第60話 そんな恥ずかしいことできるか。
「……そうか、気に入るのがあるといいな」
「あれ、思ったより普通の反応。意識しちゃいませんか?」
「選んでる間、トイレにでも行ってるよ」
意識しないわけが無いだろう。どんなのを着るのか、気になって仕方ない。だが、俺はまだ社会性を失っていないのだ。ここで露骨に食いついてみろ、少なくとも三人からは軽蔑の目で見られるだろう。
「ふーん……千桂さん、千桂さん、お買い物楽しみですねっ?」
「っ!?」
「あ、うん、そうだね、幸奈ちゃん」
千桂の水着姿を一瞬想像して、身体が跳ねる。幸奈は「大成功」と言いたげに、千桂は「どうしたの?」という調子で俺に視線を向けた。
「これから夏ですし、海とかプールにもいくと思うので、水着とかも見れるといいですよね?」
「むむ、確かに、去年のはもう入らなくなってましたんで!」
入らない? 入らないって具体的にどこがキツく――いや、変なことを考えるな、顔に出る。というか俺の前でそんな話をするなよ千桂……そう思って彼女に視線を送ると、目をキラキラ輝かせて夏の予定を話していた。どうやら完全に意識していないらしい。
「はぁ……」
溜息をついて肩を落とす。多分あいつの性格上、ぜんっぜん意識してないんだろうなあ。そんな事を考えると、自分の反応が過敏なようにも思える。
「冬馬くん、大丈夫?」
「ああ、楓ね――綾瀬、気にしないでくれ」
思わず昔の呼び名が口をついて出そうになるが、すんでのところで言いなおす。
「……」
「……」
沈黙が訪れる。千桂と幸奈は楽しげに話しているが、こちらに気付く気配はなかった。
「ね、冬馬くん」
「なんだよ、綾瀬」
呼び方を確かめなおすために、あえて今の呼び方を口にする。
「高校で初めて再会した時、覚えてる?」
「っ……」
頷いて見せる。今となっては、忘れたい思いの方が強い。
「君が全然違う姿になってて、話そうとしても逃げられちゃうし……」
「悪かったよ」
あの時は、千桂が居てくれても、俺が変わり始める前だった。だから、と言い訳するわけではないが、仕方ない部分があったのも分かってほしい。
「あ、ごめんね、謝ってほしいわけじゃないの、ただ――嬉しかったんだ」
嬉しい? どういうことだ?
俺は眉間にしわを寄せる。あの時、彼女を喜ばせるようなことが何かできただろうか。
「ずっと、私は『できるでしょ?』『あの人は特別だから』って言われてきたから、冬馬くんみたいに『俺でも出来るんだ!』ってまっすぐに頑張ってきてくれる人が、ずっと恋しかったんだ」
「だとしたら、千桂に感謝しないとな……」
俺はあのままだったらダメになっていた。また立ち直れたのは、千桂のおかげだ。
「うん、だからもう一歩」
「もう一歩?」
一体何をさせるつもりだろう。余程変な事じゃなければやってもいい。そんな気持ちになっていた。
「昔の呼び方に戻って?」
「ぜったいやだ」
何を言い出すかと思えば、恥ずかしすぎるので却下だ。俺は力強く否定した。
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