕が恥を覚える相手は、カウンターでグラスを洗っているシルバーダンディのマスターだけだ。


「ほらほら、立ち止まってないでほら」


「大丈夫大丈夫、ここのマスターとは顔なじみだからさ」


「そういう問題なんですか?」


「そういう問題です! ねえ、マスター?」


 落ち着いた空間で、光さんは場違いな声を上げる。

 羞恥感が僕の体を悶えさせ、嫌な汗がぶわっと噴き出してくる。


「ええ、問題ありませんよ」


 けれど、恥ずかしいのはどうやら僕の方だったらしい。

 一人で恥ずかしがって、一人で光さんの行動を諫めようとしていたなんて……。

 自分勝手な理解で勝手に落ち込む僕を他所に、光さんは入り口から一番近いカウンターに座る。そしてうなだれる僕に手招きをしてくる。

 放縦とした性格の光さんを前に、沈む僕の心は浮き上り、軟化した心はビシッと真っすぐ芯を持つ。せっかく楽しめる店に連れてきたくれたのにもかかわらず、その空気を台無しにするような態度を取ることこそ、場違いこの上ない。それにどうせ家に帰って、自分の絵と向かい合ったら今ここで感じる幸福は消え去るのだから、今のこの瞬間を楽しもう。


「おっ、来たね。マスター、いつものハンバーグディナーで」


 グラスを拭き終えたマスターは、ニコリと笑って子供の様なあどけない光さんの注文に答える。たった一つの表情の変化ですら、このマスターは絵になる。人物画の主題になるくらいかっこいい。

 そう、人物画の……。


「そちらの方はどういたします?」


 マスターの容姿に見惚れていた僕は、低くて渋い声にびくっと肩を震わせて、慌てふためきながら酒棚の上の黒板に書かれた白いチョーク文字のメニューを見る。

 注文を即決しようとしたけれど、どれもこれもそれなりに良い値段がする。ハンバーグディナー二千円は僕の様な貧乏人には高すぎる……。


「そ、それじゃあ……」


「潮。今日は私のおごりだから、好きなのを頼んでいいよ」


 言葉を詰まらせながら値段で迷う僕に、光さんは頬杖を突きながらそう言う。

 ただ、僕は人が差し伸べる優しさを素直に握れない類の人間だ。だから僕は一番安いメニューを見つけるために、ぎょろりと両目を動かす。そして僕は一番安いメニューを見つけることに成功する。


「それじゃあ、ミートソーススパゲティで」


「かしこまりました」


 マスターは僕の注文を聞き終えると、手に持っていたグラス吹きを布巾掛けに掛けて、調理を始めようとフライパンを取り出す。


「もっと高いの頼んでもよかったのに」


 敏い光さんの指摘に、僕はドキリとする。せっかく用意してくれたこの場を台無しにしてしまったのではないかと、酷く緊張する。


「いえ、今日はパスタが食べたい気分なんです」


「嘘つき。でも、それでいいことにしてあげる」


 その場しのぎの嘘は見破られる。

 けれど、光さんは僕の嘘を許してくれる。慈悲に心が、みすぼらしくてあさましい僕の心に沁みる。


「そういえば、潮ってお酒飲めたっけ?」


「まったく飲めませんよ」


「ええ、ではドリンクの方は当店自慢のベリージュースにしておきますね」


「よ、よろしくお願いします」


 僕と光さんの会話を聞いていたマスターに、僕はまた心臓をドキッとさせる。その結果、僕は言葉を詰まらせた。

 少し恥ずかしい気分なった僕は、その羞恥心が意識を逸らすために再び店内の装飾に目を向ける。やっぱり、壁に掛けられている絵に目は自然と向く。僕には描けない美しい絵は、僕の感性に屈辱を与えながらも新しい印象とイメージを沸かせる。

 そんな中で入り口の右隣に飾られた小さな絵は、僕の目を釘付けにする。

 こんもりとした白雲と青空の下、新緑の風が吹き抜ける草原に立ち、麦わら帽を抑える白いワンピースを着た少女の油絵。太陽の眩しい白光は緑を鮮やかに輝かせ、女性の肌の生々しい光の反射を醸し出す。ワンピースの質感も素晴らしい。本当に薄手の生地が靡いているように見える。それに、何よりも素晴らしいのは全体的にぼんやりとしているのに、自然と人間とがすべて調和して、ひとまとまりの爽やかで清らかな現実の中にどこか空想が込められた世界をありありと描き切っていることだ。

 一枚の窓ガラスほどの大きさしかないのにもかかわらず、飾られている他のどの絵よりも僕は、女性が描かれた小さな絵に惹きつけられる。





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